イセリウス王国業剣士の初陣~一軍に能う
ショウ=シグレの本質は求道者である。
人の業を越えて神に至る途を歩む、それだけを聞けばあまりに不遜な道を求めている。
しかし彼はその入り口に辿り着き、歩み始めたのだ。
既にして人の領分を越え始めたショウ=シグレは、今人の戦地にて敵対者を睥睨する。
「覚悟のない奴は失せろ」
業剣をかざすでもなく、淡々と、だが不思議と喧騒の中にその声は響き渡った。
大河を越えたこの地には思いやるべき謂れはなく。
背にした砦の向こうには、愛すべき弟子とその同朋が見守っている。
無様な姿は見せられないなと独り言ち、ショウは躊躇なく全力で鬼気を解き放った。
あらゆる感情をねじ伏せて、ただ殺意のみを鬼気に乗せる。
「覚悟のある者は示せ」
恐慌が、起きた。
吹き上がる鬼気に何を幻視したか、ムハ・サザムの軍勢は大混乱に陥った。
悲鳴とともに逃げ出そうとする者、実際に逃げ出して上官に斬られる者、逃げようとしたが腰が抜けて立ち上がれない者。
何しろ、魔法であれ矢であれ打ち消すやら弾くやらで一つとして届かなかったのだ。そんな怪物にこれでもかと威圧されて、恐怖にかられない訳がない。
「『光の槍』!」
と、兵士達の間を縫うように、閃光がショウを襲った。
ショウの心臓を貫こうと飛来した光の槍を、『汀』で打ち払う。
「ふむ、良い腕をしている」
人垣が魔術の軌跡を追うように分かたれる。
そこに居たのは、銀髪の男。
老いているようにも、まだ若いようにも見える。
「『光の槍』は人が反応出来る速度ではないのだがね」
「確かに速かった。しかしまあ、事実反応出来てしまったのだが、どうか」
「そのようだな。…その剣は魔剣か聖剣か」
魔法を打ち払う剣という事で当たりをつけたようだ。
「そのどちらでもない。魂を武器の形に抜き出したものさ」
「何、正気か」
「さあてな。さて、名乗っておこう。俺の名はショウ。ショウ=シグレ。イセリウス王国の更に東方、列島国家群の者よ」
「王国民ではないのか。ならば何故、国力の低い国に助勢するのだ」
「俺はイセリウス王の師なのでな」
「そうか。まあ良い。私も名乗るとしよう。私の名は―」
「ああ、そちらの名前は不要だ。俺の名前だけを持って黄泉路へ向かうと良い」
遮れば、男は当然ながら不愉快も極まったようだ。鼻を鳴らしてこちらを睨みつけてくる。
「不作法な。一騎打ちに名前を名乗らせないなど、私を侮辱しているのか」
「後ろが詰まっているからな。覚悟があるのはあんただけじゃあないんだ。一々覚えても仕方ない」
「貴様!」
再度の挑発に、初めて激昂した男が両手を翳した。
魔術の構成を始めているのが見える。
男との距離はそれなりに離れているが、声を飛ばせば会話出来る程度には近いのだ。
「俺が不作法ならあんたは不用心だな」
「な―!?」
魔術の構成は出来上がっていない。目の前に現れたショウに、絶句する男。
「然らば御免」
一閃して首を飛ばせば、構成が完了していなかった魔術は霧散して消えた。
吹き出る血漿を避けるように飛び退けば、足を止めていた兵士達が今度こそわれ先にと逃げ出した。
魔導将軍様が敗れたとか、化け物だとか悲鳴が飛び交っている。
そこそこ偉い人物だったらしい。
「魔獣使役はこの仁ではなかろうな。さて、後何人斬れば瓦解するやら」
『汀』を肩に担ぎあげて、ゆるゆると息を吐く。
萬里鬼笑閃で薙ぎ払ってしまうのも手なのだが、そこまでしてしまえば今度こそイセリウス王国にムハ・サザムの全力が傾注されてしまう事になる。
「さて、この辺りはおおよそ排除出来たかな」
大河ルンカラは長い。
全体から見れば、恐慌を起こした部隊はまだまだ一部に過ぎない。
上流の方を見遣れば、こちらに警戒は向けているものの変わらず砦を攻撃している。
「さて、次の将軍はどう行った御仁かな」
ショウは上流に向けて走り出した。
「さて、これで最後か」
十三人は斬ったか。
ここから上流を見ても部隊が展開されている様子はない。河はまだまだ続いているが、人の軍がどれ程巨大だとて、大陸を縦に割る河沿い全てを覆い尽くせる程の人数を動員する事は出来ない。
砦の一部に戦力を集中させて突き破るのが唯一にして無二の策だ。魔獣を使って空から攻撃を加えていたとはいえ、それはあくまで周囲の指揮を混乱させるのが目的でしかない筈だ。
周囲に敵兵の姿はない。後は追撃をするのみとなるのだろうが、ショウは奇妙な感覚に首を傾げた。
何かが足りない。
「…空でもない。河の中に仕掛けている様子もないな」
はて。
ショウは続けて視線を巡らせる。暴れ回る前の様子を思い返すが、確かに足りていない。
ムハ・サザムの軍勢は、果たして『どうやって砦を突き破る心算だった』のだろうか?
