かくして大陸は転換期に入る
エゼン・レ・ボルの発言に先に反応したのは、当のダインではなく父親のダイクの方だった。
気のせいか、額には青筋が浮かんでいるようだ。
「ほぉぅ…?エゼン・レ・ボルよ。私の後継ぎが見劣りしないとは、お前の倅は随分な大器であるようだな」
「まあな」
まるで淡々と、誇るでもなく事実を受け入れる様子に、だがダイクは余裕と受け取ったらしい。
「ならばお前の倅はダインのように大陸を覆う関係性を誰に言われずとも理解しているという事かな」
「いや、そういった頭の良さを俺達に求めるなよ。獣の絶地だぞ?」
呆れたような表情で言うエゼン・レ・ボル。
せめて王のあんただけは言わないでおいてやれよ、とは流石に言葉には出来なかったが。
どうやらダイクも毒気を抜かれたらしい。何とも間の抜けた表情になっている。
「ならば一体どのような大器であると言うのだ?」
「…俺は今、全盛期であるという自覚がある。その力は歴代の王の中にあって遜色ないものであるという自負もある」
「だろうな。獣の王は最強の亜人であると思っている。そして初代より連綿と続くお前の一族以外から獣の王が出ていない事も知っているが」
「俺の倅…末子になるな。上から三番目の妻が産んだ子だ。この子が獣の王を継ぐ」
「もう決めたのか」
「…もうすぐ十八になるが。今の時点で今の俺より強い」
「何だと?」
驚いたというより、聞き違えたと思ったらしい。
ダイクが訝し気に聞き直す。
そしてエゼン・レ・ボルの方は聞き返されると思っていたらしい。
特に動揺するでもなく、もう一度同じことを述べた。
「もうすぐ十八になるが、今の時点で今の俺より強い」
「…馬鹿な」
「稀に生まれるのだ。御先祖様の力が顕在したとしか思えないような才を持って生まれる者が。そして、おそらくダル・ダ・エル・ラの名を継ぐ事になるだろう」
「初代の号をかっ!?」
「そうだ。アレは間違いなく歴史上で最も強い獣の王になるだろう。だから俺はお前の案に乗ったのだよ、ダイク・ジェイ」
二人で盛り上がっている様子だが、ショウは何を原因に盛り上がっているのかがいまいち分からなかった。隣を見れば、汀も怪訝そうな顔をしている。
逆にテト・ナ・イルチやダイン、ミラ・レ・イルチは当然のように頷いているから、彼らにとっては常識であるらしい。
そもそもエゼンという名は昔ムハ・サザム帝都に単身攻め込んだ昔の獣の王の名ではなかったか。襲名というくらいだ、後から名乗るのだろうが、その辺りの事情を聞かないと話を理解出来なさそうだ。
「…済まない、一つ解せないのだが」
「何かな」
「その、ダル・ダ・エル・ラという名はそれ程重い名前なのだろうか?」
「ふむ…?御先祖様より獣の王の襲名について聞いてはいないのか?」
「ああ、これは失敬」
ダイクは頭を掻きながら、自分達の不明を詫びた。
火群から説明を受けているかどうかが問題なのではなく、自分の常識が他国の出自であるショウと汀にも認識されていると思い込むのは失礼に当たる。
「こちらが予め説明しておくべき事でした。ご無礼してしまって申し訳ない」
「いえ、無礼とかそういう問題については構わないのですけれど…説明していただかないと旦那様も私も一体何で盛り上がっているのか全く分からないものですから」
「ふむ…。エゼン・レ・ボルの名に聞き覚えがあるかと思いますが、初代エゼン・レ・ボルはこの帝都に単独で攻撃を仕掛けてきた獣の王です」
「何かしら大きな事績を残した獣の王の名は後に引き継がれていく事になる。始まったのは初代イブ・ン・イルチの頃とされるが、どのような事情かまでは伝わっていない」
「獣の絶地にてホムラ様と友誼を結び、妹を嫁がせたのが初代ダル・ダ・エル・ラと言われています。これは名の初代という意味でもそうですが、『獣の王』の初代こそが彼なのです」
「ほう」
妻は獣の絶地で娶ったと言っていたから、火群は修行時代に獣の絶地に永く腰を落ち着けていたらしい。
