合流。そして海路を往く
イセリウス王国が見える前にテリウスがその事に気づいたのは僥倖だったと言えるだろうか。
「そう言えば師匠」
「どうした?」
「この船、決まった航路しかこの速さで進めないんですか?」
「いや、船自体に加護が宿っているからそんな事はないぞ。航路の加護は海獣除けだな」
「でしたらこのままルンカラの河口付近まで進んだ方が早くありませんか」
「成程!この速さなら陸路よりも早く辿り着けるかな」
応じたのはセシウスだ。
港に下りて、山を越えて陸路を馬で二昼夜駆ける。
馬車で行けば三日はかかるか。
この船ならばルンカラの河口までは追加で一日もあれば辿り着くだろうとの試算だ。
急ぐならば確かにそちらの方が早いか。
だが、懸念すべき点もある。
「向こうは軍船を仕立てたりはしていないのか?」
これが蒼媛の加護を得た船だと言えど、軍船が待ち受ける場所に突っ込んではひとたまりもない。
「ええ。向こうの宿敵が獣の絶地であるのは変わりありませんから。帝国はアズードともイセリウスとも国交がないので、大した商船もない筈です。獣の絶地に注力している力を軍船開発に当てる余力まではないかと」
「ふむ。途中途中で確認の必要はあるが、問題ない所までは海路を選ぶとしようか」
と、話を聞いていたサンカに顔を向け、確認する。
「山霞。向こうの連中に連絡はつくな?」
「はい。交信球を持たせていますから大丈夫です」
「…ではディフィとヴィントを港で載せ、そのままルンカラに向かう進路を取ると伝えてくれ」
「分かりました。船で戦場に突っ込むという事ですね?」
「戦況とディフィとヴィントの仕上がり次第ではな」
ショウの言に頷き、サンカが離れていく。
「セシウス、テリウス。既にお前達二人の力は十分に一人前だ」
「はい」
「だが人を斬れば斬っただけ、業剣は血と相手の憎悪に満ちた魂を受けて穢れる。適度に業剣の穢れを落とさないと、お前達の魂自体が穢れていく事になる。努々忘れるんじゃないぜ」
「穢れたらどうなりますか」
「…自ら血を求める悪鬼に成り果てると言われている。蒼媛国の修業場に滝があっただろう?ああいう清浄な気配が満ちた場所でしっかりと瞑想をする事。そうすれば少しずつだが穢れが祓われる」
イセリウス王国であれば森の中や川辺、草原にもそういう場所はある筈だ。
「気をつけます。それで、一度の戦で悪鬼になる事は」
「ああ、ないない。人の魂では業剣に強く干渉する事は出来ないからな。祓いもせずに半年やら一年も業剣を使い続けていた場合の話だ。普段の瞑想でも祓われていくから過度に心配する程じゃない」
日々の鍛練を欠かさない事と、体術ではなくて鬼気の修養に努める事。業剣士にとって業剣とはもう一つの自分自身だ。普通の武具以上に大切に扱わなくてはならない。
二人は業剣士として大成する必要はないのかもしれないが、自らの身を護る為の刃とするのであれば、業剣の質を維持するのも必要な事だ。
「セシウス。テリウスはともかく、お前が前線に出る事は、この機会を除けばおそらくない」
「そうですね。…まさかルンカラから味方の陣に向かえと仰るのですか?」
「いや。王道を生きるのであれば、戦の生み出す悍ましさと虚しさを体感しておく必要はあるだろう」
内乱の折は厚く巨大な城壁によって、見下ろす形でしか見ていない二人だ。
人を斬る事を積極的に勧める訳ではない。しかし、国の為に命を懸ける兵と同じ目線に立たねば、本当の意味で戦の哀しさを知る事は叶わない。
本陣で遥か彼方の戦の趨勢だけを見て指示を出しているだけでは、盤上の遊戯と変わらないのだから。
一度で良い、自らの為に命を懸けた者の死と生に触れ、自らの首を狙う者の命と刃に挑む。
それが出来るだけの力は、既にして二人には備わっているとショウは信じていた。
「分かりました。…兵の命を国の為に消費する事の意味、しっかりと身に刻み込もうと思います」
セシウスの言に、満点だと内心で評価をつけながらも、冷たい視線でその瞳を見据える。
「分かっていると思うが、お前が背負うのはその者達が奪う命も含まれる。…その覚悟もしておけよ」
「はい!」
そういう意味では、既に戦場を知っているという点で、ヴィントはセシウス達よりも命のやり取りを知っている。
いや、暗殺されかけ、逃げていたのだからセシウスも理解はしているのだろう。とすれば、問題は。
「テリウス。お前は今回が本当に初陣だ。業剣を持たぬ者としての命のやり取りを体感していないお前が戦をどのように捉えるか。包み隠さず聞かせてもらうぞ」
