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蒼媛一刀流武神傳  作者: 榮織タスク
大陸の章~獣の絶地訪問編
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観察者との対話

蒼い鬼気の刃は、晴天の空へと飛び去って消えて行った。

悪鬼羅生となった者は最早生き物としても人と違う何かに成り果てているということなのか、力なく倒れた傷口からは臓腑はおろか血の一滴も流れ出てこない。

全身を覆う鬼気は霧散し、命の気配もない。死に様は不自然ではあるが、最早起き上がる事はない。

業剣を納め、背を向ける。ショウが汀に向かって笑顔で手を振ると、やっと周囲も事態を把握したらしい。

闘技場を歓声が覆った。



「いやあ、疑って済まなかった!」


上機嫌で酒を注いでくるのはユン。上等なものであるらしく、口に含むと芳醇な薫りが鼻に抜けた。

その癖酒精はそれほどでもないようで、水のように飲めてしまいそうだ。


「大したことではないさ」

「いやあ、そうは言うがね。この街に住む者達は皆あんたに心から感謝しているに違いないよ」


くい、と酒を空けると、今度は隣に座った汀が注いできた。

後ろでサンカが何か言いたそうな、そして諦めているような器用な表情でこちらを見ている。

ユンの開いたこの宴席は、本来は一同がビゼフを訪れた当日に行われる予定だったものだ。

しかし、ショウが闘技場に出るやらと言い出した関係でユン本人が動かざるを得なかった所為で、結局今日まで延びてしまっていた。

本来の主賓はセシウスとダインである筈なのだが、ユンの喜びようと酒を注ぐ順序からして、どうにもショウの方を主賓扱いしてしまっているようにしか見えない。

何か事情があると察したのはやはりダインだった。


「そこまで大仰な事かね?」

「恐らく『闘技場の決め事の範囲で黙認されているが、ここの住人からは決して許されない何か』をしでかしたのではないかな」

「御名答だ、ダイン殿。奴が『やり過ぎた』中にはエゼン・レ・ボルの叔父御も居たのだよ。正直なところ、仮面が殺した者の半数は彼の方の仇を討つ心算の者達でな」


その中にはユンの弟も居たのだと言う。


「ありがとうよ、王師殿。あんた程の人物を味方に引き入れる事が出来た陛下はまさしく名君の器だ」


今日のユンは化粧を落とし、だが強かに酒に酔った赤ら顔で陽気に騒いでいる。

だが、これもまた悼み方の一つなのだろうと。

ショウは静かに乾杯を交わし、その酒に付き合ったのである。




宴席が終わって。

自室に戻る途中、ふとショウは足を止めて口を開いた。


「…ところで、いつまで見ているだけで済ませる心算だね?」

「あら」


すぐ隣の汀も動じた様子はない。

暫くの沈黙。それを破ったのは、景色から湧き出るように突如現れた小柄な人影だった。


「…よく見破った、ね」

「視線の質がな。街に入った時から感じていたものと似ていた」

「そういえば、ユンが言ってた。鋭い。凄い」

「それ程でもないが。…それで、君は?」


声からして少女だが、落ち着いた口調は見た目以上の年齢を感じさせた。


「名乗る事は出来ない。まだ与えられていないから」

「与えられていない?」

「そう。私は獣の王の娘。後継ぎが定まるまで、名前はまだない」




獣の王の娘を名乗る少女を連れて、ショウと汀は割り当てられた部屋へと入った。

廊下で話す必要も意味もなかったからだ。

ショウと汀はそれぞれの寝台に、少女は部屋に備え付けの椅子に座ってそれぞれ向き合う。


「それで、名前がないとすると俺達は君を何と呼べば良いだろうか」

「私の事はルケとでも呼んで欲しい。私の母の氏族の名前」

「氏族の名前で呼ぶのですか?それはあまりに不敬ではありませんか」

「問題はないし、気にならない。歴代の獣の王の子は皆そう。生まれつき名前を与えられるのは、生まれた時に後継者が定まっていた時だけ」

