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蒼媛一刀流武神傳  作者: 榮織タスク
大陸の章~獣の絶地訪問編
115/122

敗北感を刻み込んだ引き分けという結果の演出

「ぐぶぇっ…げふぅっ!」

「二百七十八」

「がふぁっ!」

「二百七十九」

「ごぶ…っ」

「二百八十」


既に抵抗らしい抵抗はなかった。

一方的に殴りつけるものの、ダル・ダ・エル・ラの体は本当に特別製であるらしい。急所を砕く勢いで殴りつけたとしても、すぐに巻き戻すように治っていく。


「獣の王というのは、皆が皆こういった体質を持つのかね」

「倅の場合は極端な例だな。それにしてもこうまで一方的になるかぁ」

「防御や回避を意識した事がないとこうなる。生来の頑強が悪い方向に余裕を与えた結果だと思う」


痛みを感じたのが本当に初めてであれば、歯を食いしばって耐えた経験がないという事だ。

獣の王の住まう獣の絶地だ。強さが至上であるこの地にて格上が居ないと言わせるのも驚くべき才覚と言うべきか。

エゼン・レ・ボルとの会話を続けながら、ショウは拳を振るい、ダル・ダ・エル・ラを徹底的に痛めつける。

無論反撃もあるが、その拳はショウの昂怒鬼神を抜くことが出来ない。

観衆は若い天才が翻弄される様子を、固唾を飲んで見守っていた。先程までの熱狂とは違い、それはそれで異様な雰囲気ではある。


「負けるものかぁっ!」


敵意か圧倒される事への悔しさか。

ダル・ダ・エル・ラに先程までの余裕ぶった態度はなく、拙いながらも避けよう、防ごうとする意識の変化は見えてきている。

だが、付け焼刃の対応に自信を持たせるほどショウも甘くはなかった。

顔面狙いの右拳を見せつけつつ、避けようと動いた相手の右脇腹に左の膝を打ち込む。

動きが止まり、意識がそちらに向いたところを逃さず右拳もそのまま振り抜く。


「二百八十六、七と」

ぅ…!ええい!」


流石に獣の王の血族だけあって、退くだけでは勝てない事を知り尽くしているようだ。

ダル・ダ・エル・ラは打撃を受けても止まらずに、治るに任せてこちらの急所に蹴りを繰り出してくる。

左膝を戻しながら半身を逸らせば蹴りの軌跡から外れて蹴り足は空を切る。左手で掬い上げるように払うと、足が浮き上がって再び隙を晒す。


「そこは打たれたくないな。汀どのが悲しむ」

「ちょ」

「二百八十…八ッ!」

「くっ!」


こちらの動きを読んだのか、ダル・ダ・エル・ラは腹を狙った一撃を防いでみせた。

両腕を交差させて受け止めた顔に一瞬喜色が浮かぶが、ショウは委細構わず拳を振り抜いた。

地面に激突したダル・ダ・エル・ラは転がってこちらから距離を取り、構えを取り直した。

随分と姿勢を戻すまでの動きが早くなってきている。


「本当に便利だな、その体」

「…嫌味にしか聞こえませんね。そうやってじわじわと体力を削ろうと」

「甚振っている心算はないよ。俺の拳は一撃で意識を刈り取れる程のものではないという事だな」

「確かにシグレ殿はおおかかさまの仰るとおり、僕より格上なのでしょうね。ですがっ」

「格がどうとかいう小理屈は要らないさ」


会話をしながら呼吸を整え、仕切り直そうとしているのだろう。

待っていても良かったのだが、そこまで上位者ぶるのはいくらなんでも自分らしくなかった。

こちらが近寄れば、だがダル・ダ・エル・ラは後ずさった。

間合いを取ろうとしたのだと思ったが、無意識だったらしい。ふと目を大きく見開き、顔が紅潮していく。

恥辱を感じたか、自分の心が退いた事が許せなかったか。

程なく激発した感情の赴くまま、恐ろしい勢いで突っ込んできた。


「うああアアッ!」

「二百八十九」


勢いは悪くなかった。だががむしゃらに過ぎた。

速いが、正直だ。合わせるように打ち込むと、今まで以上に深い感触。

だが荒れ狂うダル・ダ・エル・ラの動きを止める程ではなかったようだ。避けつつ捌きつつこちらも打撃を叩き込む。


