脱走と旅立ちと
「――で?わたしは君が騙していたなんて風には思えないんだけど」
ビュウと生温い風が吹いた。
沈黙を破ったのはララの不機嫌そうな声だった。
「何をゴチャゴチャと訳の分からんことを言っている!貴様の企みは何だ!」
ララは頭を掻いた。
訳が分からないのはむしろそっちの方だと言いたくなったが、この街のヒトには自分の言葉は届かないだろう。
教会の者たちに動きを封じられているエリクは必死に何やら大人たちに言っている。
「こんな子どもにくだらないことを吹き込みやがって…」
「全く、俺たちまで騙すつもりか…力を使ってあんな姿に変えてきやがるとはな」
ガヤガヤと彼らの声が重なり、ララはうんざりした。
うっかりあの時少女に自分の足跡となるような話を零してしまったせいもあるかもしれない。
要するに、時期が悪かったのだと思った。
「きっと君たちみたいなヒトを見たら、セレーネは悲しむだろうね」
ララは冷たい声でそう言って、手短かに呪文を唱えた。
今ここで誰を相手に何を言おうとも話にならない。
少年に何か考えがあれば、またいつか森を訪れるだろう。
その時に気が向いたら少しは手伝ってやろうか。
「ララ!待ってくれ!」
転移するほんの少し前にエリクの声が聞こえた気がした。
*****
「…レイラなのか?」
しんと静まり返った暗い部屋の中にエリクの声が響く。
少し離れた場所でエリクに背中を向けて座っているレイラの肩がビクリと跳ねたのが分かった。
「…違うわ…」
レイラの声が震えている。
それは冷たい石の床が体温を奪っていくからだけではない。
「でも…」
「わたしは、エリクのこと信じてたわ」
そう言うなり、レイラは嗚咽を零した。
エリクは慌てて妹の側に近寄り、その華奢な背中を撫でた。
「疑ってごめん、レイラ。…けど、どうして僕たちがララに会うことが分かったんだろう?」
エリクは考えを巡らせる。
しかし考えても考えても何故かなんていうことは分からなかった。
「もしかしたら…わたしが、神父さまにあの話をしたからかもしれない」
まだ嗚咽交じりの声でレイラは言った。
「エリクが森に行っていた頃…月夜と犬のお話を神父さまに聞きに行ったの。そしたらどこでその話を聞いたんだって聞かれて…まさか魔女だなんて思いもしなかったし、教会に来た若い女の旅のひとに聞いたって答えたの」
言いながらレイラの嗚咽は酷くなる。
きっと自分を責めているのだろうとエリクは思った。
そしてこの妹のためにも早くこの地下室から出なくてはとも思った。
しかし、どうすれば教会の許しを貰えるのだろうか。
「お前たちには反省の色が見えんな」
不意に聞こえた自分たち以外の声に、二人は肩をすくめた。
反省の色が見えない――つまり、最初から会話を聞かれていたということなのだろうか。
コツコツとその誰かの足音が響く。
ぼんやりと暗闇に浮かんでいた姿が、次第にはっきりしてくる。
エリクは息を飲んだ。
「――…ララ!」
その名を口にした瞬間、暗い部屋に光が満ちる。
ララは不敵に笑いながら二人の側にしゃがみ込んだ。
「そういえば、思い出したんだよ。君が一度も二度も一緒だって言ってたのをね」
エリクはあっと声を漏らした。
あの時はただ、両親に会いたい一心でそんなことを言ったのだが。
まさか彼女がここへ助けに来てくれるとは思わなかった。
「でも…どうして?」
「君みたいな子どもが、わたしを騙そうとしていたなら最初から気付いてたはずだよ。わたしが撒いた種でもあるし…」
ララは声を小さくした。
ヒトの気配は今のところこの二人のものしか感じられないが、万が一のことを考えてだった。
これ以上物事を面倒にしたくなかった。
「わたしが最初にここへ来た時、教会はこの部屋にとある妖精を捕まえていてね。それがうちの森に住んでいたから連れ返しに来たんだ」
「…逃がしたってこと?」
「そう。そしてこの部屋にあったセレーネ…いや、君たちにはサファライトと言った方がいいか。とにかくその石を壊した」
ララの言葉にレイラは眉を寄せた。
この街の、特に教会の者にすればサファライトは女神の守護石としてとても大切に祀られているのだから仕方ない。
しかしララはそんなレイラの責めるような視線を受けても気にした様子はなく続けた。
「あの石は力を持つ者にとっては拷問みたいなものだよ。有無を言わさず力を吸い取られる…」
「…あなた達は、力を無くしたらどうなるの?」
レイラが恐る恐る尋ねた。
「――死ぬよ。元々の力がよほど大きなものじゃない限りは」
ララはそう答えると立ち上がった。
そして指先で空に円を描く。
その軌跡はまるで金色のインクで描いたようにキラキラと輝いている。
「さあ、そんなことより先にここから抜け出そう」
円の中にはいつの間にか様々な模様が描かれ、より強く光っていた。
エリクとレイラは互いに顔を見合わせて頷き合い、立ち上がった。
「いくよ――」
ララが何やら唱えると、円から放たれた光に身体が包まれ、その中に吸い込まれていくように感じた。
*****
「フラムス、奴をどう思う?」
さあっと風が吹き、小さな竜巻が起こったかと思えばそれはその姿を象る。
