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少年と魔女と

 カラァンと何とも平和そうな鐘の音がする。

 それが鳴るのを耳にするのは、一体いつ振りだっただろう。

 それにしても昨日は早くに帰ってきたはずなのに、もうすっかり今朝は訪れていて昼下がりの陽光が部屋に射し込んできている。


「…久々の客人か。うーん、めんどくさい」


 ララは寝惚け眼を擦り、癖づいた長い髪を撫でつけてから扉を開ける。

 外の冷気が部屋に忍び込んできた。


「んん?確か君は…妖精か何かだったかな」


 自分よりも少し背丈が低い、金髪碧眼の少年だった。

 さては妖精の類いかとも思ったが、その耳は丸く、力の波動も違っている。

 ララには彼に見覚えがあるような気もしたし、ないような気もした。

 ひんやりした空気のお陰で段々と思考がはっきりしてきて、ああそうだとようやく思い出すことが出来る。


「ササラから来た?」


 ララの問い掛けに少年はこくりと頷く。

 全く、自分から訪れたくせに頑なに口を閉ざし続けるとは何様のつもりだ。


「何の用?」


 ただでさえヒトを相手にするのは面倒だというのに。

 段々とイライラし始めたララは素っ気ない声で促した。

 しかし少年はそれに臆した様子もなく言った。


「君に聞きたいことがあって来た」


 ふぅんと気のない返事をしながらも、ララは何となく話だけでも聞いてやるかという気持ちになってくる。

 今更ヒトと相入れようとも思っていないのにだ。


「寒いんじゃない?入れば」


 昼すぎとはいえ、ここは冬の森である。

 辺りの気候に影響されることのない常冬のこの場所は、年中雪に覆われているのだ。

 それにしても、ただのヒトにとっては過酷とも言えるこの森の中をこんな子どもが一人で歩いてよく辿り着けたものだと少しばかり感心する。


「どうぞ。ヒトの口に合うかは知らないけど」


 テーブルの端の方に遠慮がちにかけた少年の目の前に味のいい薬草を煎じた物を差し出した。

 少年はそれに何の疑いもなく口をつける。


「これが本当の君か。昨日とは全然違うね」


 テーブルを挟んで向こう側の窓際にある椅子に反対向きに座っているララを見て少年は言った。

 カラカラとララは笑った。


「昨日は君たちを利用したかったからね。あれから教会は――街は、どんな風だった?」


「地下に保管されてたサファライトが壊されたって騒ぎがあった」


 それは想定内のことだった。

 前回のように派手にやった訳ではないが、あの輝石はあの教会にとってはとても重要な物なのだから仕方がないだろう。


「…それで、君はわたしがこの森の魔女じゃないかと思ったんだ?それは正解だ。君は見た目通り素直で勘が冴えているね」


 ララもカップに口をつけ、一口飲んでからそう言った。

 少年に尋ねたいことや言いたいことは幾つかあったが、言葉を選ばなくてはとも思った。

 ――しかし、この瞳は記憶の中の誰かに似ている。

 ぼんやりとしか思い出せないということは、特に関わりがなかったのであろうが。


「…そんなことはどうでもいいんだ」


「そんなこと?」


 少年は下を向いた。

 ララは首を傾げる。

 その長い薄金の髪は少し絡まってはいるが、さらりと肩を滑り落ちる。


「君は、僕の両親を知っているの?」


 ララは首を傾げたままでうーんと唸った。

 少年の両親、つまりヒトの男と女だ。

 ここ十数年、ヒトを見ていない訳ではないが誰かを知っている訳でもないのでとりあえずは首を横に振っておく。

 百年単位で物事を見ているララたちには、一年というものが実に曖昧になるのである。


「君は、病気の僕を助けてくれたひとなんだ!」


 知らない訳がないといった口調で少年は言った。

 ヒト、少年、病気、金髪に碧眼――。

 ぼんやりとしていた記憶が次第にはっきりとしてくる。


「そうか、君はあの時の赤ん坊か」


 ララは自然と笑みを零した。

 それはまるで暖かな春の陽光を受ける花のように美しく見えた。

 つい見惚れてしまっていた少年は、彼女から目を逸らす。


「…君の両親は――といっても、会ったことがあるのは母親だけだけどね。今は西方のエレスカという街にいると思うよ」


「エレスカ…?」


「そう、ここからじゃなかなか遠い街だけどね」


 そう言ったララは本棚の方へ小さく呪文を唱えた。

 すると擦れるような音を立てながら、一枚の古びた羊皮紙が本棚から飛び出し、宙に浮いたかと思うと彼女の手の中に移った。

 魔法というものを生まれて初めて目にした少年は瞠目した。


「ところで少年、名前は?」


 少年の姿をチラリと見やり、小さく笑みを浮かべながらララは尋ねた。


「エリク」


 別に興味があるという訳ではない。

 命を救ったとはいえ、ヒトの子どもに何か思い入れがある訳でもない。

 ただ、何となく気が向いただけだった。


「エリク、これを」


 ララは羊皮紙を広げてエリクに手渡した。

 何も記されてはいない、ただの紙切れだ。

