宗教国家の過去と秘密同盟
「アズードに?…一体どのような用件で」
剣呑な気配を露わにするのはエゼン・レ・ボルだ。無理もない。
亜人排斥を謳い、世に住まう亜人はアズード人の管理下に置くか、あるいは死ぬべきとする宗教国家アズードは、その理念を示して以降獣の絶地と強い敵対関係にある。
「火群様のご依頼と、こちらの都合が半々と言ったところでね。千里眼の神性にお会いする必要があるのだよ」
「千里眼ベアルディ…。成程、古い神性だ。御先祖様が知り合いだとしても不思議はないな。失せ物か」
「そのようなものです」
頷いた汀は、特に事情の説明はしなかった。
探し物が自分の国の守神というのは、どうにも体裁が悪い。汀としてはそれに加えて自分の母なのだ。尚更だろう。
ショウも汀が口にしない以上、敢えてそれを告げる心算もない。
「あの国は『純粋人族』の末裔である事を誇りにしている国だ。神性や、神性との混血である東方人は敬われこそすれ迫害される事はないだろうが」
呆れた口調のエゼン・レ・ボルにダイクが頷く。
ムハ・サザム帝国は才ある者は受け入れる国だから血統主義的な人事は少ない。帝室は別格として、連合城砦のレライやランブルスの一族の場合は一族を挙げて能力の高さを維持し続けているからこその世襲なのだ。
帝国は亜人も要職に就ける国である以上、アズードと折り合いが悪いのも当然と言えた。
「純粋人族、という言葉は上古の時代以前からの血筋に誇りを持つ、アズード独特の言い回しだね」
神話の時代の話であるが、古代から君臨する神性が語り継いでいる以上、その信憑性は決して低くない。
しかし、邪神との死闘を生き抜いた神性は少なく、今もなお地上で暮らす事を選んでいる神性は更に少ない。
「ま、そんな昔から存在する神性は獣の絶地の『太母』とアズードの『最古老』の二柱くらい…ああ、あと当の邪神がいたね」
エゼン・レ・ボルがその辺りの事を知っているのは獣の絶地に住まう神性『太母』から話を聞いているからなのだろう。
「上古の時代、邪神との大戦争の前は、亜人は神性の使徒として領分をわきまえた少数民族でしかなく、獣の特徴を持たぬ純粋人族が世界を差配していたという」
つまりこれは、世界の歴史の一端でもある。
「邪神が発生するまでは、確かに亜人は純粋人族の風下に居た。しかし、邪神との戦で最も数を減らしたのは純粋人族だった。彼らの魔術や武装では魔獣はともかく邪神眷属や魔人には抗し得なかったからだ」
反して亜人は自らの信奉する神性を旗印に、高い魔力や高い身体能力を駆使してなんとか渡り合ったのだという。
「その辺りの話は東方にも伝わっているな。それでも幾つもの亜人種族が滅んだと」
「ダークエルフなどだね。好戦的であった為か、奉じた神と諸共に戦の最前線で悉く戦死したそうだ。獣の絶地にはその末裔が隠れ住むという噂が絶えないが、その辺りどうなのだねエゼン・レ・ボル」
「さてな。太母ならご存知かもしれないが…。話を戻すぜ、戦争が終わり、大陸に於ける純粋人族の数は亜人の総数と同程度になるまで落ち込んだ。俺達の先祖やダイク・ジェイ達の住むアルガンディア大陸南部では生き延びる為に融和した訳だが、アズード近辺ではそうはいかなかった」
「そうはいかなかった、とは?」
「奉じる民が滅んでも、強い力を持つ神性は滅びなかったという話が幾つもあったのよ」
「民が神性を奉じるのではなく、神性達による民の保護と管理という機構を創り上げたのが宗教国家アズードという国だ。山岳地帯を切り開き、主体的に奉じている神のなかった純粋人族を保護すべく巨大な都市を作った。結局亜人を異民族と感じていた純粋人族達は多くがそちらに集ったという」
「護るべき民を失った神性の方も、誰にも知られぬ神性として忘れ去られるのは我慢ならなかったのでしょうね。神性達は自らを善神と悪神という区分に分け、秩序を遵守する者には善神が、どうしても秩序からは逸脱せざるを得ない者を悪神が護るという形を取ったのです」
「御名代様はさすがによくご存知で」
「火群様からの受け売りです。私と旦那様が向かうにあたって、その辺りが分からないと困るだろうと」
しかし、純粋人族を護る為の国として発足したのであれば、亜人は元々迫害される土壌に近かったのではないだろうか。
話を継いだのはダイクの方だった。元々歴史好きの彼だ、それなりの知識は得ているのだろう。
「だが、神性達にも不都合はあったんだ。何しろ元々自分達を奉じる亜人達も少なからず居たんだからね。アズードを作ったのは民を失った神性ばかりではなかったという証明でもあるのだけれど…。そこで連中は、亜人の領内に於ける自治独立を認め、純粋人族の事は神都に事実上隔離した」
