謁見の間にて
先程まで談笑していた人物が、皇帝として堂々と謁見の間のど真ん中を歩いて玉座に座る様を見るというのは、何とも違和感を拭いきれないものではある。
テリウスとディフィ、サンカはその場に跪いたが、ショウと汀は軽く頭を下げるだけに留めた。
ダインとミューリは自らの場所なのだろう、ショウ達の右手にある空間に納まり、こちらを向いた。
テト・ナ・イルチは堂々とダイクの脇に侍り、その静かな眼光で謁見の間の全員を見ている。
「よく参られた、汀様、シグレ殿。ムハ・サザム帝国皇帝ダイク・ジェイ・ムハ・サザムである」
「東方列島国家群が一、蒼媛国の鬼神の一柱、汀です。この度は我らが始祖に連なる闘神、火群様の名代として遣わされました。よしなに」
「蒼媛国の鬼神討ち、時雨湘と申す。同じく火群様の名代として遣わされた」
自己紹介を終えると、ダイクは満足げに頷いた。
「ご来臨に心より感謝する。お二方には邪神の右腕への対応を願いたい所なのだ、が」
「が?」
「うむ。解決の為にホムラ様を探させた旨は三子ダインより聞き及びの事と思う」
「その旨は承っている。故に我々がここに居る」
言いよどんだダイクに、疑念を覚える。
少なくとも、先程までの彼が自分達を疑っているようには見えなかったのだ。その割にこちらを火群の名代として認める様子がない。
「探させたのはダインだけではなく、それ以外の我が子四人が探索に出たのだ」
ふむ、と一つ息をついて見回す。
こちらを値踏みするように見る目、敵意のある目、畏れを含んだ目。
何となく、察する。
「…私は何柱目、なのでしょう?」
「三柱目、だな。一人は今も戻らず、一人は見つけられなんだ」
…戻らない一人は暗殺とかされていないと良いが。
「では、誰が正しく『ホムラという鬼神』か、あるいはその名代である我々が本物かを選定せねばならない、と言う訳か」
「うむ。試すような儀をすまなく思う」
「構いません。私達は自らの立場を何ら偽っておりませんから」
にこやかな笑顔で告げる汀に対し、だが次に向けられた言葉は悪し様な罵声だった。
「父よ!愚弟はホムラ様を探すどころか、どこの馬の骨とも分からん者を連れて来て名代などと嘯いているのか!」
「控えよ、ロヴェリ。神性の御前である」
「ふん!神性であるそこな女は良い、だがその隣の貴様!聞けば貴様は神性ではないと言うではないか!大陸の長たるこのムハ・サザム帝国皇帝陛下に対してのその態度、許しがたいわっ!」
ロヴェリと呼ばれた男はダインよりも上座に立っている。身に着けている鎧の質も良いから、どうやら兄であるらしい。
だがその傲慢な態度はいただけない。
皇帝である父が咎めず礼を尽くしている相手に、皇子が暴言を吐いて良い理由にはならない。
そして何より、一体どこの誰が『どこの馬の骨とも分からん者』なのか。
「…ダイン皇子。ムハ・サザム帝国では礼儀も道理も弁えない者でも皇子であればこういう場に出席する権利を持つのかね」
「済まぬ、シグレ殿。長兄においては少々気骨が強過ぎるきらいがある。暴言をお許し願う」
「ダイン!たかが付き添いの従者如きに下手に出て如何するか!貴様にはムハ・サザム皇族の誇りが―」
「黙れッ!」
怒声が響いた瞬間、ショウはこの場の全員を斬り捨てる覚悟を決めた。
汀が恐らくしでかすだろう事は、この国にとって致命的になるだろうと当たりを付けたからだ。
が。
「帝国の傲慢はここに極まったか!神の道に至ろうと歩む我が師を『付き添いの従者』呼ばわりとは恐れ入る!ムハ・サザム皇帝よ!これが請われて赴いた我が師と女神に対する貴国の対応か!」
「…あれ、汀どの?」
「…先に怒鳴られてしまいました」
意外にも、吼えたのはテリウスだった。
怒りに瞳を燃やし、しっかりと仁王立ちになって叫ぶその様は、中々どうして王族としての誇りを感じさせる気品に満ちている。
毒気を抜かれた表情の汀が、テリウスを優しく見ていた。
「何だ、貴様」
「我が名はテリウス・ヴォルハート。例え皇族とは言え、その振る舞いは無礼であろうが!」
「ヴォルハートだとぉ?敵国の王族が何故ここに居る」
「今の僕はイセリウスの王族としてではなく、ショウ=シグレの弟子としてこの国に来ている。既に承諾も得ている。貴様に文句を付けられる謂れなどない!」
だが、テリウスの素性が分かった途端、ロヴェリは既にテリウスの言葉を聞いては居なかった。
既にこちらからは目線を外し、玉座の隣に侍するテト・ナ・イルチに顔を向けている。
