第一の修羅場
「ああ、不肖の娘はこちらに居たのか。…手間が省けた、ちょいと失礼」
にやりと笑みを浮かべたエゼン・レ・ボルは汀に断って扉を叩いた。
「不肖の娘、お前も来い」
『え?』
「重要な事だ。とにかく来な」
『はあ』
続いて出てくるルケ。
汀はサンカに留守を任せると、エゼン・レ・ボルに声をかけた。
「エゼン・レ・ボル様。私の考えが間違っていなければ、セシウス様が同行されるのは拙いのではないでしょうか」
「仲立ちをしてもらった以上、このままにしておく訳にはいかんでしょう。これからの事を考えるのであれば、知っておいて損はない」
「…それもそうですね」
エゼン・レ・ボルの対応に、どうやらセシウスが何も聞いていない事を察したのか、汀もそれ以上を続けはしなかった。
夜の廊下を静かに歩く。
獣の王の屋敷はムハ・サザム城ほどではない。ショウが思っている通りの用件だとすれば、この邸内に入口があるとは思えないのだが。
と、エゼン・レ・ボルの足が止まった。
「ここは…」
「謁見の間?」
謁見の間に繋がる大扉。朝方は開いている、大きいだけで何の変哲もない扉だ。
ふとショウは、自分の周りに居る気配以外、周辺の気配を感じ取れなくなっている事に気付いた。
「どういう仕掛けかは分からないが、感覚がずれている感じだな」
「…もう気付くとか早すぎるだろ」
意気揚々と扉を開けようとしたエゼン・レ・ボルが嫌そうな顔で振り返った。
こちらを恨みがましい目つきで見ているが、そういう様子はやはり親子ということか、ダル・ダ・エル・ラのそれによく似ていた。
「太母様の術でしょうか」
「…とある経路を通る事で、おおかかさまの大樹の根元にある部屋に繋がるんだ。ああそうか、媛様もシグレ殿もダイン・ディも向こうで体験済みだったか」
汀の問いに頷きながら大扉を押し開くエゼン・レ・ボル。
「ついでに言えば、この扉を見つける事が出来た者が仮に居たとしても、王位を一度でも受け継いだ者でなければ開く事が出来ない。暇を囲った先代同士が茶飲み話をしていた事もあるそうだ」
「…先代同士?」
疑問符を浮かべたのは、セシウスやダル・ダ・エル・ラだ。
彼らにはこの先に何があるか、思い浮かべる事すら出来ないだろう。
当たり前と言えば当たり前だが。
「入ってみれば分かるさ。さあ、開けるぞ」
大扉を押し広げる獣の王。
その奥からは眩いばかりの光が射して来て。
「そんな馬鹿な、謁見の間がこの時間にここまで明るい筈が―」
「媛様、シグレ殿、この先に何があるか、知っているの?」
「師匠…もしかして私は、ここに居てはいけないのでは」
尋常ならざる状況に慌てふためく三名を後目に、人の通れる程度の幅を開いたエゼン・レ・ボルは迷いなくその扉を通る。
「さ、入りな」
「よう、エゼン・レ・ボル。遅くなって悪かったな」
一同が異空間に入って少し経った所で、向こうからダイク達が現れた。
物珍しそうに周囲を見回していたセシウスとダル・ダ・エル・ラがそちらを一瞥し、こちらに困惑の目を向けてくる。
「構わんさ、ダイク・ジェイ。さて、どこから紹介したものかな…」
「ち、父上…」
「父上!?」
驚いたのはセシウスだ。ダインが父と呼ぶのは勿論一人しかいない。
現れたのは三名。ムハ・サザム帝国の現皇帝、ダイク・ジェイ・ムハ・サザムが護衛であるテト・ナ・イルチとその娘でありダインの正妃―現時点では、という但し書きがついてしまうが―のミラ・レ・イルチである。
ダインの狼狽も当然と言えるだろう。
「ああ、そちらの三名は初めてだな。お初にお目にかかる。ムハ・サザム帝国皇帝、ダイク・ジェイ・ムハ・サザムである」
「テト・ナ・イルチ。護衛」
「ミラ・レ・イルチですわ。ダイン様の正妃でございます」
敢えて正妃と言ったミラ・レ・イルチの顔には獰猛な笑みが浮かんでいる。
これは既にダイクが事情を説明しているのかと思ったが、視線を向ければダイクは呆れたような顔で首を横に振った。
