魂の行き着く先
緋師国の社殿の奥、本殿の裏手にその石塊はあった。
名前が刻まれている訳でも、ひときわ大きい訳でもない苔むした石。
だがショウには、言われずともそれがハンジの墓であると理解出来た。
リゼもまたそうであったようで、そっと跪くと掌をその石に当てる。
「…分かりますか」
「緋師様、これは?」
「緋師に弟子入りする業剣士は皆、二刀を持った者です。それには、他国にない特性があるのです」
「片方だけが折られても死に至らない事ですね」
「そうです。長期の療養を必要としますし、場合によってはそのまま意識を取り戻さない事もありますが、半慈くらいの使い手であれば片方を折られても昏倒すれど死ぬ事はありません」
豪公との死闘の折、半慈は片方の業剣を折られて昏倒し、長い期間を眠ったまま過ごした。
目覚めるまでに必要だった魂の修復が終わるまでの期間と言われているが。
「豪公との戦いの後、半慈は意識のないまま国に運ばれました。その時に砕かれて残された業剣の欠片が、本殿の裏にあるここに埋められた訳です」
「埋められた理由は…あるのですか?」
「勿論です。片方の業剣を折られた業剣士は、長い時間を眠り続け、魂を修復します。ですが、砕かれた業剣が体に戻る訳ではないのです」
眠っている間に、新たに魂が形作られるのだと。
「魂の一部を欠損したものが、そのまま正しく癒えるのかは分かりません。他国と情報を交換できるものではありませんしね。しかし欠片とは言え、不要となったとは言えこれはその業剣士の魂なのです」
「では魂の欠片を悪用されないように、という事ですか」
「そうです。そしてこの欠片が、肉体を失った魂をここに引き寄せてくれるように」
緋師が天を見上げる。
ほんの少し前、だが惜別のその日を思い出すような瞳は空を映していない。
「半慈の体は戻らずとも、魂はここに戻りました。湘様に意地を示し、そしてその強さに憧れた自分のままに死ぬ事が出来た喜びと共に」
「魂が…戻った?」
「貴女が分かるのは、貴女のお腹に宿る命が半慈の魂を継いでいるから。湘様が分かるのは、刃を交える事で半慈の魂に触れたから」
「この子が…」
「まるで散った花弁が降り注ぐように。西から半慈の魂は還って来ました。地上にある限り言葉を交わす事はもう出来ないけれど…」
こちらに目線を戻し、にっこりと微笑む。
「私は緋師。この地を離れて天上に昇る時、赤月と半慈の魂を連れて行きます。そうすればまた、向こうで会える」
それくらいの我儘は許されているのだと。
「だからね、リゼさん。私は寂しくはないのですよ」
「私も行けるでしょうか」
「湘様はだからこそ貴女を蒼媛国の巫女としようとしているのではなくて?」
「…その辺りは説明していませんから」
「そう。本当は私の巫女になって欲しいのだけれど、ね」
それが無理なのは分かっている上で、だが諦めきれぬとばかりに述べる緋師。
自身の理由ではなくて、国情が原因であるのだから。
「国内での解決を考えておいでですか」
「というよりも、程なく終わると分かっているからです」
「終わる?」
「ええ。求道斎はもう齢百を越えております。その命が尽きれば、討鬼党は解散せざるを得ないでしょう」
「求心力がいなくなるのを待つ、か。それもまた選択の一つではあるな」
鬼神ゆえの、人の命より長い視点による判断である。火群もその考えにも一定の理解を示したようで、声音は穏やかだった。
だが、排斥派との繋がりを考えるとショウにはそれ程良い手とは思えなかった。
ショウが口を挟むまでもなく、火群はその点についても指摘する。
「だがな、熱烙。お前の兄は即席の鬼神討ちを作ったようだぞ。その意味は分かっているか?」
「つまり求道斎を喪った討鬼党が、狂れた鬼神をでっち上げて新たな鬼神討ちを『作り出す』恐れがあると仰るのですね」
「そうだな」
