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月と犬

「久しいな」


 誰も好き好んでここへ足を運んだ訳ではない。

 ララは声のした方を一瞥し、いつの間にか自分よりずっとずっと背の高くなった樹を見上げた。


「…無駄な足掻きはせんことよ。お主がこうして今も生きておるのは――」


「うるっさいな、クソじじい。一々恩着せがましいんだから」


 ララは躊躇いもなく悪態をついた。

 ここに奴がいたらきっと顔が引き攣っているんだろうなと考えて笑った。

 無論、悪態をつかれた相手は眉間にシワを寄せて苦い顔をする。


「わたしは生にも死にも興味なんてない」


 冷たい声だった。

 その声に応えるかのように木の葉がザワザワと音を立てる。


「…死は恐ろしい。だからこそヒトはワシらを憎む。世は平等にあるべきと嘆く」


 嗄れた声は特に気にした様子でもなく言った。

 それはもはやララに向けられた言葉ではなかった。


「お主がまだ生きておるのには、理由があるはずじゃ」


 そうララの背中に向かって改めて言い、老人は姿をくらました。

 ララは深い溜息をつき、樹の幹に寄りかかった。

 まるで聖なる鈴のような静かな音が聞こえる。




「森に戻らなくていいのか?」


 ララが諮問機関(ギアス)に戻ってから暫くが経つ。

 彼女の行動を内心恐れている者からすればそれは好都合だった。

 しかし中には彼のように不思議に思う者もいる。


「うん。少しだけ冬から離れようかと思って」


 フラムスは笑った。

 そして煙草を一本取り出して火を付ける。


「相変わらず捻くれてんのな。昔はそうでもなかったのに」


「…何年前の話してるの」


「さあな」


 苦笑と共に白い煙が空へ浮かび、静かに消えていった。




*****




 いつしか自分が死神みたいなものではないのかと考える日もあった。

 だから、あまり誰にも深い感情を抱いてはいけないのだと思った。


「それが新参者に与えられた初の任務って訳だ」


 ああだこうだと長ったらしい説明に飽きてきたララはそう皮肉げに言った。

 簡単に言えばただの護衛。

 裏を返せば悪知恵の働くヒトのスパイみたいなものだった。

 アンファングは眉を潜めた。


「慎重にな、呪われし光よ」






「セレーネ、君は奴をどう思ってる?」


 奴、と不愉快を隠そうとすらしない口振りだった。

 正直言ってアレクシス自体は憎しみの対象でしかなかった。

 しかし、彼女と出会えたことについてばかりは感謝していた。


「大嫌いよ、今でも。世界の発展だなんて嘘だもの」


 初めてセレーネがこの屋敷を訪れてから数年が経った。

 いつの間にか女性らしく成長した彼女とは違い、魔女は相変わらず少女の姿のままだった。

 力を持つ者同士でさえこんなにも差があるのだと妙に感心した。


「力を欲するヒトと、力を手放したいと願うわたしたち。皮肉だよね」


 ララはギュッと自分の左腕を掴みながら言った。

 長く伸びた金糸の髪を結い上げ、年季の入った白のローブを纏っている。

 彼女があの日から変わったところといえば、その髪とローブの色味くらいだろうか。

 セレーネはぼんやりとそんなことを考えていた。


「ごめん、体にも子にも悪いからこんな暗い話は終わりにしようか」


 セレーネの様子を伺っていたララはそう言うと立ち上がり、側にあったブランケットを彼女の肩に掛けた。

 うんと頷いたセレーネはそっと自分のお腹を撫でる。

 ――当然自分で願った訳でもない。

 しかし、自分の中にはもう一つの命が宿っている。

 あれ程憎み、忌み嫌っていた男との子だった。

 今でも不本意だったと言いたいところだった。


「わたしは、いつの間にか彼を愛してしまってたのかしら」


 途方に暮れたような声音で言うセレーネ。

 ララは黙ってその背中を撫でた。



 初めはただ単に彼女の力を利用したいだけだったのだろう。

 世界を自分に好都合なように力を操ろうと思っていたのだろう。

