街と魔女と再会と
トレミアを訪れてから数日、ササラを出てからは一週間ほど経っていた。
まだ少年らには丸一日を馬車に乗り続けるのは厳しいだろうと判断したらしいララは、乗り継ぎも兼ねて色々な町で下車していた。
その度に町それぞれのもつ雰囲気に感嘆し、興味を持った目でいる二人にララは笑みを浮かべた。
自分にもこんな時期があったのだろうか。
ただ純粋に世界を捉えていた時期なんて、あっただろうか。
あったとしてもどれも遠い昔のことすぎて覚えていない。
「さあ、着いたよ。ここがエレスカ、西の黄金の街」
ララはこの街へも遠い日に訪れたことがある。
何の目的だったか、それは懐かしくもあるが思い出したくもない。
「ここに…お父さんとお母さんがいるのね!」
エリクもレイラも期待に満ちた表情をしている。
もっとも、彼らの両親がこのエレスカのどこで何をしているかまでは分からないのだが。
「ひとまず、どこか宿でも探そうか。あいにくここにはモモみたいな知り合いも居ないし」
ララはそう言って街の中心部を目指し歩き出す。
はぐれないようにと二人はその背を追いかけた。
「お嬢さん、アンタは占い師かなんかか?」
商店街へと入り、数々の露店が並んでいる通りへ差し掛かった際だった。
怪しげな石や草を並べた店の店主と思われる老婆がララに声を掛けた。
「…さあ?どうだろうね」
ララは首を傾げて答えた。
しかし老婆は尚も真剣そうな顔で言う。
「今アンタがこの店の前を通ったら、今までないほどに石が光ったんじゃ。何らかの強い力を持たねばそんなことも起こるまい」
しかし対してララは興味がないような表情でふーんと気のない返事をする。
「わしはアンタみたいな力を持った者をここで待ってたんじゃよ」
老婆は呟くように言う。
何か深い理由でもあるのかと、エリクとレイラは聞き耳を立てた。
「人違いだと思う。わたしは魔女だけど、この力は本来存在しないもの。強い力を持つ者ならこの世に他に五万とでもいるでしょ?」
「ララ!」
エリクにはララの言葉が冷たく感じた。
今まで自分やレイラを助けてくれたようにとまではいかないが、せめて話だけでも聞いてみて欲しいと思った。
「…わたしたちには、あなたが望むことは叶えられない。制約があるから。わたしたちはヒトの生命に関することに一切触れてはならないと決まってる。たとえ、それがあなたの大事な息子さんが理不尽な死にかたをしたといっても」
そう言ってララは溜息をついた。
エリクとレイラ、そして老婆は彼女の言葉に瞠目する。
一言もそんな会話は交わしていないというのにどうして分かったのだろうか、と。
「やはり、アンタはそういう力を…」
「うん、持ってる。だけどわたしたちにだってヒトの運命は捻じ曲げられないもの。そんなことが出来たなら、この世は何百年も前みたいにおかしくなるよ。それが出来るのならまず自分の運命を変えたいくらいだもの」
ララはそう言って微笑んだ。
老婆の目から涙が溢れ、頬を伝い落ちる。
何があったと周囲はざわめきたち、人々が老婆と三人の様子を伺っていた。
「あなたが出来ることは、息子さんのことを忘れないことだよ。肉体はこの世から消えても彼はちゃんとここに居てあなたを見ているもの。彼を呼ぶ声だってちゃんと聞こえてる。それに応えてくれるのは風とか草の音でしかないけれど」
先ほどとは打って変わって優しく諭すように言い、ララは店先に置いてある石の一つに触れた。
すると石はキラキラと輝きを増す。
「ところでこの石、不思議だね。お詫びに一つもらって行こうかな」
そう言って笑んだララは金貨をいくつか老婆に渡し、代わりに石を一つ手に取る。
「すまないね、お嬢さん」
まだ涙を零しながらだが、老婆はそう言ってララに向けて腰を折った。
「どうしてララにはあのお婆さんが言いたいことが分かったの?」
宿に着くなりエリクがそう言った。
ララはきょとんとして、一瞬だけ困ったような顔になる。
どうしてと言われても説明のしようがなかったのだ。
「なんとなく、だよ」
上手く説明出来る自信がなかったララは苦笑いでそう誤魔化した。
まるでヒトの強い感情が流れ込んでくるようになるのだと言っても信じる者などいない。
それは力を持つ者であろうともだ。
たしかに中には相手の感情を読むことが出来る者もいる。
しかしララはそうではない。
あくまで分かるのはヒトの強い感情のみなのだ。
エリクは納得がいかないような顔をしていたが、ララは話題を変えることにした。
「さ、宿も見つかったことだし君たちの両親を探しにいこうか」
そう言うとララは小さな袋をローブの中にしまい、杖を手にした。
*****
「決して本当の名を教えてはいけないよ」
それは幼い頃から母が口癖のように言っていた言葉だった。
いつの間にかララと呼ばれるようになった彼女が素直に頷くと、母は美しく微笑んでその華奢な手で頭を撫でてくれる。
ただ単純に嬉しかった。
「よぉ、ティアナ。嬢ちゃんも元気か?」
