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蒼媛一刀流武神傳  作者: 榮織タスク
大陸の章~獣の絶地訪問編
107/122

水の亜人族と湖の主

大河ルンカラの源流は山地ではない。

獣の絶地の中に存在し、他国の者でその詳細を知る者は少ない。

そして、獣の絶地に住む者は源流には寄り付かず、船を使って大河を渡る。


「で、我々が船を使わない理由は何なのかね?」

「…っ、ダイン・ディの所為」

「オレの?」

「船に穴を空けられて水の中に投げ出されたら、水獣の餌食」

「水獣?」


聞き慣れない言葉に、ショウも疑問を投げかける。

ルケは頷いて応じた。


「ルンカラの源流近くに住む獣。船に乗る者は決して襲わないけれど、泳ぐ者には容赦しない」

「それは獣の絶地の亜人であっても、ですか?」

「普通の亜人はそう。ルンカラの主はおおかかさまの庇護の元にない。独立独歩の気風」

「敵対しているのですか?」

「と言うより、対等な取引。水棲の亜人も多くがルンカラの主の下に居る。獣の絶地の管理下の人達も居るけど」

「つまり、帝国側から泳いで来る者を排除する為、という事か」

「水棲の亜人だけは水獣からは襲われない。ダイン・ディを本気で暗殺する心算だったら、私ならルンカラで水棲の亜人を動かす」

「物騒な話だ」


そのまま真っ直ぐ進めれば良いのだが、そうとはいかないらしい。

ルケは少しばかり肩を落としている。


「だから源流に行く。行って話をつける」

「それにしては、ルケ殿は気が乗らないようですが…」


セシウスが言う通り、先を歩くルケは体中から不機嫌を撒き散らすようにして歩いている。

それが昨日の汀の言からなのか、ルンカラ源流に向かいたくないからなのかは、ショウにはよく分からなかったが。

ルケはこちらを振り返り、汀とショウを見つめてきた。


「行けば分かる。…だけど」

「だけど?」

「多分媛様とシグレ殿とは相容れない。気をつけてね」

「…?」


要領を得ないルケの言葉に疑問符を浮かべるが、行けば分かると言われてしまった以上ルケも最早説明をする心算はないのだろう。

変わり映えのしない景色の中、明らかに誰も使っていないだろう、道らしき場所を進む。

サンカとヴィントは無言だ。とは言え、必死の形相で歩くサンカと周囲を絶えず見回しながら歩くヴィントでは状況が違う。

サンカは明らかに疲れているのだろう、慣れない道もそうだが、むわりとした熱気も体力を奪う。少し遅れ気味のところを汀が横についている。彼女のお付きであるサンカにしてみれば悔しいものだろうが、鬼神と比べても仕方ないところではある。

