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蒼媛一刀流武神傳  作者: 榮織タスク
大陸の章~獣の絶地訪問編
109/122

『獣の王』八世エゼン・レ・ボル

ルンカラの源流での騒ぎを最後として、一行は特に問題なくそれから十九日の行程を終えた。

唐突に森が途絶えたのだ。どうやらここは小高い丘になっているようで、素晴らしい景色を一望できた。

見渡す限り石造りの建造物。今までの森の密度からは考えられない程、広大に開けた場所。

しかしこの都を語る上で、外せないものはそれではなかった。


「あの方が、神性『太母』…」

「そう、おおかかさま。この森全ての母」

「何と…大きい」


見上げる一同の視線の先には、巨岩に寄りかかるようにして巨大な一柱の女神が座っていた。

すぐ近くに建つ巨大な宮殿よりも更に大きい。

ある程度距離があるお陰で、その様子を視界に納める事が出来ている。

緑色の髪、褐色の肌。

顔立ちは美しく、そこに在るだけで神々しい。居るだけで計り知れない安心感を与えてくれる雰囲気がここにはある。


「樹木の神性、太母様。…あの大樹に御姿を投影出来るほどの御力をお持ちなのですね」

「え?」


疑問符を浮かべたセシウスが、改めて大樹を見る。

巨岩に寄りかかるようにして眠っているように見えて、しかし実はそのように見えるだけの大樹である。樹木を見る者にそういった錯覚を感じさせるだけの存在感と力を持つ神性だということだ。

あの大樹こそが太母の社であるのだろう。

大樹以外の植物が見当たらない広い土地。大樹を囲むように作られた都は石造りの建造物。


「太母様の社の周辺には木々が生えない?」

「そう。おおかかさまの周囲には、私達が暮らす事を許されているから。食べ物は周りの森から採って来られるし、家畜を放牧出来るくらいの草原はあるけど」

「成程、これ程の都があったんだなぁ…」


ダインがぼやくように呟く。

オブエゼンも帝国の中心として非常に栄えており、劣らずに美しかった。

しかし、残念ながら規模が違う。およそオブエゼンの街が四つは入る程の広さだろうか。

外敵の侵入を許した事がないと自慢するだけの事はあった。


「まあ、ダインの所は国が乱立していた時期もあった訳だしな」

「現在も継続して、だな。獣の絶地だけではなくて、実際の所砂漠の西側諸国はアズード寄りの政策をしている関係で仲は良くない」

「おや、まだ統一していなかったのか」

「何しろ邪神の右腕があったから。邪神の砂漠から南西に進むとアズードと国境を接する国が幾つかあるんだ。こちらに降伏すればアズードとの戦が起きた時に矢面に立つからな、のらりくらりと躱しているよ」

