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蒼媛一刀流武神傳  作者: 榮織タスク
大陸の章~獣の絶地訪問編
116/122

祭事が終わって日も暮れて

宴も終わり、観衆たちは三々五々に家路についた。

ショウに険しい目を向けていく者や畏敬の視線を向けてくる者、興奮した様子で騒ぎながら歩いている者も居れば、自分だったらどう動くかを実演しながら隣の仲間と闘い方を組み立てている者も居る。

成程、形は違えど確かに祭りの後といった雰囲気だ。


「お疲れ様でした、旦那様」

「ありがとうございます、汀どの」


舞台から降りたところで業剣を受け取り、体内に納める。

汀の笑顔は明るい。彼女もどうやら奉納試合に満足してくれたようだ。


「如何でしたか?」

「雄々しくて凛々しくて素敵でしたよ。お加減は?」

「川延屋が祭りの屋台で出す粉焼きを食べたくなりました」

「…はい?」


予想していた答えではなかったのか、可愛らしく小首を傾げる汀に苦笑で答える。


「いえね、帰り行く皆さんの姿を見ていると、蒼媛国の祭事の終わりさしを思い返してしまいまして」

「…ああ、そうかもしれませんね。聞いてしまうと私も懐かしくなってしまいました」


川延屋の粉焼きは美味しいですものね、と言いながら何かを考えている様子だったが、


「帰ったらうちの社でも奉納試合を導入してみましょうか」

「…やめておいた方が良いかと思いますよ」

「あら、何故です?」

「盛り上がりに欠けるかと」

「そうでしょうか?」

「俺が出るとして、相手になるのは緑青と涼南ぐらいでしょう?逆に鬼神の皆様相手だと俺が出ると何かと問題が」

「…それもそうですねえ。汐風しおかぜ伯父様と旦那様の試合とか、見てみたいですけれど」


ただの業剣士だった頃ならそれでも良いのだろうが、今のショウは『鬼神討かみうち』である。

奉納試合であろうと、人前で鬼神と鬼神討ちが相対するのは異名からして憚られる。


「それはまあ、汀どのと汐風の義伯父御おじごが居れば衆目を集める必要はないかなと」

「ううん…良い案だと思ったのですけれど」

「そもそも火群様が持ち帰られなかった文化ですから」


却下された割には、汀はどうにも嬉しそうな顔をしている。

群衆は減りつつあるが、まだまだ多い。もう少し人が少なくならないと屋敷に戻るのも苦労しそうだ。

ふと、汀がこちらの肩に頭を預けてきた。

成程、蒼媛国で共に過ごした祭りの事を思い出しているのだと察したショウは、黙って汀の頭を撫でるのだった。




ショウが存分に汀と甘い時間を過ごし、屋敷の寝室に戻ってみると。


「おお、お疲れ様でした師匠」


ヴィントがひどく上機嫌に出迎えてくれた。疲れもあるが、それを上回る興奮が全身を覆っている。

セシウスもダインも似たような表情だ。

あまり喜んでもらえるような結果でもなかったと思うのだが、三人にとってはショウが獣の王の跡継ぎを素手で圧倒してみせたように見えた筈だ。

歴史に残るものを見たように思っても不思議ではないか。


「ありがとう、ヴィント。…そんな目で見るのは止めてくれないか」

「し、しかし」

「あれは太母様のご意向だったからな。大人げない真似をしたものと少し反省しているんだ」

「意向?」


後ろで怪訝な顔をするダインに頷いて返し、事情を説明する。

今まで痛みを覚えた事がないという肉体の頑強さに呆れるべきか、それが獣の絶地の王子だった事に驚くべきか。

腕組みをしたセシウスが唸る。


「格上との訓練を積んでいなかった、ですか…。才能が突出し過ぎているのも問題なのですね」

「当代でも痛みを感じさせられないとは、一体どれ程の」

「元々体が頑強な分、痛み自体にも鈍かったのだろう。あるいはエゼン・レ・ボルが手加減を苦手としていたか」

「-それが正解、という事にしておいてくれ」


分析の最中にショウの後ろから聞こえてきた声は、エゼン・レ・ボルのものだった。

こちらが扉を開けると気安い様子で片手を挙げてきた彼の姿に、何となくダイクの姿が被ったのはショウだけではなかったようだ。

眉間を指で揉むダインは、もしかすると父の姿を幻視したのかもしれない。


「今日は有難う、シグレ殿。お陰で不肖の倅に勘違いを自覚させる事が出来たよ」

「お互い痛い思いをした甲斐があったかな?」

「…まったく、敵わねえな」


溜息をつくエゼン・レ・ボルの後ろに、悔しそうな顔をした不肖の倅の姿もあった。