 しかし、彼はこの数年で変わってしまったとララは思う。

 あんなに欲にまみれていた顔をしていたヒトが、彼女と暮らすうちにどんどん穏やかになっていくのを見てきた。

 いつしか慈しむような目で彼女を見ている彼を、ララは知っていた。

 それは彼が彼女を愛しているのだということが分かっていたから、止める必要なんてなかった。


「アレクシス殿」


 その声に気付いた彼は、ようやく来たかとどこか安心したかのような顔をした。


「セレーネの様子は?特に変わりなかったか?」


 人の顔を見るなりこれだ、とララは笑みを零す。

 ヒトとは実に不思議な生き物だ。

 いつもしかめ面か冷淡な表情だった彼がこんな顔をするとは。


「ええ。元気にしておられますよ。気になるならご自分で見に行かれたらいいのに」


 ララがそう言うと、アレクシスははっとしたような顔をして再び手元の書物へと視線を戻した。

 暫くはどちらからも口を開くことなく、時を刻む針の音だけが響いていた。


「――わたしの父親もヒトでした」


 ふとララが言った。

 別に彼と話がしたい訳ではなかったのだが。


「もちろん、生きていられる時は違う。わたしの父親も遠い昔に亡くなりました」


 気付けばアレクシスは書物を閉じてララの話に聞き入っていた。

 ララは特に感情を込める訳ではなく、淡々と話し続けた。


「――彼女もいつしか死ぬのか?」


 そう尋ねる彼の声はとても穏やかだった。

 ララはその通りだと頷く。


「僕は、それまで彼女たちに憶えていてもらえるだろうか?」


 アレクシスはララを振り返る。

 ララは笑った。

 少なくとも自分や母親はそうだった。


「アレクシス殿がいい父親であれば、憶えていてもらえるのでは?」


 些か意地悪いような返事をしたララに、アレクシスは苦笑を零して頭を抱えた。

 彼は消すことの出来ない過去を悔いているのだろう。


 世界は僅かながらだが、確かに変わった。

 それはもちろんいい方向へだけではなく、悪い方向へもだった。

 様々な技術が進歩した反面、貧困の差は開く。

 神を信じて善を尽くす者もいれば、恨んで悪へ染まる者もいる。

 歴史はいつも同じようなことを繰り返しては新しくなっていくものだ。

 ララに出来るのはその時の流れをただ眺めているだけ。

 世界が終わってまた始まろうとも、それに関わることは決してない。


「…わたしは、ヒトが変化の生き物なのだと知ることが出来ました。それについては貴方に感謝しています」






 あの日二人の元から姿を消してから、どうなったのかララは知らなかった。

 ララにとっては昨日のような出来事ばかりだったが、いつの間にか時は流れていた。


ふと通りがかった街で耳にしたお伽話が過去に重なり、足を止める。


 ――むかしむかし、まだこの地に女神さまが生きていたころ。

 この世界には月がなかった。

 夜になればただ暗闇が広がっていた。

 それは恐ろしいオオカミが月を食べてしまったから。


 オオカミは次に女神さまを食べてしまおうとした。

 だけど、女神さまは逃げなかった。

 世界中のヒトや生き物たちを護ろうとした。


 女神さまにとっては、オオカミも護るべき存在だった。


 オオカミが女神さまを見つけ、食べてしまおうと大きな口を開けた。

 ギラリと光る牙が襲ってくる。

 しかし女神さまはそれでも微笑んでいた。

 オオカミは食べるのをためらった。


『あなたはきっと、寂しかったのね』


 女神さまがオオカミに言った。

 そして優しくオオカミの体を抱きしめた。

 オオカミの目から大粒の涙が零れた。


 やがてそれは夜空に浮かび、輝く星となった。


『わたしが夜空を照らす月になります。だから貴方は星になりなさい。そしたら寂しくなんてないわ』


 女神さまは自分とオオカミに魔法をかけた。

 するとそこに光が溢れ、散り散りになって空に登った。――





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