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魔女と女神と

 息を吸い込むと肺が埃でいっぱいになったようで、咳き込んでしまう。


「一体この部屋は何なんだ…」


 小さくそう呟いたはずが、狭苦しい部屋にはやたらと大きく響いたように思えた。

 どれくらいの時間をここで過ごしているのだろうか。

 何故だかは分からないが、誰かに助けを求めようとしても気が分散して力を使うことができない。

 ジェイドは溜息をついた。


「セイラ…」


 街を見たいと言ったのはセイラだった。

 メイウッドは日頃から何度も何度もあの街にだけは行ってはいけないと忠告していた。

 まさかその意味がこういうことだとは知らず、軽く見ていたのだ。

 ただセイラの期待に応えてやりたかった。


「このまま俺はここで…」


 考えるとゾッとした。

 ヒトは自分たちのような力を持つ者よりもずっと凶暴で残酷だと思った。

 もうこのまま諦めるしか自分には残されていないのだろうか。


「君は後悔しているよね、自分の犯した間違いについてさ」


 思考さえも混濁してきて、目を閉じて俯いた時だった。

 聞き覚えのある明るい声に、独特の口調だった。

 すぐにそれが誰だか分かって、ジェイドは顔を上げる。


「その点ではヒトもわたしたちも何も変わらないのにね、不思議だ」


「…ララ」


「セイラもいるよ」


 見上げた先でララはにっと笑みを浮かべた。

 その言葉にはっとしてセイラの姿を探すが、どうにも見つけられない。


「外で待ってるよ。ここは危ないからね」


 しゃがんだララは手短に呪文を唱えてジェイドの手足を繋いでいる鎖を破壊する。

 すると部屋の中心に建てられた石碑にはめこまれた青い石の輝きが一瞬だけ強くなったように感じた。


「セイラと一緒に先に森に帰ってて」


「ララは?」


「わたしは…まだやることが残ってるんだ」


 ララの唇は不敵に弧を描いている。

 彼女が何を考えているかは分からなかったが、ジェイドはその言葉に従うことにした。

 彼は魔女の性格をよく知っていたのだ。

 ふうと息を吐き、自由になった身体を起こしてララが開けたのであろう扉へと向かう。

 外にはセイラが待っているのだろう。

 部屋の不思議な力のせいで消耗してはいるが、森へ転移できる程度なら力が残っている。




 ジェイドが部屋を出ていったのを確認したララは盛大に溜息をついた。

 久しぶりの対面…とはいってもそれには何の感動も喜びもない。


「またお前か、って?それはわたしの言葉だよ」


 石碑に歩み寄ると、より一層光が強くなる。

 ララのしなやかで細く白い指が青い輝石をそっと撫でた。


「……さよなら、セレーネ」


 指先が石から離れたかと思うと、そのまま石碑に何やら魔法陣のようなものが描かれていく。

 相手はただの石である、抵抗なんてしようがない。


「月よ、限りなき漆黒を照らす女神よ。闇に飲まれ、永遠の眠りにその身を委ねよ…」


 ララの声に反応するかのように部屋が揺れる。

 ガラガラと音を立てて白い石碑が崩れていく。

 崩れた石の隙間から同じように割れた青い輝石の破片が覗いていた。





*****




 女神、と自分が呼ばれるのにはとても違和感があった。



 セレーネは小さな村に住む少女だった。

 とても裕福とは言えない暮らしだったが、両親と三人での暮らしはとても幸せだった。

 村の人々は穏やかで優しく、みんなが助け合って暮らしていた。

 このまま自分も村の誰かと結ばれて幸せな暮らしを送っていくのだと当然のように思っていた。





「君は…」


 東の街から来たと彼は言っていた。


「セレーネ、です」


 深い海の底のような瞳にじっと見つめられてとても居心地が悪かった。

 端正な顔立ちの彼に見つめられれば、年頃の娘であれば誰でも頬を赤らめてしまうのではないだろうか。

 しかし、セレーネの胸は不安で騒ついていた。


「その力は、どうやって?」


「力…?」


 逃げなくてはならない、そう感じた。

 なのに彼から目を逸らすことができなかった。

 ザワザワと風で丘の草が音を立てるのが不気味に思えた。


「君が持つ、神の力のことだ」


 彼はそう言ってセレーネの方へとにじり寄る。


「僕に、その力を」






 しとしとしとと窓の外で奏でられる雨音が憂鬱だった。

 ただでさえこの部屋にいることが苦痛だというのに。


「…家に帰りたいのか?」


 背後から声が掛けられる。

 その主が嫌でも分かっていたセレーネは返事をしないでいた。

 家に帰りたいなどと言っても無駄である。

 彼はセレーネの意思など、あってないものとして扱うのだから。


「君には例を言うよ。まあ、本来ならまず僕が君に感謝されるのが先だと思うけれどね」


 フンと彼は鼻で笑った。

 それが堪らなく不快で仕方がない。


 確かに彼がセレーネの家庭に益をもたらしたことは事実だ。

 しかしその蓋を開けてみれば、ほとんどが半ば脅迫地味たものと大きな嘘ばかりだ。

 ――逆らえば両親を殺すと言われているのだから。


「…そのうちそんな無駄な抵抗すらできなくなるさ」


 無視を続けるセレーネの背中に彼は吐き捨てるように言った。

 

