皇帝の依頼
ダイクの言葉に、仰天したのは当のテリウスであった。
暫し唖然とし、内容を理解し、意味を認識し、滝のような汗を流し始める。
言われない理由も確かになかったが、テリウスも、まさか面と向かってこの場で言われるとは思わなかったのだろう。
「へ…陛下、それは」
「何か不都合があるかな?」
「い、イセリウス王国は獣の絶地と同盟関係にあります。陛下は…我々イセリウスに獣の絶地と縁を切れと仰せになりますか」
「ああ、いやいや。そうではない」
テリウスの勘違いに、気安くダイクは手を左右に振ってそれを否定した。
成程、誤解させてしまったようだ等と呟いて、更なる爆弾を投下する。
「セシウス・ウェイル・イセリウス王を仲立ちに、我々ムハ・サザム帝国は獣の絶地とも戦を終える事になるだろう。この永きに亘った戦争が、終わる事になるのだ」
「…ッ!?」
テリウスが目を見開いた。
いつ果てるともしれぬ、ある意味で惰性にすらなりつつあった帝国と獣の絶地の戦が終わると。
「邪神の右腕は果て、アルガンディア大陸の悪しき象徴とすら目されていたものが消えた」
ダイクは静かに言葉を重ねる。
そこには自らが大陸の歴史を動かす事への熱情も、興奮も、陶酔もない。
ただ冷静に、己の為すべき事を為すべき時が来たと判断している表情だった。
浮かれているのでなければ、この皇帝の意志はきっと間違いなく機を捉えているのだろう。
「大陸の歴史が動き出す時機が来たのだと、余は確信を抱いた。それだけの事であるよ」
「…大陸の歴史が動く、時機」
「左様。そしてその時代を率いて進む者として、我が三子ダイン、セシウス王、次期獣の王、そしてテリウス・ヴォルハート殿。卿らが現れたのだ」
「僕…いや私も、ですか?」
「うむ。ダインはムハ・サザムを。セシウス王はイセリウス王国を。次期獣の王は獣の絶地を。それぞれ率いなくてはならぬ。卿のみが重き荷を背負わず、故にこそ最も重大な歴史の歯車と行動を共に出来るだろう」
「…師匠…ショウ=シグレの事ですね」
「或いは卿もまた英雄と呼ばれる日が来るのかも知れぬ。シグレ殿の弟子として卿はその全てを見届けられよ」
そして、心より羨ましそうな顔を隠そうともせず、ダイクは。
「帝国の史家を始め、語り継ぐ者を用意しておく。その事績を語り継ぎ、新たなる武神の神話を為すべし」
「神話…!」
「或いはテリウス・ヴォルハートの英雄譚を謳う者も出てくるやもしれぬ。残念な事に余がその完結を見る事は出来ぬが…」
同じように羨ましそうなダインや、ここに居合わせた多くの視線がテリウスに突き刺さる。
「ダイク・ジェイ・ムハ・サザムの名に於いて、ショウ=シグレ殿の道行きを共にする栄を、テリウス殿に保障する。これを此度の卿への褒美としたいが、如何かな?」
「…謹んでお受け致します」
「ああ、無論これは帝国内での話だ。他の国では―」
「自らの力を以て勝ち取るしかないでしょう」
「それがまた、卿の英雄譚となる事を願う」
別段主君と臣下という訳でもあるまいに、二人の世界を作りつつあるダイクとテリウス。
こちらの意志を一向に確認しない―だからと言って一番弟子であるテリウスを旅路から外す理由もないと言えばないのだが―二人に、ショウは独り言ちた。
「いや、幾らなんでも気が早いだろう…」
「旦那様の新たなる神話…。山霞、国から学者と書家を派遣するよう伝えなさい。一言一句間違いなく書き写して国に送るのです」
「はい、媛様」
「差し当たっては音貫様との壮絶な闘争を戯曲としてこちらの国に提供するのは如何かしら。ああ、でもそれには揺様の許可が要りますね。山霞、火群様にご協力を請うのです」
「お受けいただけるでしょうか?」
「完成を楽しみになさると思いますよ」
「…こちらもですか」
こちらは神性とその巫女とで盛り上がっている。
だから気が早いと思うのだが。
「さて、話を戻そうか」
暫しざわめきは広がっていたが、ダイクが一言そう告げると綺麗に静まり返った。
どうやら貴族達はお抱えの詩人やらの手配に動き始めているようだ。ざわついている間に、段取りの早い幾人かが手配したらしい数人が謁見の間を辞していた。
成程、突然戦を終えるとなれば貴族の権益などで損を被る者も出てくるのだろう。その目先を変える意味合いもあるのかもしれない。
とは言え、こちらに断りもなく自分に関わりのある事柄を進められても困る。これではもう止めようがない。
どうせ自分では照れくさくて読まないだろう確信を抱きながら、ショウは小さく諦めの溜息をついた。
「獣の絶地との戦は終わる。しかし、この後はもっと悪辣な者達との戦が始まる。邪神の右腕は無くなったが、その邪悪なる意志を受け継ぐ邪神崇拝者はこの大陸に根強く在る」
獣の絶地、イセリウス王国との終戦の判断はこの為にあったのだと続ける。
大陸を覆う永き戦乱は、少なくない破滅主義者を生み出したと思われる。その多くが邪神に傾倒していたとするならば、果たしてどれ程の勢力が潜在している事になるのか。
「大陸中の邪神崇拝者が、邪神の右腕の滅びを知って結集しつつあるという報告も受けている。これからの我が国の戦は、邪神崇拝者達との大陸に生きる全ての良識ある民の為の戦となろう」
戦地はムハ・サザム帝国の何処かになるのは想像に難くない。
邪神崇拝者の信仰の拠り所であった邪神の右腕が在った場所だからだ。そして、集結した後のその勢力とは、永い戦いになるだろう事も予想は出来る。
「シグレ殿。やはりご助力はいただけないのだろうな?」
「ああ。我々は火群様の名代として来ているからな。今回の件は邪神が関わっているというには少々弱いと思う」
「私は蒼媛国の神性として、時雨湘は私の夫として、他国の人の営みに過度に関わるのはよろしくないと考えています」
「だろうな…。我々はこの国に生きる民として、自身の手で勝利を掴む必要があるのだろう」
ダインの言葉に、頷きつつも一言だけ添える。
「無論、あちらから直接手を出された場合はその限りではないがね」
何しろこちらは、連中からすれば一部とは言え信じる神の仇だ。
出会ってしまえば問答無用で戦闘に雪崩れ込む事になるのは火を見るより明らかだ。
火群の依頼でアズードを目指す以上、大陸を動き回る事になるから、巻き込まれる機会もそれなりに多いだろう。
偶然巻き込まれた場合は、助力も吝かではない。
これがショウに出来る最大限の譲歩だった。