ダインの目的
「…本当に面白い男だな、ショウ」
一瞬で身に纏う空気を鋭く変えたダインに、ショウ以外の全員が息を呑んだ。
圧力だけで言えば、セシウスよりも遥かに強い王としての迫力―この場合は皇帝の気魄とでも言うべきか―を放つ彼に、一瞬陶酔したような顔をした重臣達が慌てて頭を振っている。
皇位を継いでいない今の時点で、これ程の威徳を見せられる器。ショウはダインの評価を更に高めた。
ここで彼と対等たり得るのは、あらゆる人の社会の権威や常識から外れる事の出来る者のみだ。
「信頼出来る配下でも探しに来たか」
「まあな」
「イセリウス王国自体を配下に納める心算だったか?」
「鋭いな。やはり人の視点を超えている奴は話が早くて良い」
「なっ!きさ「黙りな」…お、王師殿?」
勢い立ち上がろうとする重臣の一人に首を振る。
「一瞬でもダインの空気に陶酔した奴はここで言を吐いちゃいけねえよ。…こいつの器は相当だ。まだセシウスじゃあ貫目が足りない」
「…ですな」
同意してみせたのはジェックだ。
呑まれてしまった自覚のある者が激情だけで言葉を吐けば、即ち敗北を認める事になる。
ジェック自身もまた、ダインの隣で采配を振るう己を幻視してしまったのだろう。視線を伏せているのはセシウスを裏切った気分になってしまったいる証拠だ。
「セシウス、お前も器の質じゃあ負けていない。だがダインは今のお前より若い時分から、威徳を磨かなくては生き残れない環境に居たという事だ」
「…はい」
「努力しな。まだこいつに剣を捧げなおした奴は居ないようだ。追いつくには苦労するだろうが、分の悪い勝負じゃあないだろう」
「精進します…」
セシウスも珍しく敗北感をにじませている。
この問題ばかりは、解決には時間がかかる。その間に道を誤らないと良いが。
「で、オレの目的だが」
「うむ」
先程の言が半ば以上冗談の類であったのは理解出来た。
だが実際に邪神眷属を連れて来ていた以上、イセリウス王国に打撃を与えるのも本心の一つだったのは確かだろう。
長らく戦争中の『獣の絶地』の同盟国なのだ。積極的ではないにしろ敵対国に向けての動きとしては、勝算がある限りは然程おかしくはない。
「ショウ。お前なら何となく知っているんじゃないかと思うのだが」
「俺が?」
「なんとなくな。その出鱈目な強さと言い、よく似ている」
その言い方だけで、何となく目的が理解出来てしまった。
あとはその用向きが何か、という事だが。
「『邪神の右腕』が活性化を始めている。その事を伝えなくてはならない相手が居るのだよ」
「その相手とはまさか…」
「ああ。我が国の草創期に東国より現れた至上なる剣士。人の限界を軽々と飛び越え、いつしか神と呼ばれた不滅の闘争者。二百年に一度の『邪神の右腕』の活動期には必ず現れ、その動きを掣肘する伝説の神性―」
やっぱり。
「闘神ホムラという神性を探せと親父から至上命令が下されたものでな。取り敢えず東国である以上、イセリウスを抜ける他に方法はなかろう?折しもリゼが失敗して警戒が高まっていた事もあるし」
「もののついでにこの砦を壊しておけば後の活動が楽に進むだろう、と?」
「その通りよ!」
呵々大笑するダイン。イセリウス王国を懐柔する選択肢は先の悪戯―と言うには些か大がかりだったが―の関係で当初から考慮の外だった訳だ。となれば分からない事もない考えだが。
「そうか…お前も子孫に当たるんだよな、そう言えば」
「む、やはり知っていたか!そうよ、このオレこそは闘神ホムラの末裔―」
「俺とこのセシウスとテリウス、お前と一緒で闘神様の子孫だわ」
「な、に…?」
目を丸くするダインに、そろそろ考える事を放棄したくなったショウである。
「…つまりダイン皇子も陛下も王師殿もその闘神様とやらの子孫だという訳ですか。何ともはや」
事が事だけに重臣達を下がらせて。
事情を知るショウと弟子四人、ジェックのみが同席している。
血縁としては遠いにも程があるが。セシウス達イセリウス王族とダインは獣の王の血筋を通じての血縁という事になるから、親戚という意味ではショウよりは近い。
「山霞。連絡はついたか?」
「まだですね。多分媛様がごねているんじゃないかと…つながりました」
『旦那様!』
案の定と言うか、サンカの持つ交信球から響いてきた声は汀のものだった。
「汀どの。お変わりありませんね?」
『こちらは平穏そのものです。旦那様は?お怪我などされておりませんか?』
「俺が怪我する程の相手にはまだ巡り会えていませんね。それはそうと汀どの、火群様は居られますか?」
『あ、はい。リゼさんと一緒にこちらに来られていますよ。…火群様、旦那様です』
ものすごく不満そうな声が最後に漏れ聞こえてきたが、取り敢えず平常運転の汀に安心し、苦笑で済ませる。
『おう、湘。何かあったか』
「火群様、お呼び立てして申し訳ありません。帝国のダイン・ディ・ムハ・サザム皇子殿下からお話があるとの事で」
『ほう?帝国の神童が今回の指揮官だったか。して、要件は?』
「ほ、ホムラ様でございますか。カロン・エル・ムハ・サザムの後五世の子、ダイク・ジェイ・ムハ・サザムが三子、ダイン・ディ・ムハ・サザムと申します」
いたく緊張している様子のダイン。先程までのふてぶてしさはどこへやら、顔は紅潮して落ち着きがない。
『カロンの代からもうそれ程経つか。ダイクともお前とも面識はねえが、火群だ。わざわざ危険を冒してまでこちらに繋ぎをつけようたぁ穏やかじゃねえな。何があった』
