過去語りと目的と
三人が案内されたディフィ達の根城とは、街で最も上等な宿だった。
既にフォンクォード伯の私兵と化した組織員の遺体は跡形もなく片付けられ、三人にも上等な部屋が用意された。
流石に夜も遅くなったので休む事になったのだが、その前に三人とディフィは一つの部屋で食事を囲んでいた。
上等な食事に満足したところで、口を開いたのはショウだった。
「次に何かあるとしたら軍が出てくるかな」
「その時には我々の首を差し出すさ」
その言葉には、ディフィらの組織が一丸となってセシウスの為に尽くす事を約束する重みがあった。
「ところで、ディフィ」
「は、いかがなさいました、殿下」
先程は慌ただしかったので聞けなかったのだけれど、と前置きしてから、セシウスは悲しげな顔で問うた。
「先程の宿の主達はどうしたのだろう」
「私どもの組織員でございます。他の客は事前に火事と称して別宿に移しておりますし、事実火をかけましたので疑われることはありますまい」
「ほう。我々はお主らの懐に飛び込んでしまったか」
「と、言いますより、国内の宿はほぼ全てが私どもの組織員でございますよ」
「何と」
「後は馬の業者などが我々の下部組織となっています」
「随分規模が大きいな」
要は、宿に入ればその時点で足がついたということだ。
流石に野宿を重ねてしまえば、育ちの良いセシウスは病でも得ていただろう。
「では無事なのだね?」
「ええ。組合の方で修繕費用なり建替費用を出しますので、生活に苦慮することはありません。ご安心ください」
「良かった」
安堵した様子のセシウスに、表情を和らげるザフィオ。
どのような経緯であれ、セシウス王子にとって彼らもまた護るべき『国の民』なのだ。
それにしても、と。
ショウは、今日一日に思いを馳せるにつけ、地勢に明るくない事への不利を感じずには居れなかった。
蒼媛国は島国なので、大きいとは言え道の規模や広さは限られていたのだが。
大陸に出ると、何もかも規模がそれどころではない。地平線を柔らかく吹き抜ける草原を見ると、流石に目的の達成には自分の技術とは別のものが必要だと思われた。
「王子。御老、ディフィ殿」
ショウは取り敢えず、知り合った三人に相談をすることにした。
「先程、俺の目的について話す機会がなかったので、今のうちに話しておきたい」
恐らく、自分の目的と彼らの目的は少なからず合致している。
そんな予感があった。
まずショウが語ったのは、自身の出自である。
蒼媛国を始めとした列島国家群には、鬼神と呼ばれる神性存在が住まう。
国民は全てが始祖の鬼神の血を引くとされ、裏付けるかのように数年に一度、普通の人の親の元に鬼神が産まれることがある。これらの存在はおよそ二十歳までの間に、鬼神の力に目覚める。
ショウもまた鬼神の血を引く蒼媛国の住人だが、残念ながら鬼神の力には目覚めなかった。
ここまでは、先に二人には話していたことだった。ディフィのみが聞いていなかったのでそこまでを繰り返した訳である。
ショウの家は、蒼媛国では高い身分である。雨や霧など、水に関する苗字を持った家は名家とされた。
「俺はそこに生まれた双子の片割れでしてな。忌まれた結果、どちらかを師匠…先代蒼媛が弟子とすることで双方生かすという事になった訳です。これはまあ、我々の地方では比較的普通のことでしてね」
時雨家は、家の歴史の中で三人の鬼神を輩出している。ショウと双子の兄のどちらかが鬼神として目覚めれば、その件はご破算となり、鬼神となった方が蒼媛の元に行く事になる。そういう約定だった。
だが二人とも平均である七つの歳まで鬼神には目覚めず、ショウは予定通り蒼媛の弟子となったのである。
「シグレ様の力は、鬼神の弟子になったからですか」
「概ねそういう事になります。詳しい話をしますとね…と。業剣、抜刀」
ずるりと、業剣を抜き放つ。部屋を照らすような蒼い輝き。美しい色の割には、武骨な刀身である。
「そう!これが聞きたかったのです!」
と、セシウスが目を輝かせた。
「目にも留まらぬ速さで振るっておられたのでよくは見えなかったのですが、とても美しい…!」
「本当ですな…ゴウケン、と言いましたな、シグレ殿」
「業の剣で、業剣です。人の持つ魂を抜き出し、刀の形に固め、鍛えたものです」
「魂…!?」
三人の視線が集まる。神秘的な輝きと武骨さが、自分らしいと思われるかどうか。
「これは俺の魂そのもの。肉体の研鑽が魂の質を高めるように、魂の質を高めれば肉体の格が上がる。その相互作用によって、鬼神に劣らぬ力と動きを発揮すること。そして、鬼神の命をも刈り取る強さを持つ武器として…業剣は武器の形を持つのですよ」