詳しい馴れ初めなども聞きたいところだが、そこまで聞くと話が逸れてしまう。
「我々が名を継ぐのは偉大なる先達の意志を継ぐ為だと捉えている。そして周囲の者が、当代が与えられた名の意志を果たし、そしてその名を超えたと認めた時、その獣の王の生まれ持った名は次代以降に世襲される名となるのさ」
つまり、次代に名を残せない獣の王は凡庸であると見られてしまい、だからこそ歴代の獣の王は与えられた先達の名を超えようと練磨を続けるのだと言う。
「倅は間違いなく歴史に残る獣の王となるだろう。初代ダル・ダ・エル・ラの名も超えてくれるものだと信じている。俺が倅に見た物と、お前が見た物が同じであるならばきっと間違いないのだろう」
「停滞した大陸の歴史を動かす者という事だな?」
「ああ、やはりその結論に至っていたか。だから邪神の右腕を討滅させた…か」
「厳密にはホムラ様の遣わされた御二方を見て、その点については心を決めた」
だから同席させたのだと言えば、エゼン・レ・ボルは今度こそじっくりとこちらを見つめてきた。
暫く視線を交わし、だがエゼン・レ・ボルは小さく息をついて首を振った。
「駄目だな。…ここでは気配が散逸し過ぎて鬼気くらいしか判断材料がない。御名代の器を見るのは直接お会いした際にするとしよう。それでだな、ダイク・ジェイ」
「もう一人という事だろう?」
「ああ。セシウス・ウェイル・イセリウス。あの坊主が即位に当たってどれだけ成長しているのか。こちらもきっちりと見極めたい所だな」
「そちらは任せるさ。もうすぐ即位の挨拶をしに来るのだろう?」
「そうだな。…というかお前、何でそんなにこちらの事情に詳しいんだ」
エゼン・レ・ボルがぼやくが、ダイクはにやりと口許を歪めて笑うだけだ。
「して、父上。過分な評価は私としては少々恥ずかしい所ですが、一体どのような事をしろと仰るのですか」
「今すぐどうにか出来るような事ではないが、邪神崇拝者を悉く殲滅するんだ。その上でアズードとも決着をつけてほしい所だ。その後は任せる」
「…。確かにすぐには片付く話ではありませんな」
あまりに広い大風呂敷に頭を抱えるダイン。
邪神の右腕という拠り所を失い、カナルガンという一滴を投じられた事で、邪神崇拝者側がどう変わるか。
イセリウス王国、獣の絶地、ムハ・サザム帝国。この三国が手を取り合う事で、宗教国家アズードは動く事になるだろう。大陸を二分する争いになるか、或いはアズードすらも手を携えて、邪神崇拝者との争いに向かうのか。
確かに大陸の歴史は動き出したのだろう、とはショウにも理解出来た。
そして、ショウ自身の目的もまた一つ形になった。
「大陸最強と呼ばれる獣の王と、その次代…か。贅沢な選択肢だと思うのだが、どうか」
願わくば先に父親であるエゼン・レ・ボルと一戦交えて、その後にダル・ダ・エル・ラに挑んでみたいものだ。
「…ああ、御名代も神性への道を目指しているのだったな」
好戦的な表情を浮かべていたのだろう、それと察したエゼン・レ・ボルが獰猛な笑みを浮かべる。
闘志が空間を超えて届いてきそうな笑みだ。
「倅に敗北の味を教えてくれるだけの力があるならば、こちらからお願いしたいくらいだ」
「ほう?」
「このままだと敵が居なくて増長しかねないからな。折角の才だ、腐らせるのは惜しい」
「喜んで」
一つ約定を結ぶ。
隣で汀が嬉しそうなのは、ショウが次の目標を確りと定めたからか。
「では、獣の絶地を次の目的地にするとしよう。…テリウスの件もあるからイセリウス王国を経由する事になるが…」
「ああ、ついでにセシウスを連れてきてくれると助かるな。どうせ来るなら纏まって来てもらった方が手間が少ない」
「…向こうの都合が合えばな」
流石にセシウスの意向も確認せず一緒に行けるとは言えない。
ショウと汀の獣の王との初めての邂逅は、このようにして終わったのであった。