ミラ・レ・イルチの視線はルケに固定されている。まさか本能的な何かで彼女の素性を看破したのだろうか。
「ほう…ダイク・ジェイ?」
「…まさか事前に説明する訳がないだろう?そんな事をしたら楽しみが半減してしまう」
「それもそうか。…いやはや、まさか帝国は息子の妃まで傑物だったか」
やはりか。ダインと視線を交わし合う。推測は大当たりだったようだ。無言で助けを求められるが、目を逸らして答える。
汀が関わっていればともかく、そうでもないのに火薬庫に手を突っ込む度胸は流石にショウにもなかった。
さて、それでも十分楽しそうに額に手を当てているエゼン・レ・ボル。
事情を呑み込み切れていないセシウスらを含め、一同に座るように促してから、自身も席につく。
「さて、丁寧な挨拶痛み入る。俺の隣に座っているこいつが俺の跡を取る愚息だ。ダル・ダ・エル・ラの名を与えた」
「…ダル・ダ・エル・ラです」
「そしてこいつが不肖の娘であるところのルキ・エ・トランだ。今回の和平の証としてダイン・ディに嫁がせる事にした。大事にしてやってくれ」
「当代獣の王の娘、ルキ・エ・トラン。よろしく」
ルケ、改めルキ・エ・トランは内心では動揺しているだろうに、毅然とした顔でミラ・レ・イルチの顔を見つめ返した。
少なくともショウは、彼女が新しい名前で呼ばれているのを聞いた覚えはない。
「…ルケ殿?」
「それは弟がダル・ダ・エル・ラの名を賜るまでの呼び名。今はルキ・エ・トラン。ミラ・レ・イルチ、よろしく。これからは私がダイン・ディを隣で支える」
「流石は獣の王のご息女、本家ぶった物言いですね。ダイン様の好みも、国の作法も、全て弁えているのは私の方。本家のお姫様が恥を晒すのは勝手ですけれど、ダイン様に恥をかかせるのは許し難い所ですね」
「その程度の事、学べば良い。王女としての作法は一通り修めている、問題ない」
「ルキ・エ・トラン様。私には幼い頃からダイン様と過ごした日々があります。人の夫に一目惚れをするなとは申しませんが、親の威を借りて捻じ込んでこようとする姿勢はどうかと思いますけれど」
「絆があると勝手に思い込んで、重荷になっているのも気付かないようでは程度が知れる。獣の王の一族も砂漠に出て、随分と野蛮になった」
「ふふふふふ…言うではないですか」
「ふん、時と場所を選ばずに噛み付くその姿勢は評価してあげてもいい」
冷たい笑みを浮かべ合う二人が、円卓の間の主役だ。
エゼン・レ・ボルもダイクも口を開く事も出来ず―この状況を積み上げたのは彼らの悪戯心の筈だが、この状況では傍観者に徹せざるを得ないようだ―同情的な視線をダインに向けていた。
ダイン本人は二人を止める事も出来ず、普段は見せない余裕のない表情で脂汗をだらだらと流している。
と、そんな最中も舌戦を繰り広げていたルキ・エ・トランとミラ・レ・イルチはとうとう激発した。
「…上等だァ、この女狐!このあたしに喧嘩売ったんだ、覚悟は出来ているんだろうなァ!?」
「こっちの台詞だ、虎女。お前の牙は周囲に流血を強いる。一度しっかり身の程を躾けてやらないと」
獰猛な表情で飛びかからんとするミラ・レ・イルチに、更にルキ・エ・トランが言い募る。
お互い周囲の視線が自分達に集中しているに気付いていないようだが、この状態が続いてしまっては話が進まない。
計画した二人は既に役立たない置物になっている。何事にも動じない筈のテト・ナ・イルチですら引いていた。
当事者のダインは論外だし、若手であるセシウスやダル・ダ・エル・ラに収拾を任せるのも酷だろう。
それにしても、ダインには女難の相でもあるのだろうか。
どちらがどちらになるかはともかく、正妃と第一側妃がこうも烈女の素養たっぷりでは気の休まる所もあるまい。
と、そこまで考えてふと気付いた。思わず呟きが漏れる。
「ああ、だからダインはミューリ殿を寵愛していたのか」
「ダイン様の好みは淑やかで知的な女性という事ですね、旦那様」
「!?」
汀の止めとも言える一言に二人は口論を止め、愕然とした表情でこちらに振り返った。