「――ところで、君に会わせたい奴がいるんだ」


「…だれ?」


 ようやく口を開いた彼女へ彼はあからさまに嘲笑のような苦笑を零す。

 その様子から伺えるのは、それが両親ではないということ。

 そして彼にとって利益となるであろう人物であるということ。


「君の…護衛だよ」


 まるで彼の言葉に反応したかのように、その背後に誰かの姿が現れる。

 セレーネは目を瞠った。

 確かにこの部屋には自分と彼しかいなかったはずだというのに。


「彼女はララ、魔女だよ」


 ララと呼ばれた女性――いや、少女は笑った。

 ふわり、と周囲に花のような香りが漂った。

 可愛らしいというのがセレーネの感想だった。


 しかし、『魔女』とは一体何なのだろうか。

 自分とは違った何か…ヒトではない何かなのだろうか。

 セレーネはよほど不思議そうに彼女を見つめていたのだろう、ララが今度はくすくすと笑った。


「わたしは、ヒトではないのですよ。残念ながら」


 自分よりも幼く見えるララは笑いながら言ったが、セレーネにはその表情がどこか物悲しいようにも見えた。

 ヒトではないとはどういうことか。

 見た目も言葉も何もかも、ヒト以外の何者でもないように見えるというのに。


「彼女は力を持つ者なんだ。力を持つ者はヒトではない」


「…そう、どっちかっていうと神とか精霊とかと一緒かな。一緒にしたら怒られちゃうかもしれないですけどね」


 二人の言葉にセレーネは黙り込んだ。

 ヒトのようでヒトではなく、神や精霊に近い生き物――。

 あの言葉が蘇る。


『君が持つ、神の力のことだ』


 彼は確かにセレーネにそう言ったのだ。


「――そう、君とララは同じだ」


 彼はにっと口角を上げた。

 セレーネはそれに返す言葉がなかった。


「君は、神の力を持っている。僕にはそれが必要だ。そしてこの世界にも必要となる…」


 やや興奮気味の彼の声がぼんやりと遠くに聞こえた。

 神の力とは一体何のことなのだろう。

 生まれてから一度だって、そんな力を使ったことすらないというのに。


「アレクシス殿、セレーネ様はお疲れのように見えますが」


 彼がひたすら何か言っているのをぼんやりと眺めていると、ララがそう口を挟んだ。

 少しばかり顔を引きつらせながらも彼はそうかと答えて言葉を切る。


「…とにかく、いつまでも意地をはってるんじゃないということだ」


 咳払いの後にそう言い残し、彼はセレーネに背を向けた。

 バタンと音を立て、少し乱暴に扉が閉められる。


「――で、さあ」


 はあ、と大きな溜息をついた少女がセレーネに向き直った。

 どこか先ほどとは違った雰囲気を纏っているように感じる。


「君は興味あるの、この世界の発展がどうとかこうとか」


 鏡台の椅子を側に引き寄せ、後ろ向きに座ったララが言った。

 さらりとその長い薄金の髪が流れる。


「…え?」


「あいつは君とわたしの力を利用して、世界の発展と称した自利の追求をしたいだけだよ」


 椅子の背に顎を乗せ、ララは皮肉げに笑った。

 その言葉も表情も見た目にそぐわなかった。





*****





 まだあの日のことを覚えている自分に安堵しながらも溜息をつく。


「…ああ、そうだった。取っ手にだけ凍結防止の魔法を掛け忘れていたみたいだ」


 ブツブツと関係のないことを口にしながらも、ララの意識は過去から逸らすことが出来ずにいる。

 厚い木製の取っ手に呪文を唱えてみても、無視することが出来ないチクチクとした胸の痛みが蘇る。

 それは、部屋に入ってみても暖炉に火を焼べても、柔らかい寝床に寝転がっても治まってくれそうにない。


「セレーネ…ジーク…君たちは幸運だよ」


 次第に頭痛にまでも悩まされるようになり、いつの間にかララは意識を手放した。

 分裂した思考がどろりとした世界に捉えられ、綯い交ぜになっていく――。















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