魔女と呪いと港町と
ララは考え込んでいた。
寄り道をすると言って馬車を下りた先の小さな港町をずっとうろうろしているのだが、エリクやレイラが何か話し掛けても生返事しか返ってこなかった。
「ねぇ、ララってばどうしたのかしら」
「さあ?」
ララの後ろについて歩きながら、二人は辺りを見回した。
潮の香りと海鳥の鳴き声、そして燦々と照りつける太陽。
比較的穏やかな気候のササラよりもずっと暑かった。
もしかして、ララはこの暑さでやられてしまったのではないかとさえ思えてくる。
何せ彼女が身に纏っているのはあの森にいた頃と変わらず、裾も袖も長い真っ白のローブなのである。
「――ここか」
ようやくララの足が止まる。
壁に貝殻や珊瑚、色とりどりのガラスが埋め込まれた小さな家だった。
一風変わったその家の小さな扉をララは軽く杖で叩いた。
『はいはーい』
中から陽気な女性の声が聞こえる。
くすりとララが小さく笑ったのが分かった。
「どちらさ…あ、ララ!」
扉が開き、中からその住人が顔を出した。
肩の上でフワフワと揺れる癖のある薄桃色の髪に、琥珀色の瞳。
その姿はエリクやレイラとそう変わらない年の頃に見える。
「久しぶり、モモ」
優しい笑みを浮かべて言ったララに、モモは思い切り抱きつく。
そのせいでララは少しバランスを崩しそうになる。
「ごめんごめん!――ところで、そこの二人は?ララのお友達?」
ニコニコと笑みながら、モモは首を傾げた。
ああ、とララは二人を振り返る。
「エリクとレイラだよ。いろいろあってね…エレスカまで行こうと思ってる。その前に一度、モモとジークに会っておこうと思ってね」
「エレスカ?また遠いところに行くんだねぇ…」
とりあえず中で休んで、とモモは三人を部屋の中に招いた。
「わあ…キレイ…」
レイラが瞳を輝かせる。
星や魚を象ったキラキラと輝く石がいくつも天井からぶら下がっていた。
それは風が吹いている訳でもないのにユラユラと揺れている。
「ふふ、流石は女の子ね」
モモはふわりと笑いながら言った。
そしてパチンとその小さな手の指を鳴らすと、白い机の上に四人分のコップが並んだ。
「…君も、魔女なの?」
エリクは目を丸くした。
モモはそんな彼が不思議だというようにそうよと頷く。
カップに注がれた琥珀色の飲み物に口をつけながらララが補足した。
「この二人はあのササラの出だからね、驚くのも仕方ないよ」
納得したらしいモモはなるほどねと言って同じようにカップに口をつける。
「ここは…トレミアは港町だけあっていろんなヒトが住んでるの。だから、わたしたちみたいな魔女もいるし、妖精さんたちも時々遊びに来てくれるのよ」
モモの言葉にエリクとレイラは揃って感嘆を漏らす。
それはササラでは決してあり得ないことだ。
魔女であれ妖精であれ、ササラの住人には関係ないのである。
「――ところで、ジークは相変わらず?」
カップを空にしたララが言った。
すると一瞬モモの表情が堅くなる。
「この頃…海がよく荒れるの」
ララからの問い掛けに噛み合わないようなモモの返事に、エリクとレイラは首を傾げた。
しかし、二人の間ではそれで会話が成り立っているようである。
「…そう。じゃあそろそろ会いに行かないとね」
困ったような表情でララは言った。
そして意味が解せずに混乱しかけている二人に行こうと言い、宙に魔法陣を描き始める。
「…これって」
「うん」
「お墓…?」
「――そうだよ」
ララは穏やかに笑って頷いた。
そこはすぐ真下に荒々しく波打つ海が広がっている崖の上だった。
潮風に揺れる薄紫色の花に囲まれた白い石碑には誰かの名前と数字が彫られている。
「これが、ジークだよ。モモの兄さんでわたしの…命の恩人、かな」
ララにとって余程大切な存在だったのだろうとエリクは思った。
墓石を見つめるララの顔には愛おしさと悲しさが両方存在しているように見えたからだ。
「もしかして、ララの恋人だったの?」
レイラがそう尋ねた。
途端、さあといつもの笑みを浮かべたララに誤魔化される。
どうしてなのかは分からなかったが、エリクの胸がちくりと痛んだ。
「ジーク、君はこの子たちに感謝しなきゃね。わたしがトレミアに今日来れたのも、二人がエレスカに行くからなんだよ」
ララがまるで墓石に語りかけるように言った。
するとそれに答えるかのように花が揺れる。
くすくすとララが笑った。
「君は、エリクほどキレイじゃなかったかな。ただ、わたしにとっては偉大な癒者だったけどね」
ララが言葉を紡ぐ度、崖の下で波打つ海が穏やかさを取り戻していくようだった。
これも何かの魔法なのかもしれない。
そうでないにしろ、エリクやレイラのように力を持たないヒトには不思議な出来事に変わりなかった。