ヴィントについては体力の問題ではなく、ショウが周囲から感じる視線の話をしてからずっとこの調子だ。周囲を警戒しているのだろうが、些か過剰とは思う。

しかし、ダインが万が一にも害されれば、それこそ獣の絶地と帝国の戦争は互いを滅ぼすまで止まれない事になってしまう。

その点は本人も重々分かっているようなので、口ぶりはともかく大人しいものだ。


「で…それはそれとして、オレはどうもルケ殿に避けられている気がするんだが」

「そ、そんな事ない」

「ならばいいのだが」


何とも女心は難しいものだな、と小さく呟くダイン。

ルケが挙動不審なのは昨夜の会話が原因だろうなあ、と思いながらも、ショウは聞かなかったふりをしつつ彼女の後に続くのだった。





「これは凄い!」

「はぁ…大河ルンカラの源流はこの湖なのですね」

「向こうの木々が見えない…噂には聞いていましたが」

「…あ、ああ。そうだな…」


強烈な感動を示しているのはセシウスとヴィント、サンカの三名である。

ルケは当然ながら無感動だったが、ショウにしてみると、汀がこれ以上の規模の湖を作り出した光景を見ているのでそれ程の感動はない。

ダインも同様であるようで、セシウス達に追従してはいるが感動の色は見えない。


「…何用であるか、獣の王の娘」


と、湖面がざわめき、一人の亜人が水中から顔を出した。

青みがかった肌と首筋の鰓と思しき器官を見れば、水棲に適した種族であるようだ。

顔立ちは美しい。肩から下は水中に揺らいで見えないが、女性であるのは間違いなさそうだ。


「族長、まずは挨拶を。久方ぶり」

「うむ。ルケ氏族の王女よ、わざわざの来訪痛み入る」


どうやら族長であるらしい。声は女性にしては低く、かすれ気味だ。

こちらに目を向けて、次いで目を剥いた。


「そ、そちらは…」

「異国の神性で汀様と、その旦那様であらせられるショウ様」

「お、おお…。その強い水の神気、もしや水を司る神性であらせられますか」

「はい。国許付近だけではありますが、海に縁を持つ鬼神でございます」

「鬼神…と仰ると、東国の」

「蒼媛国にて」

「これは失礼致しました。ご光臨に心よりの感謝を」


途端に族長が態度を改める。

現金なものだと思うが、そういうものだとも思うので気にもならない。


「この湖は随分と深く、広いようですね」

「はい。この湖の主は我らを守護すると同時に、湖を深く拡げて下さいました。その庇護下にて健やかに暮らす事が出来ております」

「私たちは大河を越えてエゼン・レ・ボル様にご挨拶をしたいと思っているのです。ご協力いただけますか」

「我らは無論、ご協力を致します。しかし、湖の主は頭上を船で往く事を嫌がります」


その表情に軽い陰が走ったのは気のせいか。

ショウは少しばかり不穏な空気を感じ、油断なく湖面に視線を走らせた。

果たして、この湖の主とは一体何者であるのか。


「では先ずは貴方がたの主という方にご挨拶をすればよろしいかしら」

「あ、いや…」


汀の言葉に、族長が視線を逸らす。

隣で話を聞いていたルケが、溜息交じりに告げた。


「この湖の主は、自分より上位の存在を嫌う。媛様は勿論、シグレ殿も気配が強すぎるから怪しい」

「今度はこちらが原因か…」


上手く行かないものだ。

そうなると、湖を横切る事も出来ないという事になるが。


「この湖の北端まで歩くとなると、どれくらい時間がかかるものかね」

「二十日の道行きが一月になるくらいはかかる。この湖の外周を歩くとか、時間の無駄」

「そうは言うがな…」


湖は言わば主の領地である。

太母の加護も獣の王の庇護もないという事は、裏を返せばその威光を役立てられないという事だ。

獣の絶地を間借りしていると言えなくもないから、ルケであれば強硬にこちらの意向を通す事も出来なくはないのだろう。

だが、自分達を理由に無用な軋轢が生まれるのはショウとしても本意ではない。


「心配いらない、シグレ殿」

「む?」

「感情と現実の折り合いがつかないようであれば群れの主なんて出来ない。素直に獣の王の傘下に入るべき」


ルケの言葉に、そういう事かと得心する。

挑発的な言葉も含めて推察するに、元々この湖の住人達が独立独歩を標榜しているのは彼女たちにとって都合が良くないらしい。

そして、族長の表情を見るに、湖の民自身はその選択を吝かではないと思っているようだ。


「済まぬ、ルケ氏族の王女。主は今起きている。あまり滅多な事は―」

「聞こえているならば丁度良い。自らの民を生贄と称して食らうような主、これくらい言われても―」

「…そこまでだ、ルケ殿」


水中から強い視線を感じた。どのような手段で水の中に声を届けているのかは分からないが、どうやら本当に聞こえていたらしい。

怒りの感情の塊が、随分と深い場所から競り上がって来るのが感じ取れた。

近付くにつれて、その大きさが露わになってくる。

大きく、長い何か。

これではまるで―


―父親の威光を笠に着て、随分と吼えるな、小娘!


水中から貫いてくるかのように現れた、巨大な蛇の体。

蛇の頭と、鎌首の辺りから後ろに向かうように伸びる無数の角。


「…龍?」

「いえ、海大蛇みづちの一種のようですが…」


勢いよく飛び出してきた頭が大量の水を周辺に撒き散らす。

今更水くらいでは驚かない一同、ショウの言葉を汀が訂正する。


「師匠、ミヅチとは?」

「ああ、ヴィント。海に住む魔獣の一種だな。たまに船を襲うから海原では畏れられているが、それにしても随分とでかいな。それに知恵も回るようだが」


―あのようなものと一緒にするな、我は由緒正しき海龍の子であるぞ!


ショウの言葉に苛立つような咆哮を上げる海大蛇。

当の本人が認めようと認めまいと、汀が判断したならばそれこそが正しい。


「海大蛇が何でまた淡水の湖なぞに居るのかとか、色々気になる事はあるが、取り敢えずだ」


一切の動揺もなく、ショウは海大蛇に視線を向けて堂々と切り出した。

至近距離で叫ばれると耳が痛いので、早々に切り上げたいところだ。


「この湖を横断して向こう側に渡りたい。そちらの民の協力を頼む」


少なくとも礼儀を弁えているとは思えない相手だが、ショウは最低限の礼儀として頭を下げた。


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