仕切り直して旅立つ日
ムハ・サザム帝国と獣の絶地の停戦の儀式については、ショウは特に関わらなかった。
永年の対立関係にあった両者が手を結び合い、邪神の配下に挑む。
この場の主役はダインだ。獣の絶地の伝説にもムハ・サザム帝国の伝説にも、獣の絶地を踏破して自ら停戦を申し出た英雄的な皇子として名を遺すことだろう。
仕事を終えた一行は、今度はムハ・サザム帝国を横断してイセリウスへと戻った。帝都ではダイクがセシウスを招いて、獣の絶地、ムハ・サザム、イセリウスの三か国の代表が手を取り合う姿を民衆の前に示してみせた。
宴も終わり、今度こそイセリウスへの帰途につく一行。大河ルンカラまでは特に荒事に出会うこともなく、落ち着いた道行きだった。
大河の長砦に到着したところに、いくつかの人影があった。
「師匠!」
テリウスとアイだ。護衛にジェックが付き従っているが、それ以外の人影はない。
「湘様!」
手を振るアイに手を振り返して、ショウはセシウスを担ぐようにすると、軽々と大河の長砦に飛び移った。
「待たせたな、二人とも。将軍、無事に」
「助かりました、王師殿」
何を、誰をとは言わない。セシウスは少しだけ驚いたようだったが、ショウがその身を下ろした時には既に落ち着いていて、ジェックに静かに頷いてみせた。
「王師殿。いろいろと話を伺いたいが……」
「事は成ったよ。俺は汀どのを待たせているのであちらに戻る。詳しい話が終わったら、テリウスをこちらに寄越してくれればいい」
「分かりました。皆様はこのままアズードへ出立されるのですか?」
「ああ。闘神様のご依頼だからな。済まないがテリウスを借りる」
「王師殿の弟子として送り出したのですから、それは構いませんよ。……アズードに入られましたら、イセリウス家をお頼りください。アズードでは没落しておりますが、まだ家の体は為している様子です。何かのお役には立てることでしょう」
完全な棒読みで、セシウスに扮したテリウスが言う。
少しくらいは腹芸の類も教えてやるべきかなと思いつつ、ショウは笑顔で礼を言う。
「感謝する。現地でどのような形になるかは分からないが、その厚意は借りておくよ」
「あちらは亜人が迫害される土地です。王師殿と媛様であればあちらで悪い扱いはされないでしょうが、逆に亜人たちの力が必要になることがあっても、彼らはお二人には心を開かないでしょう。テリウスがその時に皆様の助けになれば幸いです」
「ああ。テリウスが危険なことにならないよう、こちらも気を配るとも」
ジェックの言葉には、次男を心配する父親の情があった。
子ども扱いになにやら思うところがあったのか、テリウスが奇妙な表情をしている。セシウスに扮している今は言いたいことも言えないので複雑なようだ。
「では、先に戻る。テリウス、後で」
ショウはそう言い残してふたたび大河の長砦から跳んだ。
テリウスは随分と鬱屈しているようだったので、きっと喜び勇んで出てくることだろう。
見下ろせば、ルンカラを一艘の手漕ぎ舟が大河の長砦に向かっていた。置いてきたヴィントだ。これも修行だと思っているのか、自分で漕いでいる。こちらに気付いたのか、見上げて楽しそうに手を振ってきた。修行馬鹿の面目躍如だ。
「いやあ、参りましたよ師匠」
砂漠を走る馬車に揺られ、一同は一路再び獣の絶地に向かっている。
サンカとダインは苦笑いで、ヴィントと入れ替わりでテリウスについてきたディフィは我関せずといった様子だ。ディフィはイセリウス本家への支援金を託されたとのことで、どうやら何年かに一度、送金なりして交流はあるらしい。
「アイ殿とは何もなかったのか、とセシウスのやつ、笑顔で業剣を抜いてくるんですよ? そんなに心配なら獣の絶地に僕をセシウスの影武者として行かせてくれればいいんですよ!」
「まあ、獣の王と顔を合わせるのに、お前がセシウスのふりをしていたら問題だったよ」
「そうなのですか。それなら……いやしかしそれでも……」
ぶつぶつと呟くテリウス。
よほど窮屈な生活を強いられていたようで、テリウスはもう二度と影武者などやらないと息巻いていた。本来はそうなるべく教育されていたはずなのだが、たがが一度外れるともう元には戻れないという好例だろうか。
「まあ、これから獣の王と会うのだ。誰にはばかることなく、テリウス・ヴォルハートとしてあいさつすれば良いさ」
「それもそうですね。それで、師匠! 実際に一戦交えられたのですか?」
「いや、実はな……」
テリウスが今度はこちらの様子に食いついてきた。
ショウと汀が旅の様子について話すと、何とも楽しそうに相槌を打つのだ。
「ああ、ビゼフの闘技場は一度見に行きました。仮面の闘士ですか……悪鬼羅刹、なるほどそれは」
「海龍もどきですか。……なるほど、世の中には不思議な生き物が」
「獣の王の息子と殴り合って勝つとは、さすが師匠!」
そしてちらりとダインを見て、悟ったような表情をするのだ。
「……女性は怖いな、ダイン殿」
「うむ? うむ……。思い出させないでくれ、テリウス殿」
獣の絶地までの道行きを同道してくれるのはダインだけだ。国境にはテトナ・イル・チが既にいて、ダインの帰り道を護衛してくれる手筈になっている。
ミューリさえ同行していないところを見ると、国許ではその辺りの話し合いが行われているのかもしれない。
「奥方が多い立場は大変だなぁ」
「……遠からず、似たような立場になるさ」
ダインは何とも機嫌の悪い目つきでそのように不吉な予言を漏らすが、聞き咎めたのはショウの方ではなかった。
「ダイン様、もしかして旦那様に近づく不埒者について何かご存知なのですか?」
邪気のない笑顔で、汀がダインに問う。
ダインに対して疑いを持っているわけではないだろうが、その表情が持つ圧力たるや。
「い、いえそのようなことは掴んではおりませんが」
「しかし、そのような不吉なお言葉。ま、まさかムハ・サザム帝国は旦那様に女性を!?」
「まさか! そんな不敬なことをするはずが」
「では何故そのような? 何故です? 何故?」
「け、獣の絶地でホムラ様が仰っておられたではありませんか。あれ程の確信めいたお言葉、私としては信じるほかなく」
軽口のつもりだった一言が、汀に静かに追及されて。ダインが絞り出した言い訳は、何とか汀を納得させられるだけの説得力を持っていたようだ。
「そうでしたわね。……お父様も碌なことを言い出しません、本当にもう」
「まあまあ、汀どの。俺は何があっても汀どの一筋ですから」
「旦那様……」
頬を染めてすり寄ってくる汀の頭を撫でる。
ダインの恨みがましい視線で見てきた。自分の寵姫たちの気の強さを見れば、汀の性格は羨ましく思えても不思議ではないが。
ショウはその視線に構うことなく、馬車の窓から外に目をやる。
宗教国家アズードは、獣の絶地から更にはるか西に向かった先にある。
多くの神性を抱え、亜人を迫害する国家。
見たことのない国への興味と同時に、人を種族で区別するその考え方の持ち主たちとは仲良くできないだろうな、などとぼんやり考えながら。
馬車の窓からのぞく獣の絶地の緑を眺めるのだった。




