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蒼媛一刀流武神傳  作者: 榮織タスク
大陸の章~獣の絶地訪問編
106/122

森の夜、過去語り

夜半。

ショウは宿で割り当てられた部屋を出ると、そのまま表に出た。

セシウスとダインとヴィント、汀とサンカとルケが同室になっているから、少し離れる程度なら問題はないだろう。

虫のざわめきや葉のこすれ合う音は聞こえるが、不思議と獣の気配は感じない。

集落に入るまでずっと感じていた視線もない。漸く落ち着けるなと思っていたところに、頭上から声が落ちてきた。


「…眠れない?」

「…いや。獣の絶地の自然を堪能しようと思ってね」


宿屋に併設された小屋の屋根に座っているのは、ルケだ。

極端に気配が薄くなっているのは、警戒がゆえか、果たして別の理由か。

声が届くまで気付く事が出来なかった事に、わずかに驚く。


「どうしたの?」

「いや、声がかかるまで気付かなかった。…何かを警戒していたのか?」

「…この地にあって、私が警戒しなくてはならないものなんてない」

「それもそうだな」


獣の王の一族にとって、獣の絶地は庭のようなものだ。この地の守護者でもある彼らを害しようとする者は住人には存在しない。

そしてこの絶地の民にとっては、獣の王の一族はある種信仰の対象に近いと聞く。獣の絶地に在る者は、太母と獣の王に信仰を寄せる。セシウスの態度を見ていると、どうやらイセリウス王国内にも似たような意識は根強いようだ。


「…神性への昇華を目指していると聞いた」

「うん?」

「何故、目指そうと思ったの?」

「ふむ。多分に個人的な事だからあまり人様に聞かせるような事でもない…と言ってしまうのも少々突き放し過ぎか」


聞いてきたルケの声音に、ほんの少しだが悩みが感じ取れた。そうでなければ、例え聞かれたとてそのような事を語る心算はなかったのだが。

普段であれば『汀どのと添い遂げる為』と、本質的な話だけをして終わらせてしまう所だ。

しかし求めているのはそれではない。恐らく、時雨湘と言う個人が神性―武神への道を目指すに至った理由を知りたいのだと思われた。


「…汀どのと添い遂げる為。目的の最大はこれなんだが…」

「それだけ…?」

「いや、それだけじゃあないさ。俺にだって一応それなりの思いの変遷はある。つまらないかもしれないが、聞くかね?」


月明かりと星明かりだけの集落では、流石にルケの顔も見る事は出来ない。

純度の高い亜人である彼女からは、或いはこちらの表情まで見えているのかもしれない。

気配だけでは思いの深さまで感じ取ることは出来ないが。こちらの言葉で何か答えが出るのならば話してみるのもいいか、とも思う。


「ぜひ、聞きたい」

「…そうだな、昔を懐かしむにはいい風情だ」





「俺が師匠…汀どのの母君の元に参じた頃には、汀どのは可憐な笑顔の印象的な少女だった」

「…今は?」

「この月よりも美しい至上の女神だと思うのだが、どうか」

「…美しい女神様であるのは否定しないけれど」


ルケの言葉には軽い戸惑いと呆れが含まれていた。

続けて、と促されたのでそれ以上の言及は後にする事にして、話を続ける。


「修業を始めて暫くは顔を合わせる機会も少なかったから、汀どのの方からはあまり印象はなかったのだろうと思う。俺もその頃は業剣士として身を立てて父母を見返す事ばかり考えていた」

「…どうして?」

「俺には双子の兄が居るんだが」


預けられた当初は修行のきつさもあって、どうにも悪い方に悪い方に考えがちだったのを覚えている。


「師匠に預けられたのは俺一人。捨てられたのだと思ったものさ」


同じ年に修行に入ったのはロクショウとケイ。二年ほど遅れてスズナが入門してきた。

スズナ自身は元々巫女として預けられる予定だったと本人からは聞いていた。巫女への道を閉ざしても業剣士としての適性を伸ばさせようと思った師の考えは今もって分からない。だが、スズナの入門から五年も経った頃にはロクショウとスズナ、そして自分が当代蒼媛の三高弟と呼ばれる程度には実力を高めていたから、その人物眼は確かなものだったのだろう。


「父母の事が気にならなくなったのは、同門の仲間と打ち解けた頃からだ。俺達の使う業剣は、魂の純度と密度を重視するから、そういう不純物に近い感情は自然と削ぎ落とされたようにも思う」


父母への関心は随分と薄れたものだと思う。先頃蒼媛国に戻った折も一度も生家に顔を出す事はなかったし、ハンジを追う為に出国する前も、精々が年始の挨拶に赴くだけだった。

これがロクショウを通じてそれなりに顔を合わせる兄のセンに対しては二心なく付き合えている。

父母への情を不純物だと思いたくはないものだが、それが当時は強い負の感情だったからだろうか。


「そのままでも国許では身を立てた形だ、そのままでも良かった」


もし汀と添い遂げると思い定めなければ。今頃自分はそれなりの業剣士で居たか、或いは豪公によって撲り殺されていたかもしれない。

自分にそこまで隔絶した才があるとは思っていなかった。ただ必死だっただけだ。


「俺が汀どの…当時は媛様と呼んでいたが、媛様と最初に確り言葉を交わしたのは、今でも覚えている。葬儀の日だった」

「葬儀?」

「ああ。師匠に仕えていた巫女頭様のな。媛様はとても懐いて居られた」


汀は母の濤が守神として円熟してから生まれた。歴代の守神でも類を見ないが、濤の破天荒な行状からすると珍しい事ではないらしい。

父親は分からない。濤自身は『外の国から来た見目麗しい旅人を見初めた』と言い張っているが、真相は誰も知らないと言う。兄である汐風は『あれで意外と純情でうぶだから、そういう事はないと思うが』などと言ってはいるが。

