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蒼媛一刀流武神傳  作者: 榮織タスク
大陸の章~獣の絶地訪問編
105/122

獣の絶地に入る

「はじめまして。私はエゼン・レ・ボルより遣わされた者。ルケと呼んでほしい」

「うむ。よろしくな」

「よろしくお願いしますね、ルケ様」


翌朝。何食わぬ顔で名乗るルケに、ショウも汀も特に表情を変える事なく応じた。

ダインやサンカは頷いて答えるに留めたが、その名乗り方に何かを察したのか、セシウスは眉を跳ね上げた。


「ルケ殿…もしや、貴女は」

「エゼン・レ・ボルの娘。まだ次が名を受けていないから、正しく名乗れる名はない。お許しいただきたい」

「そ、それは勿論!まさかご息女がお出でになるとは」

「用件と顔ぶれを知れば自然なこと。むしろ私一人では本当は足りないくらい」


流石に獣の絶地と関わりの深いイセリウス王家だけあって、セシウスは名乗り方ひとつでルケの素性を喝破したようだ。

とは言えルケがこちらに話してきた獣の王エゼン・レ・ボルの意図までは読めていないようだ。

ショウ達としても、彼が第二妃、あるいは側室を得る事をとやかく言える筋合いでもない。何より、国同士の友好の深さを考えるとアイを押し退けてルケが正妃になってもおかしくない所を、一歩引くと本人が言っているのだ。