「ふむ」


少女改めルケは、茫洋とした瞳で淡々と答えてくる。

落ち着いた口調というよりは、単純に感情の起伏が少ない性格なのかもしれないと思い直す。


「俺達…というよりは、俺を観察していたようだったが」

「…そこまで、分かったの?」

「気配に敏感なのは剣士が生き残る上で必須の才能だと思うのだが、どうか」

「それは否定しない。…でもそこまで行くと生活には難儀しそう」

「いつだってそういった知覚を鋭敏にしている訳ではないよ。今回に限って言えばただの勘だから」


それでもルケにとっては理解しがたい事であったようだ。

眉根を寄せた彼女に苦笑いで返して、話題の方向を変える。


「獣の王の手勢がセシウスやダインを観察するのならば分かる。だが、視線はずっと俺を捉えていたようだ。それで?俺はエゼン・レ・ボル王の眼鏡に適うものかね」

「…きっと適う」

「ならばよし」


獣の王エゼン・レ・ボルと顔を合わせたのは帝国で一度だけ。しかし人の身で闘神火群の名代を名乗る事を許される者に強い興味を惹かれるのは、無理もないことだろうと思う。

だが、それを素直に伝える事は出来ない。となれば、与えられた指示は限られる。


「神性を除いて最も気配の強い者を観察しろ、辺りかな」

「そう。誰を見れば良いかは風の精霊が教えてくれる。確かにショウ=シグレは精霊が騒ぐくらいには強い気配だった」

「貴女はどの程度、事情を知っているのです?」

「事情?」


首を傾げるルケに、何かを隠している様子はない。

ただ父から指示された事を忠実に守っているだけのようだ。


「今回改めて指示を受けたのは確か。でもそれはそれとして、普段から強い気配の観察は役目」

「成程な。なら気にする事もなかったか…。それで、俺達の前に姿を現したのはそれだけが用件ではないのだろう?」

「そう。改めて受けた指示の方。獣の絶地側の者として、セシウス王子の護衛につく事になった。王子が帰国して暫く経ったら側室にもなると思う」

「暫く?」


疑問符を浮かべると、ルケはそれに頷く。


「私はまだ名を与えられていないから、このまま国を離れてセシウス王子にすぐ侍る事は出来ない」

「侍るって…」

「む、少し無礼。ルケ氏族はドワーフを祖とする小柄な亜人種だから、私、これでも成人している」

「ああ、いや、失礼。と言うより、そういう意味ではないんだが…」

「大丈夫。さっき御姿を拝見した。…好み」


改めて、そういう意味ではないのだが。

頬を染めた恋する乙女の思考回路については最早何を言っても聞くまいが。

セシウスの応諾とか、アイの反応とか、ロクショウの憤怒とか。懸念材料は軽く浮かべただけで数多あるのだが、ショウは人の恋路だからと判断を放棄した。

まあ、なんとかなるだろう。


「ルケ様。夫が言いたいのは、暫くしたら名を与えられる事情だと思うのです」

「それは簡単。もうすぐ父が敗れ、獣の王が代替わりする」

「…それは、また」


あまりにも強烈な断定に、汀も絶句する。

その言葉は、獣の王の衰えを指し示す事でない事は明白だ。


「つまり、現時点で当代の獣の王より強い人物が居る、と?」

「末弟。化け物」


これもまた端的だ。

そして、帝国の地下でエゼン・レ・ボルと対話した時の言葉と重なる。


「それ程強いのかね」

「あの子はいつか人の身で神性すら超えるかもしれない」

「ほう、それはそれは―」


そこにショウに対して弟子達やダインが向けるものと同質の信頼を感じて。

ショウは破顔せずにはいられなかった。


「獣の絶地を訪れるのが、今更ながらに楽しみになってきた」


この瞬間、火群の名代であるとか、セシウスを無事送り届けるとかいった題目はショウの脳裏から消え失せ。

来るであろう獣の王と刃を交える時を思って、体が勝手に武者震いを始めるのであった。

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