「それは、人によって違うのですか?師匠によって違うのですか?」
「人によって、ですな。槍の形になれば槐主流、手甲の形になれば豪公流というように。刀の場合も、一刀であれば蒼媛一刀流と駆天一刀流、二刀であれば緋師二刀流と分かれます。業剣を出した時点で、流派と異なるものが出れば他所の国に修行に出される事になりますが、俺は運良く蒼媛国に残れたという次第です」
「それにしても、魂を武器にとは。凄まじい技法ですな…」
「勿論、良い事ばかりではありませんがね」
と、業剣を霧散させる。光の粒がショウに降り注ぐようにして消えた。
「どんな形をしていてもこれは魂ですから、弱い魂であれば脆い。肉体と魂の両方を研鑽し続けなくては強く硬くはならないのですが…ここが問題でして」
苦笑いを浮かべながら。
「材料が自分の魂ですからな。折れれば持ち主が死にます」
「死ぬ!?」
「ええ、死にます。自分の命を構成している大部分ですからね。折られれば、そりゃあ」
「それはそうでしょうが…」
「まあ、国の事情というやつです。鬼神の一撃は、誇張ではなく思い切り腕を振るだけで常人ならば死に至りますから」
殴られて死ぬか、業剣を折られて死ぬかという程度の違いだったという訳だ。
「まあ、鍛えれば鍛えただけの結果が出るとも言えます。それなりに研鑽を積めば、相手の武器ごと真っ二つ、なんて真似も可能です」
「…真っ二つ」
はっと、何かを思い出したのだろう。セシウスがこちらを見た。
「考えている事は一緒だと思いますよ、王子」
「シグレ殿は、一体どの程度まで極めておられるのですかな?」
と、気付いてなかったのだろう、ザフィオの方が質問をしてきたのでそちらを向く。
現場を見ていないらしいから、仕方ないのだろうが。
「業剣使いには、格がありましてね」
魂を武器にしたのであるから、魂を高める為には戦わなくてはならない。
そして、斬ったか斬らなかったかという事は実は問題ではなく、斬り結んだ相手の魂の格が高ければ高いほど、業剣は洗練されていく。
「鬼神と戦い、正面からそれを打倒した者には、『鬼神討ち』を名乗る事が許されます。業剣使いとしては最大級の名誉で、国主の娘との婚姻も企図される程と言えば何となく分かっていただけましょうか」
「では、シグレ殿は…」
「二年ほど前の事ですが、事もあろうに守神が一柱狂れてしまいましてな」
その折の事を思い出し、目を閉じる。
「詳しい話はその国の誇りにも関わる事なので、詳しくは申せませんが」
討手として向かったのは、ショウを含め六十人に上った。しかし殆どの業剣士は一合も出来ずに討ち取られた。ショウは一人、また一人と討たれる仲間の屍を踏み越えて、唯一互角に渡り合った。
経過した時間も分からぬほどの死闘の果て、立っていたのはショウ一人。
その日は、多くの剣友を喪った日であり、だが大きすぎる名誉と、そして新たな目標を得た日でもある。
「鬼神『豪公』を斬り伏せ、鬼神討ちの名を受けたのですよ」
沈黙が降りる。
ショウの話を適当な作り話だと思わなかったのは、放つ鬼気に触れる機会があったからだろうか。
「並の剣士ではあるまいと思っておったが…」
重く、溜息をつく。
「では、シグレ様はあちらでは要人だという事ですね。それも特級の」
「そうなりますかな」
「何故、こちらに来られたのです?生半の事情では許されないでしょう」
「苛烈な武者修行をしたい、というのが個人的な事情ですが、聞きたいのはそちらではないですな」
それ自体は人生を賭けた目標に近い。
「今回は国に渡航を許された…いや、請われたと言うべきですな。ディフィ殿。先王を白昼堂々斬り斃したという刺客の人相はご存じか?」
「ええ、ある程度は。二刀を振るう凄腕の剣士と」
その言を継いだのは、セシウス。
「父は、刺客の剣を防ごうと構えた宝剣ごと斬られました」
「何…シグレ殿、まさか!?」
頷き、核心に触れる。
「三月ほど前、緋師国の同輩八人を斬って異国に逃れた業剣士が居りました。折しも豪公の件からまだ二年、それ程の腕前の相手を追えるほどの人材が居るはずもなく」
混乱極まる緋師国から討伐の依頼が出たのが一月前。そこから交易船に乗り、この国の港に着いてから街道に出たのが今日である。
「追う側としてはまだこの国に留まっているとは思っていなかったのですが、本人と見て間違いないでしょうな」
確かに、フォンクォード伯の野心に火をつけるには、十分すぎる剣士だろう。
「男の名は山査子半慈。こちらの呼び方ではハンジ=サンザシとなりますか」