「二百九十、九十一、二、三…っ!」

「このおおおおおおッ!!」

『おおっ』


喜色を表す太母の声が耳に届く。

ダル・ダ・エル・ラの成長を見られて喜ばしいのか、至近距離で高速の打ち合いを繰り広げる様子が眼福であるのか。

だが、感情に振り回される体は知らず疲労を貯めているものだ。


「六、七、八…」


こつこつと当ててはいるが、今度ばかりは崩れる様子がない。受ける覚悟くらいは必要と割り切る。

体勢を崩すように当てつつ、振り抜いた訳ではない半端な一撃を敢えて腕で受ける。相応の衝撃があったが、痺れた程度だ。

漸く直撃した事でわずかに気が抜けたのか、目に見えて動きが鈍る。

好機だった。鬼気を右拳に集中し、がら空きの顔面を目がけて全力で。


「三百!!」


誇張ではなく頬桁を粉砕した拳が、ダル・ダ・エル・ラの顔を変形させて地面に叩き伏せる。

悲鳴は上がらなかった。意識を寸断出来たかと一瞬期待をしたものの、相変わらずダル・ダ・エル・ラの体はあっという間に治っていく。

両手が地面を捉えた動きにはっきりした意識を感じる。感触は会心だったが、どうやらこれでもまだ足りなかったらしい。


「う、ぐぅ…」


それでも相当に効いたのは確かだったようで、ダル・ダ・エル・ラはすぐには起き上がれず、顔だけを上げてくる。

こちらを見上げるその瞳に、隠そうとして隠しきれない畏れを見て取ったところで、口を開く。


「…ここまでかな」

「む?」

「ここで切り上げたいところなのだが、どうか」


言葉は起き上がろうとするダル・ダ・エル・ラではなく、太母とエゼン・レ・ボルに対してだった。

しかし、当然ながらダル・ダ・エル・ラからは怒りの声が上がる。


「ふざ…けないで下さい…!僕は、僕はまだ…!」

「奉納試合としてはそれなりのものを示したと思っている。相手が動けなくなるまで打ち続けても構わないが、今の俺には彼の意識を刈り取る威力までは出せないようだ」

「その鎧を維持出来なくなるからでしょう!鎧を出すまでは僕の拳は効いていたし、そちらの拳は効かなかった!」

「…ああ、じゃあそういう理由にしようか」


実際のところ、昂怒鬼神はまだまだ保つ。

本当に火群と初代ダル・ダ・エル・ラのように七日七晩殴り合うとなれば分が悪いかもしれないが、そこまで続けようとしたらこの若者の心自体が木端微塵に砕けてしまうだろう。


「馬鹿にして…ッ!」

「まあ、そういう訳です太母様。俺の棄権という事でも構いませんし、御懸念の事柄も上手く手配り出来たかと思っておりますが」

『…そうですね。湘の心遣いを、私は嬉しく思います』

「ではおおかかさま。此度の奉納試合はシグレ殿、倅ともに相手を打ち倒すだけの決め手を持たぬとして引き分けであるとしたく思います。よろしいでしょうか」


頷く太母。

元々が勝敗を決する闘いではなく、太母への奉納試合である。

ダル・ダ・エル・ラの未熟を本人に突きつける事を目的にしていたのであれば、それを遵守するまでだった。

神性のなりかけとはいえ、一人の人間に叩きのめされる体験はさぞかし鮮烈であった事だろう。

太母とエゼン・レ・ボルの言葉に絶句したダル・ダ・エル・ラは、試合の終了と引き分けを観衆に告げる父の背中を呆然と見ていた。


「え…おおかか、さま…?父…上…?」

「おおかかさまは満足なされた!二名は互いに死力の限りを尽くしたと俺は信じている!」

『次代を担う二人の激闘は素晴らしいものでした。ありがとう、二人とも』

「はい、太母様」

「え、あ…は、はい。おおかかさま…」


跪いて返事をするショウに続くダル・ダ・エル・ラの声に力はない。

少々やり過ぎただろうか。

項垂れるその姿からは、次なる獣の王としての自信や威容といったものは全く感じ取る事が出来なかった。



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