和平交渉と王国の新たな厄介事
「さて…。事情が読めないのですが、陛下?」
「うん。師匠から交信球で連絡を受けてね」
「城にある交信球ではありませんな?」
「そうだね、アイどのがお持ちの交信球に届いたんだ」
額に青筋を浮かべ、口調は穏やかだが怒りをあからさまに抑えている様子のジェックに、だがセシウスは一向に怯んだ様子を見せない。
ジェックは次に伝えてきた人物であるショウの方に顔を向けた。いつぞやのヴィントばりの憤怒に、苦笑しながら応じる。
「何かな?将軍」
「王師殿、何故隠された」
「血気に逸る者を抑えるのは大変だと思ったからな」
「王師殿は我々が自制出来ないと仰せか」
「将軍をしてそれ程であれば、実際に現れそうではあるよな」
「ぐっ…」
感情を殺しきれていないのを自覚しているジェックは押し黙る。
周囲の空気も悪い。
玉座の間には現在、セシウスを中心とした重臣達が揃っている。イセリウス王城には兵を配置しているが、万が一にも戦場にしたくない為に現在はこちらを拠点としている…というのがセシウスの言だ。
どうやら国内には公表されているようだ。こちらがムハ・サザムに向かっている間にイセリウスの国内でも何かしら物騒な動きがあったという事か。
動じていないのはセシウスとアイ、ショウと汀、そして使者として来たダインとエザニィの六名だけだ。
意外と動じないテリウスすら色を失くしているのだから、周囲の無言で発される怒気の強さが推し量れようというものだ。
「王師殿は、この者達が我が国に何を齎したかご理解されているのか…!」
「半端に生かした王兄の暴発を少し早めた、という所かね」
「…ッ!!」
今度こそ肺腑を抉られたかのようにジェックは顔を歪めた。
軽く周囲を見回せば、同じ思いを抱いたらしい数人が表情を変えている。
「その通りだ。実際、父を斬ったのは伯父の手の者で、東国の者だったと聞く。伯父もその者も師匠が手ずから討ち果たしてくれたのだから、我々は師匠の行動に異を唱える事は許されない」
「それは、分かっていますが!」
「ならば控えろ、ジェック。私は王として帝国の使者を受け入れた。それともそなたらは、この御二方を斬って帝国と正式に事を構えろとでも言うのか?」
セシウスの言にも容赦はないが、その言葉に反応はなかった。
重臣達にも解っているのだ。イセリウス王国は本来、ムハ・サザム帝国と正面から敵対出来るほどの国力はないのだと。大河の長砦があるから防ぐ事が出来ていただけで、全面戦争となれば一月と保たないだろう。
だが、先王の死に強く関わったのが帝国の皇女だった。その一点のみを利用して、自分達の不甲斐なさへの怒りに矛先を用意したかった。国内の誰かより、国外の誰かを悪者にしたかったのだ。
本来の怒りの矛先は、既に取り上げられてしまっているだけに。
それだけと言えばそれだけの、八つ当たり的な感情の発露に過ぎない。
空気の悪さは変わらないが、刺々しさが大分薄らいだ所で、セシウスは跪くダインとエザニィに顔を向けた。
「さて、御二方。待たせてしまいましたね。私がイセリウス王国次期国王、セシウス・ウェイル・イセリウスです。面を上げてください」
「はっ」
顔を上げた二人の顔はふてぶてしくも堂々としていた。先程まで殺気や殺意を向けられていたとは思えない程清々しい顔つきをしている。
「配下が失礼な対応をしましたね。申し訳ない。それでは御用件を伺いましょうか」
「はい。我がムハ・サザム帝国は大陸の平穏を願っております。その為にイセリウス王国との恒久的な和平を求めに参りました」
「な―!」
ざわめきの色が変わる。
ここまで直接的な言い方をしてくるとは思わなかったからだろう。
ムハ・サザムはリゼの前からイセリウスには手を変え品を変え、調略の手を伸ばしてきたからだ。
イセリウスを併呑すれば、獣の絶地との戦に大きな一石を投じられる契機となる。
それがエザニィが述べたムハ・サザムの公式見解であり。
ショウやダインが聞いていた、ムハ・サザム皇帝と獣の王との間の会談とは異なる事実である。
―曰く、獣の絶地にとっては、戦に疲れた者達が戦を忘れて暮らせる楽園として。
―曰く、ムハ・サザム帝国にとっては、包囲される恐れを理由に最前線から皇族を遠ざける僻地として。
無論、そのような意味合いで建国されたとは当の本人達は知りもしないし、今後も知り得ないだろう。
既に獣の絶地とムハ・サザムでは皇帝と王の間で内密に約定が済んでいる。
そういう意味では、今回の和平交渉が最も難物であるのも確かだった。
「…よくも言ってのけた」
ひどく静かな声音で、ジェックは口を開いた。
手は腰の佩剣に伸びている。
「止せ、ジェック」
「イセリウスを併呑し、獣の絶地への橋頭保とする心算か!舐めるなよ、イセリウスの王族は獣の王の近縁ぞ。あのような売国奴以外がこの国を貴様らに売るなどと思ったかッ!」