生半な兵器では突き破れない砦だ。クネン鋼を煉瓦のように積み重ねた挙句、魔法陣によって錆を防ぐわ強度を増すわとやりたい放題の外壁。壊すには、それこそ災害級の魔術を連続で撃ち込むくらいの事は必要だろう。そのような準備もないし、それこそ投石機のようなものすらない。
遠目に敵陣の方を見る。そこで、気付いた。
「…なんだあ、ありゃあ」
ショウはアルガンディア大陸の地勢には暗い。だからそこにあるそれを山だろうと勝手に思い込んでいたのだが、実際の所そこに山はないのだ。
ショウには向こうにある山のような何かが、動いているように見えた。
ようやく地響きが響いてくる。どうやら山ではなく、巨大な何かを覆っているようだ。
地響きはその何かを引いている四本足の獣の足音だ。馬ではないが、魔獣かどうかの判別までは出来ない。数えるのが馬鹿馬鹿しくなるほどの数が居る。
重低音。駆ける獣達の唸り声か、あるいは覆われている何かのものか。
「どう考えてもあれが本命だよなあ」
砦を破壊する為の手段。魔獣を操る魔法を使う皇子が率いる軍勢。
山のような巨大な覆い。
「そうかそうか。何人がかりか知らないが、『あれ』を使う為だったか」
魔獣使いと思われる指揮官は斬った中に三人程居た。皇子だけが魔獣使いではない軍なのだろう。
そう考えれば、使われた魔獣の数があまりに少ない。
だが、元々ここに居た軍勢を予め退かせる予定なのだったとしたら。
振り返ると、砦から船が幾つも下ろされていた。下流では既に河を渡っている部隊もあるかもしれない。
このままでは河岸で鉢合わせになる。
やはり当初からこれが狙いだったか。
「ちっ…拙いな」
今更渡河を止める事は出来ない。であれば、取れる手段は一つしかない。
ショウは駆け出した。
そのまま『汀』を振り抜く。
「萬里鬼笑閃!」
解き放たれた蒼の刃が、地を這うように翔ける。
それを追うように駆けるが、無論追いつく事はない。
程なく響く轟音、追うように獣の悲鳴と湧き立つ土煙。
イセリウス軍もようやく何かに気づいたらしい。怒声と怒号が背後からも聞こえてきた。
ショウは気にも留めず駆け続ける。
山の動きは止まっている。向こうがどう動くかにもよるが―
―キャアオオオオオッ!
金切声が響く。山が蠢き、自ら覆いをその『腕』で引き剥がすのが見えた。
どうやらその場所での解放を決めたらしい。或いはショウの存在が伝えられたか。
そして、ショウは足を止めて、
「…何の冗談だ、こいつは」
絶句した。
―キィィィィァァァァアァ!!
覆いはまさしく覆いだった。
山のようなその巨体をただ覆っているだけに過ぎず。
だからこそ、その違和感は度を越していた。
―山と見紛う程の巨大な猿。
あんなものが大陸には生息しているのか。
獣ではあるまいが、魔獣にしてもこれは大きすぎはしないだろうか。
「いや、そもそもあれは猿なのか」
毛深いし人のような顔はあるし、そもそも前脚を器用に使っている時点で猿の類であるのだろうと思うのだが、それにしては大きさ以外も異様に過ぎた。
冠のようなものを被せられている。毛むくじゃらの体毛を覆うように大きな布が巻いてあるが、あれはまさか服の心算か。
あれが猿であるならば、果たしてどれ程の無駄遣いというのか。
どうにも少しずれた感想を抱きながらも、ショウは再び駆け出した。
―何はどうあれ、あれを斬ってから考えよう。