捕虜三名
大畜生の浄化と処分を終えたショウ達は、漸く大河の長砦に戻った。
「うああ、妙に懐かしい気分だ」
二昼夜、業剣を振り続けたのだ。夜を徹しての重労働にくたくたになったショウは、椅子に座るや両足をだらしなく伸ばしてぼやいた。
「本当ですねえ。お疲れ様でした、師匠」
「部屋に戻ってさっさと休みたいですよ…」
「お前達もお疲れ様…」
セシウスとテリウスも似たような姿勢で寛いでいる。数人の重臣が苦い顔をしているが、三人がやり遂げた作業の量を考えると何も言えない様子だ。
ここは軍議の間。
本来ならば部外者である筈のショウがここに通されたのは、王師として話を聞いておいて欲しいからだという。
婚約が調えば蒼媛国と正式に同朋となる以上、ショウにも否はない。
「…それで、そちらの御仁は?」
ショウの問いに答えてくれる者はなかった。
軍議の間はそれなりに広い。巨大な円卓にイセリウスの軍人達が座し、その円の中心に用意された椅子が三つ。そこに座る三人は、見るからにイセリウス王国の服装ではなかった。
軍人たちに囲まれてなお、臆する事なくこちらを睥睨している姿は堂に入っている。
ショウも無論、彼らが捕虜である事は理解出来ていた。
話を聞けば、ジェック達は数人の捕虜を取る事、砦を破壊する事と引き換えに軍勢を退却する事を許したそうだ。
セシウスの指示とは違うが、捕虜に取った人物が問題であり。
事実、報告を受けたセシウスは苦い顔をしたがジェックを咎めなかったのである。
「で、縄もかけられず、国王が捕虜の目の前でそのような恰好をしているという事は、オレは貴公らに舐められている…という解釈で良いのかな?」
「そのような事はありませんよ、ダイン・ディ・ムハ・サザム皇子殿下」
答えたのはジェックだ。
口を開いたのは中央の椅子に座る青年で、確かにその威風は皇族である事を理解させるだけのものを持っていた。
「ああ、粗暴と噂の」
「王師殿ッ!」
ショウが確認すると、蒼白になって重臣の一人が制してくる。しかし、当のダインは面白そうに笑ってみせた。
成程、器の大きさも十分だ。少なくともここで彼と勝負になるのはジェックとセシウス、少し足りないのがテリウス辺りまでだろうか。
「くっく…、本人を目の前にして堂々と言いやがる。王師と言ったな?貴公がたった一人でイイリヤを斃したという化け物か」
「いいりや?」
「イイリヤルエイプ、河で解体していた猿があったろう。あれは我が国の切り札の一つ、邪神眷属と呼ばれる高次の魔獣よ」
と、ダインは小さく息を吐いた。右に座って―いや、座らされているのだろう、ぐったりとして生気がない―いる年の近いだろう男に視線を向けてから、だがはっきりとした声で告げた。
「こちらの降伏を受け入れてくれて感謝する。今回はおそらく帝国史に残る程の完敗だ。イイリヤを持ち出した以上、皆殺しにされるのも覚悟してはいたが…」
「そこの御仁がイイリヤとやらを操っていた?」
「ああ。兄だ」
空気が凍り付いた。
魔獣を使える皇子は居ない。それがイセリウス王国の持っているムハ・サザム皇族の情報だ。
それを覆す発言を、当の皇子ダインがしている。
絶句している彼らを他所に、取り敢えずショウは聞いてみる。
「という事は、第一皇子が第二皇子なのか?」
「いや、所謂庶子というやつだ。キュルクェインはあくまで都市であって国家ではないからな」
「厳密には皇子として認められていない、と」
「それだけが理由ではないがね」
「皇子、それ以上は」
ダインを制したのは男とは逆隣に座っていた女性だ。切れ長の瞳が特徴的な非常に美しい容貌だが、その湛える光の苛烈さは相手を射殺す程に強くもある。
だがダインはその言葉にも耳を貸す様子はなく、口許を笑みの形に歪めて言葉を重ねた。
「兄の心は幼子のままでな。庶子の位に留め置かれたのはその方が幸せであるだろうとの父の厚情よ」
「そうか。…それにしても、その様子は?正常ではないようだが」
「イイリヤが死ぬまで魔術を解除しなかったからな。ただでさえ死力を振り絞ってあれを操っていたのだ。邪神眷属などという危険な魔獣を使役した反動か、魔力だけでなく命まで噛み千切られたか。…恐らくはもう二度と元には―」