「それも生き延びる為の工夫ってやつかね」

「さてね」

「話は済んだ?そろそろ行く」


と、ルケが歩き出した。

確かに何時までも街並を眺めていても仕方がない。ショウ達も慌てて続いたのであった。




「まずはおおかかさまに挨拶」


ルケが最初に向かったのは宮殿ではなく、太母の住まう大樹だった。

目印にはなるのだが、同時に距離感を著しく損なう程の巨大さだ。

根元までやってくると、最早巨大な木色の壁だった。

しかし、ショウと汀にとってはこの大樹には別種の思い入れがあった。


「これでこの大陸にある火群様ゆかりの土地は二ヶ所目ですね、旦那様」

「そうですね。火群様の第二の故郷という事ですから」


東国の者で、この場所に来ることが出来た者は果たしてどれだけいるのか。

しかも、太母に拝謁出来るとなれば更に一握りだろう。もしかすると火群の次くらいではなかろうか。

そんな益体もない事を考えて感動を噛み締めていると。


「第二の故郷?」


疑問に思ったのか、聞きとがめたらしいダインが聞いてくる。


「火群様が獣の絶地へ来られた事は知っているな?」

「うむ。初めて来られたのは随分とお若い時分だったそうだな」

「ああ。その当時火群様はまだ神性ではなくてな。太母様を師、この都を拠点として、神性に至る為の修行を重ねたのだ」

「ほう」

「―そして当時の獣の王の妹を娶り、その子孫の一人が俺って訳だ」


と、頭上から声がかかる。

見上げるまでもなく気付いていたショウだが、他の面々に付き合って視線を上げる。

大きめの枝の一つに座る、大柄な男。

見覚えのある、尊大さを感じさせる風貌。


「父上!おおかかさまの枝に乗るなんて!」

「なんだ、煩い奴だな。まったく、そういう所ばかり皆が皆母親に似やがる」

「不敬だと申し上げているのです!」

「俺がおおかかさまを敬う心はいつだってここにある」


ルケの小言にもどこ吹く風、と。『獣の王』八世エゼン・レ・ボルは自らの額を指さした。


「さて、改めて挨拶だ」


音もなく枝から飛び降りて、ルケの頭にぼすんと右手を置く。


「不肖の娘が世話をかけたな。八世エゼン・レ・ボルだ。貴公らを歓迎する」

「ちょっ!父上!少なくとも父上よりは不肖ではないです!」


ルケの喋り方が変わっている。どちらかというとこちらが素なのか。

父親であるエゼン・レ・ボルはルケの髪を掻き乱すようにして娘の発言を黙殺した。


「生意気だろう?一人前ぶって感情を制御しようとして、少し弄られただけでこの様じゃな」

「ぐむっ」


言葉を詰まらせるルケの頭をぽすぽすと軽く叩きながら、けらけらと笑う。

しかしふいにその視線に威圧を乗せて、こちら―と言うよりもダインを見据えた。


「さて。貴公がダイン・ディ・ムハ・サザムか」

「はい。『初めまして』陛下。ムハ・サザム帝国皇帝ダイク・ジェイ・ムハ・サザムが名代、ダイン・ディにございます」


跪き、首を垂れるダイン。

涼やかなその礼に目を細め、小さく成程と呟くエゼン・レ・ボル。


「ま、詳しい話は後だ。先ずはおおかかさまに挨拶だ」

「…だからそれは私が先に…」

「あー、煩いぞ不肖の娘。ほれ、仕事の途中だろ、しっかり案内するんだぞ」

「ぎぎぎ…」


何かに耐えるように歯を軋らせながら、ルケはこちらに引き攣った笑みを浮かべた。


「では、行く」




幹の外周を歩く。

そして、一行を先導するルケに、何故かついて来たエゼン・レ・ボルが一々口を挟んでくる。


「おい、我が娘。どこに向かっているかも教えてやらんと何故歩いているか御客に分からんではないか」

「…幹の中に、おおかかさまの座す間へ繋がる入り口がある」

「そこへ向かっているのですね」


汀が相槌を打つが、ルケは肩を怒らせて返答がない。


「おい、我が娘。媛様は東国の神性であらせられるぞ。御先祖様に連なる御方にその対応はどうなのだ」

「あ、エゼン・レ・ボル様。そのように仰っては―」

「…ごめんなさい、媛様。もう少しで着きます」

「良いのです。要らない事を言ってしまってごめんなさいね」


ショウは軽い苛立ちを覚えたが、静かに気を静めた。

恐らくこれはルケを弄っているのではない。遠回しに汀に気を回させることで、誰よりこちらを挑発しているのだ。

汀を利用するだけでも許し難いが、ここで暴発する訳にもいかない。

無言で汀の手を優しく握り、驚いた様子の彼女に片目を瞑って見せる。


「…分かりました、旦那様」


それだけでこちらの意図を理解してくれる汀どのも汀どのだな、と益体もない事を考えつつ。

エゼン・レ・ボルの方に向けてショウもまた口を開いた。


「エゼン・レ・ボル殿。先程ルケ殿が不肖の父親と言っていたようだが?」

「…おおう、そういう切り返し方をするかねシグレ殿」


髭面に獰猛な笑みを浮かべて、振り返る。

だが、こちらにはルケという得難い仲間が居るのだ。


「簡単なこと。帝国の都に単独で挑んで返り討ちに遭った一世エゼン・レ・ボル以後、行状の良くない者が獣の王になったら戒めの意味も込めてエゼン・レ・ボルの名をつけられる」

「あ、こら!」

「つまり父は祖父から不肖の獣の王と名付けられた事になる。私達からも今一つ尊敬されないのもそれが理由」

「生意気な事を!」


うがあ、と頭を掻き毟って娘を詰るが、どうも本気ではないようで迫力がない。

どうやらそういったやり取り自体も楽しんでいるようだ。

今度はこちらが成程、と内心で呟く番である。


「獣の王を名乗るだけの事はある、という事か―」


相手が誰であれ、いついかなる場所であれ、その態度を変えない度量の大きさ。

恐らくエゼン・レ・ボルも抱いているだろうが。

内心の滾りを誤魔化すには、ショウもまた少しばかり時間を要するのだった。

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