「はい、師匠。…そのですね」
「ん?」
「ヴォルハート城に住んでいた頃に、ルンカラの防衛で何度か前線に…」
そう言えば彼は前線の城主の倅だった。
「ふむ。ならば敵兵を射殺した事がある、という事か」
「ええ、隣の兵士が頭を下げ遅れて逆に射抜かれたという事もありました。命を軽んじる心算はありません」
「…ならいい、済まん。お前を侮っていたな」
「そんな事はありません!…僕達が慢心したり力に溺れないように気にかけて下さっているのは分かります」
青臭い物言いだが、まあつまりその通りなのだ。
ショウは小さく笑みを浮かべると、弟子の頭を軽く叩いた。
「分かっているのなら、いいのさ」
港には既に小舟が浮かんでいた。
ディフィが綱を投げてくるので受け取る。その数、三。
二つはヴィントと、その愛馬テンペストの分である。
「久しぶりだな」
テンペストの分を受け持ったのはショウだ。軽々と引き上げると、二人の乗船を待ってそう告げる。
「ご無沙汰いたしました、師匠」
「修業の成果をお見せするのは戦地となりますね。陛下の槍となって敵陣を駆け抜けようと存じます」
挨拶を欠かさないディフィと、迫りくる戦に猛るヴィント。
この辺りは変わっていないようだが。
取り敢えずディフィに状況を確認する。
「戦況はどうなっているんだ?」
「リゼ殿を弑した事への報復だと一方的に宣戦布告をされましてね。大軍を以てルンカラに攻め寄せています。長砦を突破される事はすぐにはないのでしょうが、形勢は若干不利と聞いております」
「不利?」
聞き返したのはテリウスだった。クネン鋼を冗談のように使い、増築改築を経て強固な防壁に仕立て上げた砦があってなお不利とは、どういう事か。
「粗暴で聞こえる第三皇子が率いている部隊のようです。帝国のイセリウス方面軍は成人した皇子が半年程担当するのが通例なので、それ自体は驚く事ではないのですが」
長砦を挟んでいる以上、過度に長い期間膠着している戦場でもある。
そういう意味では、向こうとしても皇子を戦場の空気に触れさせるに適した環境なのかもしれない。
つまり、そこまでは然程警戒する事ではなかったという事になる。
「…魔法か?」
「そうです。しかも魔獣を使役する系統の。数匹の魔獣が空から強襲してくるとかで、防壁は無事ですが被害が少なくないようです」
「妙だな。大陸南方のムハ・サザムに北方大陸の魔獣を調達できる手段があるのか?」
「魔獣自体はムハ・サザムの砂漠地帯ならば未だ生息していても不思議ではないようです。あるいは召喚魔法でも使って呼び出したか…」
「ふうむ、魔法というのは何でもありなんだな」
「…師匠がそれを仰いますか?」
呆れ声で失礼な事を言うディフィ。
一旦彼が言葉を切ったからか、今度はヴィントが口を挟んできた。
「それより師匠!我々もしっかりと心の修練を積みました。業剣を使うに足るか、お試しいただきたい」
「ヴィント…」
「はい!」
「…それで不合格だったら、お前どうするの?」
「…え」
不思議な事を言う男だ。
既に戦局は不利。使えようが使えまいが戦場に向かう以上は命を懸けなくてはならないのだが。
「お前、不合格だったら船に乗ったまま取って返すのか?別段それでもかまわないが」
「いえ、あの…」
心底呆れた声を上げれば、やっとヴィントも自らの失言を理解したのか顔を青ざめさせた。
「お前の場合、セシウスやテリウスと違って、国を護る為に徹底的に前線で戦い抜く立場だよな」
「あ、いえ…まずは修行の成果をお見せしたい、と」
「だからそれは戦場で見ればいいのではないかね」
「そ、そうですね…」
と言いながらショウは先程から鬼気をヴィントとディフィにぶつけている。
少なくとも蒼媛国に居る間の修業の成果は出ているようだ。こちらの鬼気を意に介している様子はない。
ディフィは気づいているようだが、ヴィントは余程焦っているのだろう、目を白黒させて言い訳を考えてこちらの行動を気にも留めていない。
「まあいい。お前が未熟なのは理解した」
「し、師匠…」
「俺達はこのままルンカラに船で突っ込み、そこからムハ・サザムの軍勢相手に一当てだ。お前達の業剣士としての初陣だ。気合入れろよ」
後でジェック辺りにこっぴどく叱られるだろうな、等と思いつつ。
覚悟を秘めた顔で応じる弟子達を見て、少なくとも不甲斐ない結果になる者は居ないだろうと安心するショウであった。