 エリクにはそれがとても古い物であるということ以外には特筆するような物には見えなかった。


「ララ・フォトリア・ミハ・エンデが命ずる――」


 ララの声音が変わる。

 そしてその詠唱に呼応するかのように羊皮紙は金色の光を帯びる。


「…すごい、地図だ…」


 エリクは感嘆を漏らした。

 みるみる間にただの紙切れには絵が描かれ、立体となり、動いてまでいる。

 詠唱を終えたララはいつの間にかエリクの隣にいて、コンコンと指先でテーブルを叩いた。


「君の母親の名前は?」


「カミラ…カミラ・ヒンメルブラウ!」


 ララはそっと同じ指先で宙に綴る。

 薄い金色の光が、エリクの母の名を象っている。

 それがゆっくりと地図の中に吸い込まれ、最後にララが何かを呟いた。

 エレスカと呼ばれる街が金色に輝いている。


「どういった訳か、力とはいえ魔法も完成品じゃない。全てを知ることは出来ないんだ」


 じっと地図を見つめているエリクにララは言った。


「それに…魔女には色々と制約がある。基本的にはあんまりヒトに関わってはいけないんだ」


 その言葉は真実でもあり嘘でもあった。

 少年相手にああだこうだと説明しても理解しないだろうとララは思ったのだ。


「つまりは、両親がどうしてるのか知りたいなら自分で見に行けってこと?」


「そういうこと」


 ララはテーブルに頬杖をつきながらエリクを見た。

 何やら難しい顔をして黙り込み、下を向いている。

 さて、一体この少年はどうするつもりだろうか。

 ササラからエレスカまでは馬車で向かっても丸三日ほど掛かる。

 転移の呪文でも使えるのならば一瞬で辿り着くというのに。


「エレスカまで、馬車なら三日くらいかかるよ」


 少年はどう答えるだろうか。

 それでも今すぐ両親に会いに行くと言うだろうか。

 どうして自分を置いて、遠くの街へ行ってしまったのかと二人を責める気持ちに囚われるだろうか。

 そういえば何故、あの母親はこの子どもを置いてササラを出たのだろうか。

 確かにララはあの時、子の命を救う代わりにササラを出る約束をさせた。

 しかしそれはこんな風に家族というものを引き裂くためではなかった。

 ただ単に、魔女の制約とやらに則ったやり方をしただけなのである。



「あのさ」


「んん?なに?」



 すっかり自分の思考に落ちていたが、エリクの呼び掛けにララは応えた。


「君も一緒に行ってくれない?」


「だめ」


 おずおずと言ったエリクに対して、ララはそう即答した。

 しかしエリクはどうも諦めが悪いらしい。


「どうして?魔女はヒトと関わってはいけないから?それなら何で僕の命を救ってくれたの?一度も二度も一緒じゃないか」


 一気にまくし立てるような言葉に、ララは思わず噴き出してしまう。

 なかなか面白いことを言ってくれるじゃないか、この少年は。


「ああもう、分かった分かった。わたしの負けだよ、少年」


 じっとララを見ているその金髪をぐしゃぐしゃと乱暴に撫で、ララは諦めたような口調で言った。

 ヒトという生き物がどうも好きではないが、こういう子どもは嫌いではないと思った。


「わたしはまた、君を助けた『ひと』になれるかな?」


 ふと小さな声で呟いたその言葉は、エリクの耳には届いていないようだった。




*****




「レイラ!レイラ!!」


 部屋に入ってくるなり興奮気味に自分を呼ぶ兄の声に、レイラはどうしたものかと慌てて姿を見せた。


「なによ、エリクってば」


 呼んでいるかと思えば、あちこちの棚を漁っている兄にレイラは溜息をついた。


「父さんと母さんに会いに行くんだ!レイラも一緒に行くよね?」


「父さんと母さん…?でも二人は…」


 一体何を言っているんだとレイラは訝しげな顔をする。

 すると慌ててエリクは補足した。


「二人とも、生きてる。西方の遠くの…エレスカっていう街にいるんだって」


「誰に聞いたの?」


 にわかには信じられないといった口振りでレイラが尋ねた。

 それもそうだ、自分も初めてあの男に話を聞いた時にはすぐには信じられずにいたのだから。


「森の魔女だよ。僕の命を救ってくれたんだ」


 魔女、と聞いてレイラはすぐに嫌な顔をする。

 それもこの街で育てば仕方がないことだろう。

 力を持つ者たちはヒトに害をもたらす恐ろしい生き物だと教えられてきたのだから。

 その考えが今でもエリクの中にない訳ではない。

 しかし、あの魔女は違うのだと、ララは悪者なんかじゃないと信じたい気持ちがあった。

 それは自分の命を救ってくれたという過去があるだけではない――。


「とにかく明日、ララに街の外に来てもらうことにしたから。それからすぐにエレスカに行く。レイラが嫌なら…一人でも僕は行こうと思ってるよ」


 エリクは手を止めてじっとレイラを見た。


「……分かったわよ。エリクがそこまで言うなら信じるわ」







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