ビゼフの顔役
「これはセシウス殿下。おっと今は陛下と呼ぶのが正しく御座いますかな」
「どちらでも、スパーロ殿。実際に政務を行ってはいるが、私はまだ即位している訳ではないので」
胡散臭い。
ショウが目の前に座る男を見て最初に思った事がこの一言であったのは、無理からぬ事ではあった。
この部屋―闘士の足音亭の一階の奥、宿で二番目に大きい部屋―の持ち主であり、この街の顔役。
ユン・スパーロ・デル・ビゼフ。
くどくけばけばしい化粧を施し、豪華な衣装に身を包む。かと言って女性的でも怠惰で緩んだ訳でもない、鍛えられた体つきをしている。
紅い髪は生来のもののようだが、染めたものか一部に緑色。声音は男にしては少し高いが、嫌味な響きはない。
どれか一つでも狂っていれば下品と断ぜられそうなものだが、不思議と全て調和している。
顔立ちも所作も悪くはない。底の見えないどろりとした眼光を見せたかと思えば、からりと明るい顔つきになった途端、その光も霧散する。
総じて、胡散臭い。
「そちらが王師殿と名高いショウ=シグレ殿ですかな。王子を援けて愚かなる王兄を討ち果たした話は聞き及んでおりますよ」
「それはどうも」
「私どもの抱えている作家がそれを題材としたいと申しておりますが」
「俺の許可は必要ない。セシウス殿が許可されるならば好きにされるがよろしかろう」
にこやかなユンに対して、ショウの反応はにべもないものと言えた。
建物に入った途端、こちらを見ていた視線が途絶えた。
物陰に入っても、決して視線を通る筈がない場所を通っていても感じていた視線が、だ。
この男の指示かどうかも判然とせず、そしてただ見られていただけという事実は問い詰めるには難しい。
「…成程、どうやらシグレ殿は私を胡散臭いと考えておいでのようだ」
「その通りだ」
ユンは敢えてだろう、こちらの思っているであろう事を言葉に乗せて来た。
そしてショウはそれをすかさず肯定する。
ユンの顔が歪む。
「…思った以上にやりにくい御仁だね、あんた」
「お前さん程じゃないな」
一切表情を変えずに答えるショウに、とうとうユンが諦めたように頭を抱えた。
降参降参と諸手を挙げて、途端に周囲の気配が散った。
護衛を散らした訳ではないだろう。ともすれば襲い掛からせようとでもしていたか。
「悪かった、悪かったよ王師殿。あんた、ずっと気付いていたね?」
「…やはりあの視線はお前さんか」
「あん?…ああ!…やめだやめだ!やりにくい所じゃないわ、あれに気付くとか、ありえないって!」
どうやらユンの発言は先程までの監視の事ではなく、部屋の表に伏せさせていた人員の事だけだったようだ。
「あの視線ってのはあれだろう?街に入った時からの視線だろ?」
「そうだが」
「違う、あれは私の手の者じゃない。獣の王の部下の一人が使う上古の神具のひとつさ。本人は決して見つからずに相手を監視出来るって代物だ。建物の中からでも使えるそうだよ」
「道理で出所が掴めなかった訳だ」
「視線だって普通なら感じない筈だ!くそ、冗談じゃない。あの旦那が珍しく興味を示す筈だよ!」
「あの旦那?」
苛立ったように頭を振るユンからは既に胡散臭さは感じられなかった。
自分の身の丈に合わない相手だという事に気付いたからか。こちらの疑問にもぺらぺらと喋り始める。
「私はエゼン・レ・ボルの旦那からあんたの実力を測れって言われていたんだけどね。駄目だね、この街の者じゃあんたは測れない。そうあちらには伝えておくよ」
「『あの視線』の持ち主は?」
「あちらはあちらであんたの値踏みを済ませたんだろうと思うけれど。ああ、私がそれを知っているのはそいつに部屋を貸しているからだ。察していると思うが、この街の運営には獣の絶地の力が随分入っている。陛下はご存知だろうと思うが」
