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蒼媛一刀流武神傳  作者: 榮織タスク
大陸の章~獣の絶地訪問編
114/122

拳で語れ

強い。

ショウは歯を食いしばって幾度目かの衝撃に耐えながら、目の前の若い戦士を心から称賛していた。

成程、エゼン・レ・ボルが自慢する筈だ。線が細いと侮っていた訳ではないが、一撃の重さが予想を遥かに超えている。

こちらも鬼気で肉体の強度を高めているから何とか殴り合い程度にはなっているが、それは普通の人間が相手では、一度殴られれば終わる。

ウェイル―改め、二世ダル・ダ・エル・ラからは闘志が感じられるが、打ち込まれる拳からは感情の熱量を感じられない。まるで作業のように、こちらの拳を受けて、こちらに拳を当ててきている。


「ぐっ、ふ…!」


左拳に腹部を直撃され、息が詰まる。吐き出した息は大きく、咳き込む動きを抑えたものの一瞬全身が弛緩した。

軽く体が浮かされ、踏ん張りが利かなくなった。拙い。

ダル・ダ・エル・ラは好機と見たか、そのまま左拳を戻さず右の拳を無数に打ち込んでくる。

鞭のようにしなる拳は、速さを微妙に変えながら急所を打ち抜こうと襲い来る。

だがショウはその全てを両手でいなしてのけた。


「へえ」


ダル・ダ・エル・ラの口から感心するような声が漏れる。

休憩も躊躇もなく殴り合ってかれこれ半刻には及ぼうとしているが、彼が声を漏らしたのは初めての事だ。

腹筋に力を込めてめりこんでいた左拳を押し返し、足が地面を捉える。

瞬間、ショウはお返しとばかりに全力の右拳を相手の左脇腹に叩き込んだ。


「っ…!」


たたらを踏むダル・ダ・エル・ラに、今度はショウが連打を見舞う。

その全てが直撃するが、そもそも彼は防ごうという意思を見せない。鋼の糸を無数に束ねたような筋肉が、こちらの打撃を芯まで通していないのだ。

連打では通らないと見た方が良い。

そう決めたところに、間を縫って高速の拳が飛んでくる。

退けば再び主導権を握られる事になる。ショウは更に踏み込んだ。


「かは…っ」


拳が振り切られる前に額で受け、一拍遅れて拳を捻じり込む。

つい先程やられた事だが、腹部を斜め下から抉るように打ち込むと、初めてダル・ダ・エル・ラは息を吐き出した。

だが体が浮く程には食い込んでいない。打撃ではやはり分が悪いようだ。


「ふぅ、しゅぅぅ…」


だが、力を込めた一撃であれば通ることは通る。

流石に勢いが削がれたようで、ダル・ダ・エル・ラは数歩下がって大きく息を吐いた。

その隙にこちらも呼吸を整える。全身に鬼気を巡らせて傷んだ部分を癒やすよう試みる。


『見事です。湘、ダル・ダ・エル・ラ』


固唾を飲んで見守っていたのは、太母だけではなかったようだ。

どうやら二人だけではなく、台座の下の観衆にも少しの休息が許されたものらしい。口を開く太母に意識を向けたショウの耳には、各々が漏らす大息の音も聞こえてきた。


「…シグレさん、強いね。父上よりも遥かに強い」

「それはどうも。そちらも感動的な強さだ。流石初代の名を引き継ぐだけの事はある、という事かな」


ダル・ダ・エル・ラの称賛がこそばゆい。どちらかと言えば手を抜かれているのはこちらだという意識があったからだ。

軽い敗北感を覚えている。条件を受け入れたのは自分だったが、業剣がないだけでこうも不安を感じる己の心の弱さに内心で歯噛みする。

背後をちらりと見遣れば、だが汀の表情は一切崩れていない。全幅の信頼を乗せた視線は、ショウの敗北を微塵も予想していないのが分かった。


『湘よ、この子は生まれついて桁外れの治癒力を持っています。貴方の打ち込んだ無数の拳が効いていないのはその為よ』

「ほう」


それを種明かししても良いものかと思わなくもないが、本人が太母に向ける目に非難の色はない。

崇拝と憧憬を合わせた視線を送るダル・ダ・エル・ラは、先程までの表情とは打って変わって満面の笑みを浮かべて太母の言葉を待っている。


『ダル・ダ・エル・ラ。湘はあなたの人生で初めて、自分よりも強く在るかもしれない相手です。…充実した試合ですか?』

「報告します、おおかかさま。僕は今さっき初めて、腹から背中に突き抜ける不快な衝撃を受けました。これが痛みなのですね?」

『そう…痛みを覚え、理解したあなたはきっと更に強くなるでしょう。どうでしょう、一息ついてしまいましたが、まだ続けますか?』

「…シグレ殿が許してくれるならば」


ショウは驚愕を何とか表情の奥に押し込めて、胡乱な視線をエゼン・レ・ボルに向けた。

視線を受けたエゼン・レ・ボルが目を逸らすのを見て、得心する。


「成程、当て馬扱いか」

『…湘?』

「続けますよ。見下されたままで終われる程、穏やかでもない心算でしてね」


ショウは太母の言葉に少しばかり棘のある口調で返すと、エゼン・レ・ボルに再度視線を向けた。


「確認だ。鎧のようなものは構わなかったな?」

