娯楽都市ビゼフ
街の門をくぐった瞬間、ショウは妙な確信を抱いた。
各所に漂う、賭場特有の気配。浮ついているような、熱狂しているような。そして、微かに漂う血臭。
奥を見れば巨大な建造物が威容を湛えている。あれが闘技場とかいうやつか。
「ここ、濤様が通っていたら間違いなく長期滞在していたでしょうね」
「…火群様もここを根城にしそうな気がします」
何とはなしに、溜息をつくショウと汀。伸るか反るかを好む神性を親なり師に持つのも難儀なものだ。むしろよく似なかったものだと思う。
さて、闘技場以外からも賭博の気配は感じられるが、やはり集中しているのは闘技場だ。
札などよりも人と人の争いに熱狂するのは退廃の象徴のような気もしないではないが。
「俺の国にも似たような施設はあるが、ここまで大きくはないな。やはりここでも罪人同士で戦わせたりするのかね?」
「いや、獣の絶地では罪人は里から追放されるのが基本的な刑罰ですから。その多くがここの『顔役』を頼って樹海を抜けようとして来ますが、辿り着く者は少ないようです」
ダインも自分の国号をここで言う程迂闊でもない。ムハ・サザムの闘技場は案内されなかったが、話を聞くにもっと残酷な事をさせる場所なのだろう。ある種の戦意高揚も兼ねているのかもしれないが、詳しく聞くのは憚られる。
「ふむ。つまり罪人はここの闘士には居ないという事か」
「まったく居ないとは言えませんが、ここの闘士は獣の絶地で退役した兵士や将軍が主です。どうしても軍の上の方は獣の王の血縁が多くなってしまいますから」
「世襲制度という事か?」
「いえ、単純に実力的に。あまりに血縁が多いのも良くないと、あちらも部隊の数を増やしたりして対応はしているみたいですが…」
「羨ましい限りだな」
「何しろ歴代の獣の王の条件が『最も強い者』である訳ですからね。獣の王の兄弟は王の即位後に臣下に降りる事になります。更にその子、孫と続けばそれなりの数ですよ」
セシウスとダインはこれから行く獣の絶地の軍事事情の話をしている。
これからの方針や自分達の知る内実はともかく、現時点ではムハ・サザムと獣の絶地は敵同士なのだ。
そういう話が誰かに聞かれて広まるとややこしい事態になりかねない。
「で、今日はここで宿を取るのか?それとも『顔役』とやらに挨拶に行くのか?」
「あ、そうですね。ここで宿を取ります。とは言え、顔役の経営している宿ですから挨拶に行くのと一緒ですね」
「そうか。なら案内してくれ。…ダインが居るんだ、あまり揉め事になっても拙い」
「分かりました、師匠」
声を落として状況を理解させると、セシウスも表情を改めた。
ここでダインが死ねば、間違いなく今回の話は立ち消える。セシウスにとっては知悉した街並なのかもしれないが、気持ちを弛緩させていい話でもない。
馬車を預け、セシウスについて街中を歩く。
「イセリウス国内は町や砦は石畳なのだな」
「そうですね。獣の絶地の中では石畳は使わないようですから、この石畳を証拠にこの街がイセリウスの国内だと言えるかもしれません」
顔役をはじめとして、闘士も殆どが獣の絶地の者だとは言うが、街並はイセリウス王国の様式を採用しているという事か。
そんな事を言って笑うセシウスの頭を小突き、
「つまり、お前はこの街の者達の命に責任を負っている訳だな。俺がダインの為にその連中を斬らなくて済むように、気をつけておけよ」
「顔役が何かしてくると?」
「それは知らんが。この街に入ってからずっと視線を感じているんだよな」
敵意があると言うよりは、ひたすら観察に徹しているようだが。
敢えてそちらには視線を向けていないが、気付いている事に気付かれているかどうかは半々といった所か。
気配の消し方も上手いから、随分な手練とみている。話を総合すると、顔役の手の者というのが一番説得力がありそうだ。
「俺を値踏みする程度なら気にしないが、ダインの様子を窺っているとなると少し不安がある」
「いえ、私は旦那様を値踏みなどされていたら許しませんけれど」
と、汀が口を挟む。
やはりショウが絡むと剣呑だ。
「汀どの。流石に今は自重して下さいね」
「ええ。ダイン様がおいでですものね。ダイン様を獣の絶地に送って、戻って、次に来た時まで取っておきます」
そういう問題ではないのだが。
本当に値踏みされているのかどうかも分からないから、気にするだけ無駄と思い直し。
「行くか…セシウス」
「そうですね…師匠」
闘技場は街の中央にあり、顔役の宿は闘技場を挟んで入って来た口とは逆側にある。
自然と闘技場の近くを歩く事になるのだが、中からはひっきりなしに歓声や怒号、悲鳴が聞こえてきて飽きない。
その最中、ショウは最後尾を歩くヴィントが随分と闘技場を気にしている事に気付いた。
「どうした、ヴィント。気になるか?」
「え?…ああ、師匠。気になると言えば気になりますが…」
「何だ?歯に物が挟まったような言い方だな」
何を言いたいのかが分からない、と眉根を寄せると、ヴィントは慌てたようだった。
暫く言いにくそうにしていたが、意を決したらしく闘技場を見上げて口を開く。
「師匠が出られたら、どこまで勝ち抜けるだろうか、と」
「出ないぜ。強い闘士とやらに興味はあるが、寄り道をする道行きでもないしな」
「そうですね。師匠であれば瞬く間に筆頭になれましょう」
「さて。生憎人の世の栄達には興味がなくてな。…ああ、気を悪くしないでくれ。ここの闘士筆頭とやらがイセリウスでどれ程の栄誉なのかは俺には分からんが、それを貶める心算はないんだ」
だが、ショウにとっては汀との誓いが何よりも優先される。
列島国家群の基準で言えば、『鬼神討ち』は最も価値のある栄誉だ。
汀と添い遂げるには、その名声と栄誉だけで十分釣りが来るものだし、今は自らの格を高めて武神に昇るという目標がある。とても他の事に気を向けている余裕などなかった。
「成程…。師匠の仰る事、よく分かりました」
ヴィントは感じ入ったように頷くと、
「テンペストなくば、私は槍使いとしてまだ未熟です。下馬した際の槍の繰り方について、後程ご教授いただけないでしょうか」
「…俺も槍は相手をした事がある程度で、そんなに詳しくはないぞ。その程度でも良ければ構わない」
「でしたら、是非。恐らく今は四人の中で私が一番出遅れていますので」
「そうか?…ああ、そうかもな。お前の場合、精神修養が最優先だ」
「はい。これでも少しは改善出来たと思うのですが…」
「少しじゃ拙いだろ?」
「…精進します」
差し当たっては、こういう泊まりの時だよな、と。少し先を進んでいたセシウスが足を止める。
いつの間にか、目的地に着いていたようだ。
闘技場と比べれば些か小さいが、それでも大きな建物である。
「この街最大の宿、『闘士の足音亭』です。では、入りましょうか」
視線はまだ続いている。
ショウは一瞬だけそちらを鋭く睨みつけると、セシウスを追って宿に足を踏み入れた。