ある意味で、『口を出すな』と釘を刺されたに等しい。


「…放っておいた方が面白いですよね、汀どの」

「あら、旦那様は藍が不憫ではありませんの?」

「獣の絶地と火群様の生国の間で問題が起きても問題でしょう?」

「ですわね。セシウス様の男気と、緑青様の我慢強さに期待しましょう」


とは言え。

ショウと汀にしてみれば、アイを溺愛するロクショウが激昂した挙句、うっかりセシウスを斬ってしまわないかどうかの方が心配なのだった。




ビゼフの西門を抜けると、そこはすでに木々が鬱蒼と生い茂る森の中。

一面の緑、緑、緑。

乱雑に生えているようでいて、しかし薄暗くはない。きらきらと葉の間を陽光が射して、一種健康的な美しい景色を作り出している。


「森と言えばもっと薄暗いものを連想していたのだが…」


砂漠育ちのダインが感に堪えないような表情で呟く。

森の入り口付近だからかとも思うが、視界の届く限り明るさは途切れていない。


「おおかかさまの祝福があるから」

「おおかか様?」

「神性『太母』様。全ての大樹の母であり、化身であるあの方を私達は『おおかかさま』と呼ぶ」

「もしや、太母様の祝福は獣の絶地を全て覆う程なのか」

「おおかかさまに戦う力はない。けれどおおかかさまの力のお陰で私達はこの森で生きる事が出来た」


獣の絶地に在る神性は一柱しかいない。

しかしアルガンディア大陸でその名を知らぬ者はなく、その威を敬わぬ者もない。

神性『太母』。その号は名ではなく、名を知る者は当然ながら極めて少ない。

虚実定かならぬ伝承については闘神と並んで多い伝説の存在で、獣の絶地では主神として崇め奉られている。


「火群様も『絶地の御袋様』と呼んで慕っているそうだ。獣の絶地を訪れるならば挨拶を、と頼まれている」

「それは良い。おおかかさまも喜ぶ」


と、ルケは突然視線をダインの方に向けた。

足は止めずに、そのままじっとダインを見つめる。

今まで関わろうとしていなかった所にこの態度である。ダインも落ち着かないのだろう、先に声を上げた。


「…何だね?」

「その馬鹿げた度胸は買う。だけど、ここは貴方にとっては敵地」

「今はまだ、な。その状態を解消する為にここに来たのだから当然だと思うが」

「…それはそう。でも、心は理屈では押し留めきれない」

「分かっているさ。だがそれはお互い様ではないかと思うがね」

「…それもそう。とにかく、死ぬ気がなければ大人しくしておくべき」

「ああ。出来るだけ身を慎む心算だよ」

「そうして」


溜息交じりのルケが、視線を戻す。

ショウも汀も既に気付いている。セシウスは妙な緊張感を感じている程度か。

ヴィントは足元の悪さにばかり気が向いてしまっている。サンカも分かってはいないようだ。


「では今我々を包囲しているこの視線の持ち主達は、俺達に何か手出しをする心算はないという事でいいのかな」

「…色々台無し」


より大きい溜息をついたルケが、頷く。

きらきらと輝く森の清々しさとは裏腹に、向けられる視線と乗せられた感情は剣呑な物ばかりだ。


「彼らは見るだけ。だけどダイン・ディ、理解して。貴方が獣の絶地に足を踏み入れ、歩いているだけで誇りを傷つけられたと感じる者はとても多い」

「そんなに居るのかね、ここからでは全然分からないな。知覚が鋭いというのはこの景色も楽しめなくて難儀なものだな、ショウ?」

「…ルケ殿が言いたい論点はそこではないと思うのだが、どうか」


前日のルケといい、ダインといい、こちらが大変なものを背負っているような言い方は如何なものだろうか。

ショウにしてみれば、幼い時分からこれが普通なのでそこまで難儀なものでもないのだが。



ルケの後を延々と歩くが、景色には変わりがない。目印になりそうなものもない。

ある程度道らしきものがあるから歩く分にはそこまで苦労はない。ビゼフに向かう者達が踏み固めて出来たものか、石畳などで舗装されている訳ではないが。

もしここでルケとはぐれてしまえば合流できる自信はない。


「…この道はどこまで続いているんだね?」

「ビゼフへの通行証を発行している集落まで。今日はその集落で一泊する予定」


同じ景色の中を歩き続けるのは中々の苦行だ。どれだけ歩いているのかも分からなくなるし、自分が疲れている実感も感じにくくなるのだとか。

無尽蔵の体力を持つショウや神性である汀はともかく、セシウス達には思っている以上の負担となるかもしれない為だ。


「ダイン・ディが居るから野宿はしにくい。大変」

「…反論の余地はないな」


休んでいる間にダインの首を掻き斬られても困る。

周囲に遮蔽物のない所で彼を休ませるのは、流石に先程の視線を思えば危険だろう。

と、黙って歩いていたセシウスが、ふとルケの方に向けて口を開いた。


「ルケ殿」

「何?」

「ダイン殿は今までの事情はどうあれ、和平の為にここを訪れた方です。エゼン・レ・ボル陛下が訪問を受け入れられた以上、貴女のその言い方は良くないのではないでしょうか」

「…む」

「民の意志は意志として理解しておく必要はあるでしょうが、その態度を続けては父君の格を下げる事にも繋がりましょう」

「…セシウス様の言う通り。気をつける。ダイン・ディ…ダイン殿にも謝罪を」


意外と素直にセシウスの言葉を聞き入れたルケが、ダインに頭を下げる。

ダインも特に気にしてはいなかったようで、軽く頷いてそれに応じた。




「…これが、集落」


集落は木材で建てた住居が立ち並ぶ以外は、普通の村のような様子であった。

特に集落を囲う柵のようなものがないのは、害獣などへの不安がないという事か。


「獣の絶地はその永い歴史の中で、外敵の侵入を許した事がないのが自慢」

「野生の獣や魔獣に襲われたりはしないのかな」


ヴィントもウルケ城砦を見て育った為か、集落に防壁の類がないのは不可解であるようだ。


「野生の獣よりは住人の方が強い。魔獣は北で分家筋が侵入を許さない」

「分家筋?」

「獣の王の子で、王の座を継げなかった者の子孫。王ほどじゃないけど、強い」

「そういう連中が居るのか。こちらとの前線に出てきたという話は聞かないな」


ダインも分かっているのだろうが、白々しくもそう言い切る。

そんな連中が前線に出てくれば、その時点で均衡が崩れていた事だろう。


「テト・ナ・イルチも分家筋。先祖は前線に出て、そのまま亡命してしまったけれど」

「おお」


忘れていた訳ではないのだろうが、予想外の名前が出てきたのだろう、ダインが面食らったような声を上げる。


「さ、今日はしっかり休む。明日は今日より大変。何故なら―」


と、翌日の事を考えてか、ルケは神妙な表情で西を見た。


「大河ルンカラの源流を越えなくてはいけないから」

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