闘志の篭った目ではあるが、憎悪のようなものは感じない。どうやらあの後しっかり話をしたようだ。


「それで、シグレ殿。あとダイン・ディ。セシウス…も当事者だな。ちょっと来てくれ」

「ふむ?」


獣の王本人が直々に声をかけてくる用事について、心当たりがあった。

セシウスまで含まれている事が驚きだったが、悪い話ではない。

となると、一人残されるヴィントの方が問題か。


「ヴィント。俺達はちょっと出てくる。済まないがこの部屋の護衛を頼みたい」

「護衛、ですか?」


怪訝な顔をするヴィントに、顔をしかめて頷く。


「そうだ。何しろ俺はそこの次期獣の王を盛大に殴り飛ばした。不快に思う者が闇に乗じて良からぬ事をするとも限らないからな」

「成程、そうかもしれませんね…分かりました!」


単純でよろしい。

ショウは安堵に表情を緩めて、ヴィントを置いて部屋を出るのだった。




「人の国の民を貶めるのは止めてもらいてえな」

「何を今更。既に良からぬ事を考えた者が闇に乗じて訪れたと思うのだが、どうか」


汀を迎えに行く最中、苦笑交じりのエゼン・レ・ボルにショウは堂々と言い返した。

一瞬きょとんとした後、理解したのか突然笑い出す。


「くくっ…、確かにそうだな。良からぬ事を考えた獣の王が貴殿らの下に訪れていたよ」

「父上!」

「…苦労するな、不肖の父親」

「言ってくれるな。これでも愛情を持って接した結果なんだぜ?」


ダル・ダ・エル・ラの過剰とも言える反応に、ショウは何となくエゼン・レ・ボルがどこまで事情を話したかを察した。


「手抜きをされたとあっては、倅も怒るだろ」

「仕方ねえだろ。俺もされたし親父も祖父さんもされたんだ。そうじゃなきゃ獣の王は老いさらばえるまで代替わりなんか出来ねえよ」

「…だろうな」


獣の王は跡継ぎが当代を打ち倒す事で継承を許可されると聞いた。

だが若さの持つ勢いだけでは、老獪な手管まで備えた当代の強さを超えられる筈がない。

獣の王ほど純化された強さを持つ一族であれば特に。


「まさか俺を打ち倒して、加減された事も気づかねえ程単純だとは思わなくてな」


やれやれと溜息をつく父親に、更に不満そうな顔をするダル・ダ・エル・ラ。


「加減される程僕は弱くは―」

「ある。俺に殴られても痛みを感じない程の体の強さはお前の才覚だが、それ以外が全くもって足りてねえ」

「む…」

「相手の力を読む洞察力もねえ、体の強さに頼り過ぎて避ける事も防ぐ事も考えてねえ、自分以上に強い打撃を打てる相手、自分より速い相手が居る事を想像してすらいねえ」

「…しかし」

「仕方がねえからおおかかさまに話をしたのさ。丁度良いからその鼻っ柱をシグレ殿に叩き折ってもらえというお言葉よ」

「へぇ」


意外と、直前に決まった事であったようだ。

それだけ、ダル・ダ・エル・ラは才能も人格も愛されているのが分かる。


「結果があの試合か」

「そうさ、ダイン・ディ。あれはおおかかさまに奉納する試合としては史上稀に見る程の情けない試合だった。だが、おおかかさまはこの度それを望まれた」

「ダル・ダ・エル・ラの無自覚な慢心を砕き、師匠の手によって格上の存在を学ばせるという事ですね」

「セシウスの言う通りだ。おおかかさまは御身の年に一度の奉納試合を楽しまれる事よりも、その慈愛を持って倅の目を覚まさせる事をお選びになった。俺は父として情けなくて涙が出る」


この言葉自体はエゼン・レ・ボルの本心だったのだろう。

苦笑いを浮かべてのものではあったが、後ろを歩くダル・ダ・エル・ラは多分に打ちのめされた顔で俯いてしまった。


「今も地上にいる神性は、総じて過保護なものだよ」

「本当にな。さて、ついたな。…シグレ殿、頼むわ」


汀達の休む部屋の前で一同は立ち止まった。

扉を数度軽く叩き、声をかける。


「汀どの。エゼン・レ・ボル殿がお呼びです。『例の件』で」

『あら、旦那様。分かりました。山霞、ルケ様。それでは暫し外させていただきますね』


扉を開けて出て来た汀は、満面に笑みを湛えていた。


「お待たせしました、旦那様。あら、皆様お揃いなのですね」

「ええ。行きましょう」

「はい」


上機嫌を絵に描いたように寄り添う汀に腕を貸す。

背後でセシウスが感じ入ったように呟く。


「神性の皆様は本当に豊かに感情を表されるのですね」


皮肉ではなく、純粋にそう言われてしまうと流石に気恥ずかしいショウなのであった。

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