ふと隣に姿を現したその声の主にフラムスはククッと喉を鳴らした。
「ああ、まあいいんじゃないか?フローリアの嬢ちゃん辺りが駄々こねそうだがな」
その返事が意外だというような顔を彼はした。
フラムスはそれがおかしくてまた喉を鳴らす。
「お前も変わらないな、ゲイル。フォトリアのことになると…」
「――勘違いするな。奴はいつも自分の立場をわきまえずに好き勝手行動するから問題なんだ」
必死に冷静を装うゲイルに分かりやすい奴だと笑みを零しながら、フラムスは過去を思い返した。
確かに彼女はいつも諮問機関に属する身でありながら、目立つ行動が多い。
しかしそれは初めから分かっていたことであり、皆が彼女を承認したのだから今更文句を言ってもおそいのだとフラムスは思っている。
「…なあ、覚えているか?フォトリアが始めて来た時のこと」
フラムスはゲイルに尋ねた。
あれから何百年と経ったというのに、未だに鮮明に記憶に残っていた。
それはヒトによる「魔女狩り」が広く大々的に行われていた時代だった。
多くの力を持つ者達が捕らえられ、拷問され、挙句は力を奪われ死に追いやられていた。
自分達がヒトに害を与えるものではないとどれほど言ってもヒトは信じようとしない。
これより以前から、ヒトに対する制約というものは存在していたというのにである。
「こんな小娘が何の役に立つ?」
嘲るように嗄れた声がそう言い放った。
それに合わせるかのように周囲からもクスクスとかすかな笑い声が聞こえる。
「ったく、これだから頭の堅い爺さんはなぁ…」
隣でじっと押し黙っている少女をチラリと見れば、何を考えているのか僅かに口角が上がっている。
「シェン・フラムス!口には気を付けなさい!」
今度は女の声が言った。
フラムスはふっと笑みを零す。
今は仲間割れなどしている場合でもないというのに、これだから「魔女狩り」などが起こってしまうのだ。
「彼女はあのローレライの娘ですよ」
臆することなくフラムスはその場にいる全員に聞こえるように言った。
すると先程とは違ったざわめきが起こる。
少女は少女でそれがどうしたんだという顔をしていた。
「…娘、名乗り名は何という」
フラムスの一言で考えを変えたらしい老人の声は尋ねた。
その声色には渋々といった響きが含まれている。
フラムスはにやりと笑った。
「ララ」
少女は真っ直ぐに暗闇に隠されている影に向かって答えた。
「――ララ、お主を諮問機関の一員として認めよう。そしてお主には、新しい名を…ララ・フォトリアという名を授けよう」
一度周囲がしんと静まり返ったかと思うと、ぱらぱらと疎らに拍手が起こる。
「俺も最初はジジイ側だったからな」
同じく当時を思い出したかのようにゲイルは呟いた。
「知ってる。俺とお前もあの頃からしたら、丸くなったモンかねぇ」
「…さあ?」
蓄えた顎髭を撫でながら懐かしむように言うフラムスにゲイルはわざとらしく肩を竦めた。
*****
「ララ、これからどうするの?」
教会から抜け出し、三人が現れたのはララの部屋だった。
エリクの質問を聞いているのかいないのか、ララは腕組みをしてうーんと唸っている。
「…不思議な部屋ね」
レイラはキョロキョロと部屋の中を見回している。
確かに改めて見てみると、ヒトにとってはあまり身近でないものばかりだ。
しきりに考え事をしているらしいララの邪魔をしないようにとエリクはレイラと窓際にあった椅子に座ることにした。
窓の外は相変わらずの白銀の世界が広がっていて、チラホラと雪が降っている。
「――エリク、向こうにポットがあるし、この前の薬草もある。しばらく二人でお茶でもしてて」
ララはそれだけ言い残して隣の部屋に入っていく。
一体彼女は何を考えているのだろうかとも思ったが、少し時間が掛かるのかもしれないとエリクはララの言葉に従うことにした。
今からエレスカに行く、ということはララにとっては大した問題ではない。
そう、行くだけなら何の問題もないのである。
だがしかし今回の場合は少し厄介かもしれない。
「考えても今更ってやつかな…」
自嘲気味に呟いたララは、引き出しの中から小さな袋を取り出した。
特に上質な生地で出来ている訳でもなく、とても何か特別な物には見えない。
「フラムスの奴、怒るかな…いや、あいつのことだから笑うかもな」
ぶつぶつ呟きながら、その辺りに置いてある物を手当たり次第に詰め込んでいく。
「…ララ、遅いね」
カップに口をつけたレイラがじっと扉の方を見ながら言った。
それまで外を眺めていたエリクもそうだねと返事をした。
「そんなに待たせたかな?ああ、君たちみたいな子どもにしたら長い時間だった?」
エリクとレイラが見ていた扉とは真反対から声がした。
驚いてそちらを見れば、家の入り口に立つ魔女が一人。
「えっ?あ…何で?」
揃ってポカンとした表情をする二人を見て、ララは笑った。
「さあ、日が暮れないうちにさっさとエレスカに行こうか」
無造作に壁に立て掛けてある杖のうちの一本を手に取り、ララは家の外へ出ていく。
エリクとレイラも慌ててその背中を追った。