「…ダイン様!」
「黙っていろミューリ。我々は敗れたのだ。奇襲をしかけ、策を弄し、あまつさえ邪神眷属まで持ち出して敗れたのだ。降伏を許された以上、せめて潔くなくてはな」
「…!」
悔しげに唇を噛むミューリ。視線をダインではなく、その向こうの男に向けて。
「この子が…リゼ様の仇を討つなどと言い出さなければ…!」
「…この子?」
「ミューリはキュルクェインの当主で兄の従妹よ。一番重要なのはオレの愛妾であるという事だがな」
余裕の姿勢を崩さないダイン。
雰囲気が彼に呑まれている事を察したのだろう、ジェックが口を開く。
「ダイン皇子。此度のムハ・サザム軍の目的はリゼ・エスクランゼ・ムハ・サザム皇女殿下の仇討であるとの事でしたが」
「ああ。間違いない」
「そこのミューリ殿…の仰る通りだとすれば、つまり今回の出兵は兄君の意向で行われたと」
「それだけではないさ。貴公らは知るまいが、かつてエスクランゼ王家はキュルクェイン魔獣都市と互いに支援し合う協力関係にあった。その血を引く皇族であるリゼの仇を討たなくては、キュルクェインの一族を配下に持つオレの信頼が揺らぐからな」
「ダイン様、この期に及んでギュストォを庇うのはお止め下さい!」
今度こそ大きな声でミューリがダインを制した。そのままジェックに向けて跪く。
「…ヴォルハート大将軍、申し上げます。此度の件は、そこに居るギュストォ・キュルクェインがリゼ様の仇を討つ、討たせねばイイリヤを使って暴れると直訴した故にダイン皇子が兵を挙げたのです」
「粗暴という噂しか聞いていないが、どうにもそのような印象ではないなぁ」
ショウがぽつりと呟くと、ダインは視線を再びこちらに向けてきた。
「本当に面白い男だな、王師殿とやら」
「既に軍を出している以上、大将であるダイン皇子には責任を負う義務がある。潔くという大将の意志に反している以上、ミューリ殿の言い訳を聞く義理はないと思うのだが、どうか」
「ふははっ!その通りだ!良ければ名を聞かせてもらえるか」
「ショウ=シグレと申す。ショウで良いぞ、ダイン皇子」
「ショウと言うのだな、覚えた!ならばオレの事もダインと呼んで構わない」
「ああ、そう呼ばせてもらおう。それでだなダイン」
「何だ?」
「リゼ殿ならばご存命だ」
「…何?」
今度はダイン達三人が凍りつく番だった。
「そうか、リゼは海の向こうで元気なのか」
「しかも御子を。これは問題ですよ」
蒼媛国の状況と、そこに保護されているリゼの現在に頭を抱える二人。
ムハ・サザムの帝位継承権を持ち得る赤子が、事もあろうに敵対国であるイセリウス王国の向こう、しかもイセリウス王国の姻戚関係になるであろう国に匿われているのだ。
頭を抱えない方がおかしい。
本来ならばどうにかして救い出す算段をする所なのだが、相手が悪すぎる。
王師であるショウの母国にして、それに近い実力を持つ剣士が山と居ると言うのだ。
その表現が誇張であるにしても、単独で邪神眷属を斃してのける男が断言した事を無碍には出来まい。
「リゼの意志は、海向こうに住む事なのだな?」
「安心が欲しい、と仰っていたよ。少なくとも泣き喚く彼女を無理に連行した訳ではないさ」
「…厚かましいとは思うが、証拠が欲しいな」
「手紙でも書くと良い。返事はもらって来よう」
この時点で、ショウは手紙を出すまでの間にサンカに蒼媛国と連絡をつけさせる事に決めた。
交信球を使えばすぐにでも連絡を取れるから、リゼの神経に障るような相手かどうかは先に確認できる筈だ。
人となりを判断し、問題がないようならば少しくらい便宜を図っても良いかと思える程、目の前の皇子は出来た人物であった。
既に重臣達は口を挟むのを諦めているようだった。
少なくとも、捕虜の扱いとしても異例なら、その場で友人関係になるなどショウ自身も聞いた事がなかった。
「ところで、ダイン」
「なんだね?」
その問いは、まるで明日酒でも呑もうかと誘うくらいに気安い調子で放たれた。
「本当の目的を教えてもらえるかね?」