「で、その措置を神都からの追放と受け取った一部の亜人達が反抗したり、選民思想的な純粋人族の思想が蔓延したりと色々な紆余曲折があった結果、アズードは亜人排斥を謳うようになった。残念な事にな」
その頃にはアズード以外では亜人の融和は進み、純粋人族と亜人の区別はほぼつかないような状態になる。今では人と亜人の存在としての差などないに等しい。
獣の絶地が亜人の国とされているのは、巨大樹海という環境が森林生活に適した亜人にとって都合が良く、人族の流入が殆どなかった為である。
「別段俺達は純粋人族を排除する心算はないのだがな。向こうが亜人排斥の考え方を改めない限り、手を取り合う訳にはいかないんだよ」
「それはムハ・サザムも同様だね。だがこればかりは国同士の問題だ。イセリウス王国と友好関係とは言え、東方のシグレ殿や汀様、ホムラ様には関わってもらう訳にはいかない事だ」
「そうだな。御先祖様がアズードの神性とも関わりがあるのであれば、政治的な何かを頼む訳にはいかない」
エゼン・レ・ボルは残念そうに呟いた。
中々どうして、武の人かと思えば政治的な事柄にも配慮の利く人物であるようだ。
「だが、それはそれとして。御二方がアズードに向かうのであれば、このまま砂漠地帯を西進するよりはこちらを通る方がいいだろう」
「そうなのですか?」
「神都外に住む亜人達とは伝手がある。神都内で迫害されている亜人を解放する事が出来れば、アズードから全ての亜人を亡命させる事が出来るようにな」
それは獣の王を名乗る者の矜持か、どこに住む者であろうと迫害される亜人の仲間を切り捨てる心算はないようだ。
だが、その理屈で行くと―
「…父上、エゼン・レ・ボル様。私は昔から、この戦乱に幾つかの疑問がありました」
漸く緊張がある程度解れたのだろう、ダインが唐突に声を上げた。
「どうしたね?ダイン。いきなり」
「…これは失礼を。ですが、この場所の存在を知った以上、私の考えが当たっているか外れているか、教えていただかなくては先に進めません」
「ほう、言ってみな、小倅」
「この永きに亘るムハ・サザムと獣の絶地の戦乱は、多数の神性を抱えるアズードにとって『敵同士が勝手に潰し合う状態』に見える状況の演出と、超長期的な『神性と戦って勝てる程の戦術や兵装』の開発の為の巨大な演習である…と」
「ふむ…」
ダインの言葉に、エゼン・レ・ボルは満足げに顎鬚を撫でた。
「何を見て、何を聞いて、そんな結論に達したか聞いてみたいくらいだ」
「では?」
「ほぼ満点だよ小倅。残念ながら一つだけ足りていないがな」
「それは邪神の右腕への備え、でしょうか。邪神の右腕がもし新たな邪神となった時に、即時対応できるようにする為、という」
ダインの言葉に、エゼン・レ・ボルは静かに首を左右に振った。
「そうじゃない。互いの国に少なからず居る、野心を以て互いの国を侵略しようと考えている臣下を上手く排除する事さ」
「な!?…で、では…」
愕然とするダインに、ダイクが静かに頷いた。
「事実だ。ただ領土的な野心か、本当に自分の国が大陸を制覇すべきだという忠義かは問わずに。戦乱の芽をいたずらに拡げ、民に過度の負担を強いる臣下を最前線に送り、そうとは気づかれないままに排除する。事実、民草の殆どは獣の絶地との戦争状態であるとは言いながら、殆どの者がそれを実感する事無く人生を終える。アズードとの戦になった時に、物資や兵力が錆びついていては意味がない。我々は来るかもしれない神性との戦争に備えて、秘密裏に盟約を結んだのさ」
「…そうですか。永い間の疑問が氷解しました」
意外にもダインは、すっきりした顔をしていた。
「私達を責めないのかい?」
「父上を責めた所で何が変わりますか。実際ムハ・サザムは大陸最大の雄として名を馳せるだけの国力を得ているのですから、そのような事をしても天に唾するようなものです」
「…う、うん。そうだね」
どうやら昔のダイクは父親に食ってかかったか、あるいは罵倒したのだろう。
軽く目が泳いでいる。
「…ふうむ。ダイク・ジェイ。成程、お前が歴史を動かそうとした理由が分かった。こいつは大器だ」
一方のエゼン・レ・ボルは動じなかった。肉食獣のような笑みを浮かべてダインを見ている。
そして、やはり挑発するようにこう言ってのけたのであった。
「小倅…いや、ダイン・ディ。お前ならば俺の倅とも見劣りしない皇帝になるだろう」
と。