ある時から顔を見せるようになった男がいた。
その男は母の昔からの知り合いだという。
最初は不審に思っていたララだが、いつも男は何かしら手土産を持ってきたり、母の代わりにララを連れ出してくれた。
そうしていくうちにララも男に懐いたのだろう、いつしか彼がやってくるのが楽しみになっていた。
それは幼い記憶の中にある父親と彼とを知らず知らずのうちに重ねていたのかもしれない。
「また来たの。貴方もよく飽きないわね」
母は彼が訪れる度に溜息をついてそう言っていた。
ララは二人がどういう関係なのかは知らなかった。
一度聞いてみたことはあるが、ただの同業者だと言われただけだった。
「なあ、そろそろ光の座につく決心は出来たか?」
父親が亡くなる少し前、彼はいつになく真剣そうな表情をして母に言った。
しかし母はニコリともせずに首を横に振っていた。
「わたしにはこの子がいるもの。置いてはいけないわ」
その時も母はララの頭をそっと撫で、優しく抱き寄せた。
ララにはその時理解出来ずにいたのだが、やはり母の言葉や腕の中にいれることがただ幸せだった。
「――フラムス、もう諦めなさい。わたしは貴方たちの敵にも味方にもなれない。わたしはただあの人とこの子のために生きていきたいの」
母の頑なな言葉に男は諦めたような笑みを零し、小さく頷いた。
それから何年か経った頃だった。
「久しぶりだな、嬢ちゃん」
雑踏の中でもハッキリとその声は聞き取ることが出来た。
ララが振り返るとそこには赤銅色をした癖毛の男がいた。
あの頃と違うのは、その左目に掛けられた眼帯と頬に残された傷だろう。
ただじっとその男の姿をララは見ていた。
「――ティアナは、死んだのか?」
ズキンと左腕に痛みが走る。
あれ以来顔を合わすことがなかった彼はララを哀れむような目で見つめ、静かにそう尋ねた。
ララはその言葉に答えられずにいた。
肯定することも否定することも出来なかった。
まさかあの母が自分を呪い、同化したのだなんて言えなかった。
それは過去を知る者であれば余計に。
「なあ、俺と一緒に来ないか?」
彼の唐突な言葉にララは驚いた。
「なあに、悪いようにはしねぇさ。俺は嬢ちゃんの居場所を作ってやりたいだけで」
彼はそう言ってニッと笑い、頭の後ろで手を組んだ。
しかしララはそれでも返事をしなかった。
自分は呪われている。
この力のほとんがその呪いによって生みだされたものであり、元は母のものだった。
今では彼が必要としているのは力なのだということが分かる。
あの時一度も頷こうとしなかった母の代わりに自分の力を求めているのだ。
ララは嫌だと言おうとした。
――しかし、意に反して拒絶の声は出てこなかった。
「…いいよ。ただし、条件がある」
*****
この街へ訪れること自体が久しいのだから、この通りへ足を踏み入れるのもかなり久しくなる。
相変わらず活気に満ちており、人々は他人に興味の一つも示さない。
それは美しくもあり、時に悲しいことだ。
ララは通りにある一つの店を指差した。
それは街に入った際に通った露店とは違い、しっかりとしたレンガ造りの建物だった。
「風の噂によると、あそこの雑貨屋は数年前に街の外から来た夫婦が切り盛りしているそうだよ」
ララの言葉の意図が分かり、エリクとレイラの気持ちが逸る。
あの店に二人の両親がいるのだ。
焦る気持ちとは裏腹に、落ち着いた足取りで二人は店の前へと向かう。
「…ここに、父さんと母さんがいるんだ」
ポツリとエリクは呟く。
振り返って後ろをついてきていたレイラを見ると、彼女はやや緊張した面持ちで頷いた。
そっと雑貨屋の扉を開ける。
カランカランと明るい鐘の音が鳴り響き、中から出迎える声がした。
「――父さん!母さん!」
朧げな記憶の中の二人がそこにいた。
その顔は少し老けているようにも感じたが、間違いなかった。
「…エリク、レイラ!どうして…!」
母が驚いた顔をした。
そして二人に駆け寄ったかと思うと、ボロボロと大粒の涙を流しながら嗚咽を漏らす。
「お父さん、お母さん…会いたかったわ!」
いつの間にかレイラも瞳を潤ませていた。
奥にいたらしい父も気が付いたらしく、慌ててやってくる。
「お前たち、どうやってここまで…」
優しげな瞳で二人を見る父は、泣くまいとしているエリクの頭を撫でた。
エリクは感情が溢れそうになるのをぐっと堪え、入ってきた方の扉を示した。
「僕の命を救ってくれた人に、連れてきてもらったんだ」
そして店の中に姿のないララを探すため、扉を開ける。
「――あれ、ララ…?」
しかしどこにもララの姿はない。
キョロキョロと辺りを見渡したが、白いローブを着ている者すら見つからない。
もしかして気を遣って先に宿まで戻ってしまったのだろうか。
あるいは、と一抹の不安が胸を掠める。
「ララって…あの森の魔女のことかしら?」
母が顔を上げ、エリクに尋ねる。
エリクは頷きつつまだ彼女の姿を探していたが、見つけられなかった。