「あ?ああ。…それは構わない事にしているが…」

「昂怒鬼神」


膨れ上がる鬼気を凝縮して、全身に纏う。蒼い鎧のように変貌した鬼気はこちらの身体能力を更に高めてくれるものだ。


「ダル・ダ・エル・ラ。今から痛みと恐れを教育してやる」





「…先程までは力を抑えていたのですか」

「いや?」


単純に業剣士の技術を使う心算はなかっただけなのだが。

ショウが昂怒鬼神を使う前とは別人のように動き始めた事で、ダル・ダ・エル・ラが不満を漏らす様子に苦笑しつつ。


「がっ!」

「あくまで太母様に捧げる奉納試合だと聞いていたからな、人としての力を振るっていただけさね」

「な、ならばその力は神性の力という事ですか」

鬼神討かみうちの力さ。まだ俺は神性に成り上がってはいないものでね」


休憩前と、形勢は容易く逆転していた。

どうやら才能溢れるこの戦士は、生まれついてエゼン・レ・ボルでさえも届かない高みに立っているらしい。

痛みを知らず、その類稀な身体能力を以て相手を圧倒してきたのだろう。

太母との会話を見ても、そこに慢心がある訳ではないようだ。しかし。


「ごぶぉぉっ!」

「防ぐという行為を弱者の工夫と否定するにはまだまだ体が足りていないと思うのだが、どうか」


先程と同様に腹部への打撃。

しかし昂怒鬼神によって大量の鬼気を乗せた拳は、先程と違ってあっさりとダル・ダ・エル・ラの腹筋に突き刺さる。

拳を引けば瞬く間に快癒する。便利は便利だが、今この瞬間、本人にとってその異能は幸福なものであったかどうか。


「ぐ、このぉっ!」

「確かに人間の枠を超えてはいるようだ…が」


やっと感情を感じさせる拳が当たるが、昂怒鬼神によって影響を受けているのは、覆われている場所ばかりではない。

顔面を捉えた、会心であっただろうその一撃は、ショウの体を小揺るぎさせる事も出来なかった。


「豪公殿ほどではない」


どうだ、と言わんばかりの笑顔をみせたダル・ダ・エル・ラの表情が凍り付く。

離れようとするその横面を裏拳で張り飛ばすと、その体は吹き飛んで二度、三度と台座に叩きつけられた。


「人でありながら神性を超える。それが獣の王の一族の悲願であったと聞き及んでいる」

「ぐふ、そ、そうですとも」


腫れあがり変形した顔が異音をさせつつ元に戻る。

折れた歯も戻っている辺り、何だか一種の呪いの類ではなかろうかと思わせてしまう程の治癒力だが。

その表情を見るに、まだ心は折れていないようだ。安心する。

エゼン・レ・ボルがどう考えているかはともかく、太母の願いはおそらくこういう事だろうと勝手に解釈して。


「かつて俺が討った鬼神である豪公殿は、百身という技術の使い手でおられた」

「…それが、何か」

「格闘技術に関して言えば今の俺より卓越していた分身を、それこそ百からの数生み出すという神通力をお持ちの方であったよ」

「馬鹿な」

「俺一人に悶絶させられるような腕で、神性を超えるなどと言われてもだな」


ダル・ダ・エル・ラの目つきが鋭く細められた。

初めて構えらしい構えを取り、全身に力を巡らせている。

前傾姿勢になり、最も信頼しているであろう右の拳をこちらに叩き込もうとしているのが丸わかりだ。


「僕達の悲願を…馬鹿にするなぁぁぁっ!」

「勘違いしないでもらいたいな。俺は歴代の獣の王を舐めている訳じゃない」

「黙れぇっ!」


初めて激情の全てを乗せた拳が振り抜かれるが、ショウが狙いをつけていたのもその拳であった。

こちらの顔面を叩き潰さんとする拳めがけ、挟み込むように両拳を打ち付ける。

ぐしゃ、と。


「お前個人を舐めているんだよ、ダル・ダ・エル・ラ」

「う…あ…」


見るも無残に挟み潰された拳を見て、ダル・ダ・エル・ラの顔から血の気が引いていく。


「ぎゃあああああああッ!」


酷い音を立てながら元の形を取り戻そうとする体は、潰された瞬間と同じかそれ以上の痛みを彼に強いているのだろう。


「まだ拳は握れるか?小僧」

「う…うぅ…!まだ…まだ握れる…!」

「そうか」


だいぶ闘志は萎えたようだが、こちらへの怒りか観衆への義務感か、拳を握ってこちらを睨みつけてくるダル・ダ・エル・ラに。


「まずは理解したな?それが痛みだ」


豪公直伝の構えを取り、


「さて、ここからは恐れを教えてやる事にしよう」

「僕は恐れなど―」


言葉を遮るようにショウが一歩を踏み出すと、ダル・ダ・エル・ラの体がびくりと震えた。

悲鳴までは上げていないが、既に痛みへの恐れは心の一部を侵食し始めているようだ。


「言葉での答えは別段必要はないさ。ここは太母様への奉納試合だ、忘れるなよ」


ちらりと目を向けるが、太母もまた笑みの顔を崩してはいない。

彼女の願い通り、ショウは圧倒的格上の存在として、まだ年若い獣の王に傲然と告げた。


「言いたい事も捧げたい想いも、この場限りは拳で語れ」

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