ともあれ、ショウと汀が十を数えた年。当時の蒼媛付の巫女頭が亡くなった。名うての業剣士も居らず、当時の蒼媛国では国主に次ぐと言われた人物であった。

濤よりも遥かに年下ではあるが、真っ向から彼女を論破し反省を促せる数少ない一人だったと言うから、国民の尊崇も頷ける。

しかし、汀にとっては、優しく厳しい祖母のような人でしかなかった。ショウも修行終わりに貴重な飴玉を貰ったりと、何かと世話になったものだった。


「巫女頭様は公人であったから、葬儀には多くの者が訪れた。だが、その死の悼み方に違和感があったものさ」


何となく居たたまれなくて社殿を出た時、物陰で自らの感情を必死に押し殺していた汀を見かけた。

その様子を見た時、思わず声をかけていた。


「誰もばあ様の死を惜しむけれど、ばあ様の声を聞けなくなった事を悲しむ人はあまり居ないようだ。そう言った時に、媛様は一粒涙を流してな」

「私もそれが悲しい、と言ったのでしたよね」

「!」


やはり緩んでいるのか、あるいは思いのほか話に熱中していたのか。汀が近づいてきていた事に気付かなかったショウは、肩をびくりと震わせた。


「…汀どの」

「ルケ様に私達の馴れ初めを話しておられたのですか?」

「と言うより、俺が武神を目指すに至った理由を。汀どのとの馴れ初めは外せませんからな」

「まあ」


暗がりでも汀が照れると周囲が華やぐように感じるのはショウだけだろうか。

ルケの反応は特にない。ショウが気付かなかっただけで彼女は汀に気付いていたのかもしれない。


「旦那様。私も聞いていても?」

「構いませんよ。汀どのに聞かれて困る話をしていた訳ではないので」


とは言え、軽く話の腰が折られたのは確かだ。

一つ咳払いをしてから、再度話を始める。


「葬儀の後、師匠から守神の心得を伝えられた。負の感情を表に出してはならない、深く沈めて心穏やかに居るようにしなければならない、と」


負の感情に引きずられた鬼神は狂れる。次期守神である彼女は、まだ幼いその頃から別れを悲しむ事を許されなかった。

実際は別れにではなく、祖母を巫女としてではなく一人の女性として悼む者の少なさに悲しんでいた訳だが。


「生きている限り、負の感情を消し去る事は出来ない。ならば分かち合う事が出来れば良い」

「分かち合う…」

「俺が生きている間は良い。だが俺は定命の人に過ぎない。業剣士として己をどれ程高めても、それだけでは百五十年を生きるのが精々だ」

「それでも、十分永いと思う」

「そうだな。だが守神はそれよりも永い間、御役目を果たさなくてはならない。汀どのを残して逝くとなれば、片手落ちになるだろう?」

「…だから、神性になると?」

「ああ。汀どのが守神として恙なく御役目を終えて次代に譲り、共に手を取り合って天上に昇る為には、俺自身が神性となる必要があった。それが唯一にして無二の理由だよ」


人によっては愚かしいと言うのかもしれないが。

その為に汀と立てた一つの誓いが果たされ続ける限り、ショウは汀の為に武神の座を目指す。

ルケは思いのほか感じ入ったようだ。


「貴方は、媛様の為に…誰かの為にその道を選んだの」

「おう。まだ道半ばではあるがね。特に誰よりも強くなりたいからとか、諸人の崇拝を受けたいとかいう理由ではないよ。…多分に俗っぽい点では大差がないかもしれないな」

「いや…感動した。その目的の為に獣の王に挑むのね」

「ああ、それが気になっていたのか…。火群様のお墨付きもある、一度手合せをしたい所ではあるが、娘のルケ殿には不愉快かな」

「獣の王はこの大陸最強の戦士。むしろ殺されないといいけど…と思う」

「手厳しいな、これは」


エゼン・レ・ボルから挑む旨については聞いていたのだろうか。

だがこの考え方は獣の絶地に在る者の総意であるだろう。獣の王は最強の象徴であり、亜人の希望だ。

その血を継ぐ後継以外に敗ける事はありえないし、彼らにも許されないという事だろう。


「でも、娘として願う事があるとすれば―」

「あるとすれば?」

「もし貴方が勝つ事があっても、父を殺さないで欲しいとは思う」

「そこまで血に飢えている訳ではないよ。魂を高める為に手合せを願うという事さ。殺される心算も、敢えて殺す心算もないよ。…無論、打ちどころが悪いとかで死ぬ危険がないとは言わないが」

「そう…。それなら、私も誰も文句は言わない。頑張ってね」

「有難う。…さて、明日も森歩きなのだろうから、休むとしようか」

「ん。それがいい」


汀を伴って宿へと戻ろうとする途中で、ふと汀がルケに声をかけた。


「そうそう、ルケ様」

「なに?」

「ダイン様もセシウス様も同じくらいの大器でありましょう。父君の意向がセシウス様でありましても、ルケ様自身がダイン様に惹かれるのであればそれは無理もない事」

「なっ!?」

「ルケ様はルケ様。エゼン・レ・ボル様でも旦那様でもないのですから、貴女様自身で最良の答えを見つけてくださいね」

「わ、私は…」

「それでは、お休みなさいませ旦那様」


ルケの答えを待とうともせず。

す、とショウの頬に軽く唇を寄せて、汀は部屋に入って行った。


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