「その時には火群様が手を貸していただけるのでしょう?そして湘様も武神となられている事でしょう」
「…それが分かっているんだったら、いいさ」
苦笑を漏らす火群に、莞爾と微笑む緋師。
どちらにしても一年や二年先の話ではないということだ。
気の長い話である。
その晩。
社殿で歓待を受けたショウ達は、火群を残して社殿を辞した。
蒼媛国とは違う社殿は落ち着かないものだったし、社殿に住んでいる巫女達にしてみれば、ショウ達はやはりハンジを斬った仇なのだ。
アカホシも心得たもので、宿は三人分だけしか部屋を抑えていないとの事だ。
三人が宿に戻ると、そこには既にコムラが居た。数人の取り巻きを引き連れて宿の前に立っているが、宿にとって迷惑ではないのだろうか。
コムラはこちらを一瞥すると、目当ての相手が居ない事を訝しんだのだろう。
「闘神様は?」
「社殿にお泊りだよ。あんたの託は俺が承る事になっている。求道斎の爺さんがどこでお待ちか教えてくれれば良いぜ」
「…貴様に教える心算はない」
「何故だね?」
首を傾げると、コムラは獰猛な憎悪の籠った目でこちらを見てきた。
好かれていない事は理解していたが、これ程強い意志を向けられるとは思っていなかった。
「貴様が祖父様と会えば、祖父様を害する恐れがある」
「ふむ」
「卑劣にも五十人もの業剣士を餌に豪公を消耗させて討ち取ったような男が。祖父様と同じく鬼神討ちを名乗る事も許しがたいと言うに」
「なっ!」
「止しなテリウス。ならば今からでも社殿に登って直接伝えてくると良い。俺達はもう休む、どきな」
激しそうになる弟子を抑えて、あくまでも冷静にショウは話を終えようとした。
だが、その態度も気に入らないのかコムラは更に食い下がってくる。
「貴様みたいな似非がこの国に居られては国が不名誉を被るのだ。明日の朝にでもとっととこの国を出ていけ」
「だからそれは火群様に直接伝えろよ。俺は火群様の依頼でここに来ているんでな。俺達の用件はもう済んだから、火群様の用が済んだら言われずとも早々に帰るよ」
「ち、闘神様の覚えが良いからと偉そうに」
「いい加減にしろ、貴様!」
テリウスが我慢ならなかったのかとうとう激昂する。
この程度の雑言で怒っているようでは精神修練が足りていないような気もするが。
ともあれ罵倒されているのはショウなのだ。少しくらいの意趣返しは許されるだろう。
「止せ止せ、テリウス。祖父の威光に頼らなければ言葉も吐けない俗物相手に騒ぐなよ」
「何だと!」
「あんたが俺を嫌っているのは、あんたの大事な『爺様頼み』が俺には今いち通じないからだろ?確かあんたも六十過ぎていたよな、いい加減自分自身の引き出しを使ってみたらどうだい」
「この若造がっ…」
「あんたは求道斎の爺さんの弟子だったな」
「だからどうした!」
「狂おうが狂うまいが、鬼神様は俺達業剣士を育ててくれた家族であり師匠なんだよ。鬼神討ちなんて肩書はそういう方たちを斬り伏せた結果の、師匠殺し、家族殺しの証だ。あんたが思っているような輝きなんてありゃあしない。誇るものでもない」
ショウの言葉に、コムラは少なからず驚いたようだった。
あるいは似たような言葉を祖父から聞いた事があったのかもしれないと思いつつ、言葉を重ねる。
「求道斎の爺さんがあんた達にどう伝えているかは知らないが、少なくとも善當さん。あんたは鬼神様への感謝と尊敬の念が足りてないと思うが、どうか」
「…鬼神討ちにはそれがあるのか」
「さあな。少なくとも俺は先代豪公殿を斬った事を誇った事はないがね」
もういいだろう、と視線で告げると、存外素直にコムラは退いた。
宿に入ろうとしたショウの背に向けてか、まるで独り言のように告げてくる。
「…我々の道場の裏手の山に庵がある。祖父様は明日一日そちらに居られる」
「了解、確かに伝えておこう」
素直ではないが、腐り切ってもいないようだ。
ショウはそう判断すると、宿の主人に名前を告げた。