「はい、キュルクェインの管轄下にあった『邪神の右腕』が活性化を…」
『何ぃ!?』
火群が声を荒げる。ショウ自身、そんな様子を取る火群は初めてだ。驚いていると、火群は独り言か確認か分からない様子で声を上げた。
『ち、今回は三周期ほど早いな。停戦期までは一年程度か?アズードの神性どもは当てにはできんか』
「火群様?」
『ああ、済まんな湘。『邪神の右腕』の活性化は懸案事項だ。本来ならば神性が数柱赴いて止めなくてはならないが』
呻くような火群の様子に、首を傾げる。
「何かありましたか」
『蒼媛国の結界に干渉を始めてしまっていてな。ここから暫く動けそうにないのだ』
「それでは?」
『アズードの連中はムハ・サザムと『獣の絶地』が停戦期でないと東には出てこない。『獣の絶地』の神性は今回の件には不向きだ』
ダインの方に振り返ると、彼は首を横に振った。
「既に停戦の打診は行っていますが、あちらもホムラ様と同様『周期がずれているから』と応じようとしません。西に向けても砦から伝承どおりの狼煙を上げている筈ですが」
『停戦していなければ動くまいな。あそこの神性どもは保身が強すぎる』
「つまり、今回はそこに向かえる神性が居ないと?」
『そうだ。奴め、こちらが大陸を離れた気配を察したようだな』
唸る火群に、状況がひどく切迫している事を理解する。
「猶予はないのですか?」
『活性化が始まると、魔獣の発生頻度が極めて高くなる。周辺都市が壊滅的な被害を受ける可能性があるな』
「拙いですね。ですがそれなら暫く保たせる事くらいは…」
『いや、それよりも問題は、邪神眷属という巨大な魔獣が発生することだ。魔獣の苗床とも呼ばれていてな、そいつらの血には土壌を魔獣の発生源に変えてしまう効果がある』
「それは先程経験しました」
『何?…ダインよ、キュルクェインの当主一族でも生贄にしたのか?邪神眷属をイセリウスまで誘導するにはそれくらいしか方法が』
「仰る通りです。我が兄が命を懸けて」
『ああ、ギュストォと言ったか?癇の強い子だと聞いていたが、それだけではなかったという事か。…それはそうと、ショウよ』
「はい?」
『斃したのか?』
「はい」
『それは拙いな。…汚染が始まってしまうと大事だぞ』
「あ、いえ。セシウスが存じておりまして。汚染は食い止めました」
答えると、ほっとした空気が伝わってきた。
どうやらそのまま解体などしてしまったら、思った以上に洒落にならなかったらしい。
「それではどうしましょうか。俺で何とか出来るのであれば―」
『いや、お前だけでは恐らく手に余る。誰かもう一柱…あ』
と、火群が沈黙する。
こちらも状況が分からないので口を挟む訳にも行かず、待つ事にする。
向こうから何か話し合う声が聞こえてくる。
何を話しているかは分からないが、ロクショウらしき声も聞こえた。どうやら向こうの重鎮達も同席しているらしい。
どうにも大声を上げているのは重臣達の方のようだが。
汀がどうも上ずった声を出している。何事か。
『あー、湘』
「はい。何か解決の目途が?」
『うむ。俺は術式を開始してしまっているから、蒼媛国を離れる事が出来ない』
「それは、分かりました。そちらの作業を中断されるので?」
『中断は出来ない。だが、干渉の仕方を変える事は出来る』
「はあ」
『名代を送る事にした。邪神についての詳しい説明も済ませてから送るから、問題になる事はなかろう』
「名代ですか」
『ああ。お前と名代ならば、アズードの神性どもが居なくても何とかなるだろう』
どうにも火群の意図が読めない。
名代という事は、蒼媛国から誰か鬼神を派遣するという事なのだろうが。
火群が妙に悪戯を思いついた童のような話し方をしているのが気になる。
『頼むぞ』
「はい。それで名代って―」
『リゼ、ダインがそこに居るそうだが、話しておく事はあるか?』
ショウが疑問を聞くより先に、火群はリゼに話を振って席を離れてしまったようだ。
『兄上』
「リゼ!」
「リゼ様!」
兄妹の会話になってしまったので、流石にそこに割り込む訳にもいかなくなり。
ショウは追求を諦めざるを得なかった。
事態の重さを理解するに至り、そして砦をはじめイセリウス側に大きな被害が出なかった事もあり。
ある程度の賠償を条件に、ダインは帝国に送還される事になった。
そして、火群の名代の到着を待って、ショウと共にムハ・サザム帝都に向かう運びとなったのである。
同行する事になった弟子はテリウスとディフィの二人。
強く希望していたが、セシウスとヴィントの同行は認められなかった。当たり前である。
船が往復した数日後。
ショウは呆然として、その神性を見つめていた。
「名代…って…」
「火群様も何を考えているんだか」
既に諦めがついているのだろう、サンカも溜息交じり程度であるが同意見らしい。
「知っていたのか、山霞」
「ええまあ…。口止めされておりまして」
「そうだろうな」
呆れと、それ以上の喜びに頬が緩むのを抑えられない。
「火群様からの直々のご依頼です。頑張りますね!」
「…御身は俺がその全てを以てお護りします。頑張りましょう、汀どの」
「はい、旦那様!」
代行とは言え、守神の渡航など東国の有史以来初めての事だろう。
ロクショウ…は面白がっているに違いないが、重臣達の胃に穴が開くのも遠くない気がした。