「――ああ、ちゃんと紹介するよ。こっちがエリクでこっちがレイラ。二人の親を探すために一緒にエレスカに行こうと思っててね…」
ララはそう言って、二人を振り返る。
おいでと手招きされて二人は墓石の前に同じようにしゃがみ込んだ。
すると不思議だが、ふわりと柔らかい風が吹いたような気がする。
「…君とモモのこと、忘れないようにって思ってさあ」
ポツリと小さくララはそう呟いた。
その言葉が二人にはちゃんと聞き取れずにいたが、ジークに向けての言葉だったのだろうと気にせずにいた。
トレミアを出る前、モモはいろんな種類の焼き菓子をたくさんくれた。
いわく、エレスカは遠くてお腹が空くだろうから、だそうだ。
こんなに食べ切れないとララは笑いながら、持ってきた袋の中に焼き菓子をしまっていた。
これからどうするのだろう。
トレミアから次の街へ向かう馬車に揺られながらエリクは思った。
ララの力を使えば、エレスカまですぐに辿り着けると思っていたのである。
しかし実際にはララの魔法にはほとんど頼ることはなく、馬車ばかりだ。
ララ自身はそんな魔力がないと言い張っているのであるが。
「…次はね、緑の丘にある街だよ」
すっかり海辺から離れ、辺りは緑一色になってきた。
外を眺めるのにも飽きてきていた二人にララが言う。
「君はどうしてわたしがこんなにも力を使わないんだろうって思ってるね、エリク」
まるで心を読んだかのようなその言葉にエリクは慌てて首を横に振る。
もしここでララの機嫌を損ねたら、もうこの先はレイラと二人っきりでエレスカへ向かうことになるかもしれない。
そんなエリクを見て、ララはカラカラと笑ってみせた。
「子どもは素直でいいね」
「ごめん、なさい…」
「いえいえ。別に気にしてなんかないよ」
ララはそう言うと、あのトレミアの蒸し暑さの中でさえ捲り上げすらしなかったローブの袖から白い腕を出した。
その左腕を目にしたエリクもレイラも驚きが隠せなかった。
*****
力を持つ者はヒトに対して悪の念を主として、強い念を抱いてはならない。
そう決められていた。
しかしながらそれはヒトに対してのみの制約だ。
裏を返せば、同じく力を持つ者に対しては許される行為とも言える。
不幸にも、とでも言おうか。
ララには並程度ではあるが力を持つ者だった。
「…きっと彼女は、君に対する強い思いがあったんだね。それが例え愛情だとしても、ああもなってしまえば区別がつかなくなる」
そう言って琥珀色の瞳が伏せられる。
ララは自分の左腕をじっと眺めながら聞いていた。
相変わらず身体中にビリビリと痛みが走っている。
「呪いは僕の専門じゃない。だけど、乗り掛かった船とも言うしね…完全に取り去ることは出来ないだろうけど、君を助けたいと思う」
しばらく黙り込んでいた彼が、決心したかのような口調で言った。
かと思えば、彼はララの左腕に掌を当てて何かを唱え始める。
「――っ!」
ビリビリとした痛みが左腕に集中していき、ズキンと脈打つような強い痛みに変わる。
叫びたくなるほどの感覚に意識までもが朦朧としてくる。
「ごめん、すぐに終わるから」
まるで同じ痛みを感じているかのように彼の顔が歪み、額には汗が浮かんでいる。
それでも尚、彼は必死に呪文を唱え続けていた。
*****
「わたしの母親は、魔女ではなかったけれど強い力を持ってたんだ。とても美しいローレライだったんだ」
ララは窓の外をじっと眺めながら二人に話していた。
「わたしの父親はヒトだった。母親はとても愛していたんだ、父親もわたしも」
じゃあ何で呪いなんかとエリクが口を挟みそうになったのをレイラが止める。
ララは気にした風でもなく続ける。
「ヒトは母親とわたしを怖れてた。父親は騙されているんだと言って集まったヒトたちに連れ戻された。最後に会えたのは、息を引き取る直前だった」
ララが目を伏せた。
窓の外に広がる緑色の草原は、太陽の光を受けて輝いているように見える。
「父親が死んでからしばらくして、母親がおかしくなった。わたしを虚ろな目で見るようになった。そしてある日、わたしの名前を呼んで首を締めたんだ」
ララは額に手を当てる。
丁度、白いローブがかかって顔が見えなくなる。
「その時に母親の力がわたしに乗り移った。呪いという形でね」
そう呟くように言ったきり、ララは黙った。
それに今まで黙っていたエリクが口を開いた。
「――でも、僕らの中ではララはララだよ。呪われてたって、僕の命の恩人なんだよ」
ララは返事をしなかった。
しかし代わりに、いつものようなカラカラという笑い声を漏らした。
「君たちは本当にササラで生まれ育ったのかな?不思議だね」