「知っていますよ。娯楽の少ない獣の絶地から休暇を過ごしに来るのは決まってここなのでしょう?退役した者が闘士となり、休暇で訪れた者が彼らに賭ける。その銭を使って治安を維持し、経済を回している…くらいの事は承知しています」
「大体その理解で構わない。私のような顔役も、当代の獣の王から拝命して入り込んでいる。銭自体を必要としない獣の絶地の民とイセリウスとの交易の折衝もここで行っているんだ。闘技場があるから賭博と娯楽の街と思われがちだが、実際は商業の街でもあるんだよ」
奇矯な風体をしているが、ユンの本業は商人であるのだろう。街の事を語る時、商業の街だと言った時の誇らしげな顔つきからは、商人としての彼の矜持が垣間見える。
ショウは彼への評価を内心で改めつつ、しかし見た目はやっぱり胡散臭いよなと再認識しながら確認する。
「それで、そのエゼン・レ・ボルとは?」
「あんた知らないのか…ってそうか、あんた東国人だもんな。当代の獣の王だよ」
知らない訳ではないが、ちょうどセシウスも居る事なので敢えて確認しておく。
確かセシウスが居た時には、獣の王の名がエゼン・レ・ボルである事は話題に上っていない筈だ。
口ぶりからすると、この街に住む者で最も獣の王に近い人物はこのユンであるようだ。
「そうだね。この街から旦那に何かを伝える場合は私を通す事になっている。だからそこの『どこぞの異国の若様』が物見遊山でやって来る旨の手紙も私が検閲して向こうに送ったし、許可が下りている事も知っている。旦那の居る都への案内人も用意しておく。ただ、一昨日ちょうど向こうに向かってしまったからね、上の部屋を使ってくれて構わないから、戻って来るまでここに滞在しておいておくれ。いいかい?」
一息に言い切ったユンは、椅子に深く腰掛けると大きく息をついた。
「街の見物も自由にしてもらって構わない。だが、王師殿、陛下、あとヴィント将軍。あんた方は例え人手が少なくなっても闘技場に出るのだけは勘弁してくれ」
「おや、駄目かね」
「当たり前だ!あんた達に出られてみろ、所属している闘士達が可哀想だ」
「手加減するが…」
「手加減云々以前に、心が折れるわっ!」
そこまで言われてしまえば、敢えて出ようとまでは思わない。
ショウ達が頷くと、ユンは机に突っ伏すほどの勢いで頭を下げてきた。
「感謝する。では、商業区画などを含めたこの街の案内人にも声をかけておく。短い間だとは思うが、ビゼフの街を楽しんでくれ」
話が終わったので、一旦部屋に入って自由行動にする事を決める。
ユンの前でする話でもなかったように思うが、その辺りは本人も弁えたものだった。自分から聞こうとせずに、だがダインには手練の護衛をつけると請け合ってくれた。
ともあれもうこの部屋に居る必要もない。
ショウは出口に向かう。最も後ろになっていたので、出る時に改めてユンの方を向いた。
「何か?王師殿」
「いや…。お前さん、あれやこれやと喋ってくれていたようだが」
「…それが?」
「獣の王本人から話していい、と言われた範囲を逸脱していないよな?」
「…」
ユンの愛想笑いが完全に固まる。
暴露された形の獣の王の話は、ここまでは話して良いと指示された内容で図星だったようだ。
「…あんた、やっぱり旦那が気にするだけの事はある。最大限のもてなしをさせてもらうから、頼むから暴れたりはしてくれるなよ」
「ふむ、その待遇は有難いが、払える銭は持ち合わせていないぞ」
「ああ、いいんだよ」
若干頬も引き攣っているが、ユンは何とか笑みを浮かべてきた。
それは商人としてのせめてもの矜持だったのかもしれない。
「私達が銭を受け取るのは相手が人からだ。銭を価値として認めている連中だからだ。人から逸脱しているあんたみたいな奴からは、銭なんて取らないよ。安心しな」