「テト・ナ・イルチ!敵国の王族が謁見の間に居ると言うのに、貴様何をしている!」
「…陛下、許可した」
「馬鹿を言うな!ダイン、貴様この男の素性を知っていて連れてきたか!」
「ロヴェリ。少し黙れ」
「父上、しかし―」
「黙れと言った」
「っ…!」
あくまで静かに、ダイクはロヴェリを沈黙させる。
そして視線をこちらに向けて、目だけを伏せて謝罪の意を示した。
「愚息が騒いでしまった事、申し訳なく思う」
「…構わんが、次があったら俺は媛様を止める手段がない」
「…具体的には?」
「お二方に成り代わり、謹んで皇帝陛下に申し上げます」
声を上げたのは、後ろで跪いていたサンカである。頭を上げるよう許可を得ていないので、顔を伏したままだ。
「許す。面を上げて話されよ」
「はい。時雨様は媛様の夫であらせられます。また、人の法を超えておられ、我が国では神性に準ずるお立場として認められております。不敬には当たらないと存じますが、如何」
「人の法を超えておる、という意味がよく分からぬが」
「端的に申し上げれば、並の神性よりも強く在られます」
ざわ、と空気が揺れた。
主神としての神性を持たないムハ・サザム帝国では神性自体がある種の神秘的な存在だ。それに匹敵する人間が居ると断言するサンカの言葉を俄かには信じる事が出来ないようである。
「それが女神様を止める手段がないという言葉にどう繋がろうか」
「媛様と時雨様はご夫婦としてお互いを極めて尊重し合って居られます。ロヴェリ皇子殿下の発言に、時雨様を『従者』と見下すものがございました。媛様はその点を他の何よりも許されません」
ダイクの視線が汀に向く。汀は一つ頷くと、端的に一つだけ述べた。
「我が夫への侮辱に対しての謝罪を求めます」
「為されぬ場合は」
「ロヴェリ皇子にこの場で罰を与えます」
「…それは我が国に宣戦布告をするという事だが」
「已むを得ません。既に夫もその覚悟をしております、何の問題もありません」
ここに至ってやっと、ダイクとテト・ナ・イルチの顔色が変わった。
汀の本気を理解した事もそうだが、ショウが覚悟を決めていると聞いた直後に目線がこちらを向いたからだ。
「そ、そんな事出来ると思うか、この痴れ女が―」
「黙れロヴェリッ!」
反応は劇的だった。ダイクが一切の余裕をかなぐり捨てて怒鳴るのと、ショウが無言で業剣を抜き放つのと、更にロヴェリの隣に侍していた護衛らしき人物が物理的に拳で彼を黙らせるのが、ほぼ同時だった。
「―殿下、ご無礼致します」
「ごぶぉッ…!な、なに…を」
鎧の隙間から的確に、ロヴェリの腹に拳を撃ち込んだ護衛。
昏倒したロヴェリをその場に横たえると、護衛はダイクに向き直った。
「…陛下、申し訳ございません」
「いや、忠義である。よくやった」
安堵の息を吐いたダイクが、護衛の言葉に首を振る。
護衛は今度はショウの方を見ると、跪いて首を示した。
「…シグレ殿。私はロヴェリ殿下の護衛にして師です。弟子の無礼は師の無礼。私の命でご容赦いただけないでしょうか」
見事な収め方だ。これではロヴェリを害する事は許されないし、皇帝の赦しも得た事で筋も通している。
「名は」
「ヨキ・エ・イルチ」
「…もしもロヴェリ皇子が言い切っていたら、俺は彼を斬り捨てていただろう」
名前からすると、テト・ナ・イルチの親族であるようだ。ならば、既に縁が出来ている事になる。
ショウは剣を納め、ヨキ・エ・イルチを助け起こした。
「…例え素性は知れずとも、神性は侵し難いもの。人の傲慢が触れてはならぬ事もあると理解させた方が良い」
「承りました」
「我々は混乱を望まない。この件については媛様の夫として謝罪を受け入れよう」
「それは…助かる」
「よろしいですね?汀どの」
「旦那様がそれでよろしければ」
頷く汀が落ち着いているのを確認して、ショウはダイクの方を向いた。
こちらの視線にも気圧された様子はもうない。落ち着いたようだ。
「流石にホムラ様の名代。心臓に悪いな」
「俺達に限らず、神性なんてそんなものさ」
ともあれ、一応この件は決着したのだ。
引き起こした片方の責任として、話を戻す方向に持っていく事にする。
「それで、俺達の身の証を立てるにはどうしたら良いのだろう」
「うむ。まずは残りのお二方を呼ばねばなるまいな」
「そう、それだ。あと二柱居るのだったな」
「先程の長子ロヴェリと、五子ラーガのお連れした二柱だ。ヨキ・エ・イルチ、ラーガ。丁重にお連れせよ」
やっと本題に入れる安堵を胸に、ショウは汀と顔を見合わせた。
さて、一体どういう神性が現れる事やら。