「…何か語弊があるようですが」
眉間にしわを寄せているのだろう、包帯で隠れた眉間らしき場所を軽く揉むエザニィ。
「私どもは別段獣の絶地を裏切って我々の傘下に入れ、などと言った心算ではないのですが…」
「何を吐かすか!」
「我々は貴様らに屈したりはせんぞ!」
「南に逃れた王兄派どもと一緒にするな!」
口々に騒ぎ出す、周りの重臣達。
愛国心が強いのは良いが、話を結末まで聞かずに罵声を浴びせるのはいかがなものか。
「王師殿も王師殿だ!帝国に滞在している間に懐柔でもされたのか!」
「我々が獣の絶地を裏切る訳がないわ!とっとと帰れ!」
「いや、むしろ斬るべきだ!陛下、ここまで虚仮にされては黙って居れませぬ!」
徐々に熱を上げていく周囲は、勢いのままに非常に拙い事まで言い放っている。これはセシウスをも内心どこかで舐めている証拠とも取れる。
小さく息を吐いて、ショウは一瞬だけ鬼気を放った。
「外野は少し黙るべきだと思うのだが、どうか」
「…ひっ!?」
ざわめきと熱が一瞬で引く。
静かになったのを良い事に、改めてエザニィが口を開く。
「和平の条件としてはほぼ無条件とさせていただきたい。恒久的な友好関係の為には人質などは無粋ですし、何より我々は初代ダル・ダ・エル・ラを祖とした獣の王の系譜である事は共通しております」
「つまり遠縁ではあるが親戚関係だという事ですね。…それで、ほぼ、という事は完全に無条件という訳ではないのですね」
「ええ。セシウス陛下をはじめ、イセリウス王国にはムハ・サザムと獣の絶地の終戦の仲立ちとなっていただきたい。これが我々の願う唯一の条件でございます」
「馬鹿なッ!?」
驚愕の声を上げたのは誰だろうか。
ショウは視線を一度そちらに向けたが、結局分かっても名前と素性が記憶と一致する事はなさそうなので放置する事にした。
「ムハ・サザムは獣の絶地とも戦を止めると…本気なのか」
「無論だ。これは父、ダイク・ジェイ・ムハ・サザムの意志であり、次期皇帝ダイン・ディ・ムハ・サザムの意志でもある事をここに宣言しよう」
「次期皇帝ッ!?」
「そうだ。時代は次へと音を立てて動く岐路に立った。邪神の右腕が滅んだ事がそれを示している。我々は今こそ結集して、邪神を崇拝する邪教の信徒を悉く討ち尽くさねばならない」
「待たれよ。今度こそ待たれよ!邪神の右腕が…滅んだだと!?」
「そうだ。汀様とシグレ殿が向かい、塵程の欠片も残さず討滅してしまわれた」
今度は視線がこちらに向く。頷いてやると、セシウスが満足そうに笑みを浮かべた。
「流石は師匠と奥様ですね」
「俺はそれ程でもないさ。殆ど汀どのが済ませた事だ」
「そう仰れる事が流石だ、という事ですよ」
そうかね、と苦笑する。ふっと、周囲の空気も弛緩したのが感じ取れた。
事ここに至り、彼らは判断を放棄したようだった。事態の急変について来られなくなったのかもしれないが。
「こちらとしては、大陸を覆っていた戦争が一つ終わるのは僥倖だと思っています。して、邪教の信徒とは、やはり相容れないのでしょうか」
「全ての命を喰らい、全ての大地を喰らい、その後に邪神が理想の新しい世界を創り出すと本気で信じているような連中だ。決して噛み合わないだろうと思っている」
「そうですね…。私はこの和平、受けても良いと思っています」
「ほう?思っておられる…という事は、何か障害があるのですね」
これは疑問ではなく確認だった。
恐らく先程の懸念にも繋がるのだろう、セシウスは疲れたような顔を右手で押さえるようにした。
「王兄派…、つまり伯父の蜂起に際して積極的、あるいは消極的に協力をした者達の事です」
「フォンクォードは元々武断派で猛々しい好人物だった。王位を継承出来ず、穀倉地帯の領主に押し込められて以降は腐っていったようだが」
「王位の行く先が決まる前の伯父には惚れ込んだ者達が居た訳です」
既に死んでいる王兄は、どうやら本人の与り知らぬ所で強烈な同胞を得ていたらしい。
知っていれば彼はもっと多くの数を動員していた筈だ。結局無用に猜疑心を育ててしまった王兄は、二度とその猜疑心を捨てる事は出来なかった。
「彼らは伯父が王の座に就けば、往年の覇気を取り戻すと信じていたようです。まあ、武断派の伯父に惚れ込む程ですから、何と言いますか皆、戦に並々ならぬ情熱を抱いていたようでした」
「ほほう」
「で、本題なのですが」
一旦言葉を切って、大体お分かりでしょう?と目で訴えかけながら。
「王兄派の一部が武装蜂起しましてね。いち勢力として粘れば、いつかムハ・サザムから救いの手が伸びる筈だと勝手な考えをして、ここから北東のノスレモス付近に集結し始めているのです。…勿論、無関係ですよね?」
今度はダインとエザニィが、表情を固く引き攣らせる番だった。




