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魔女と少年と少女と

 もうすぐ夜が明ける。

 ララはゆっくりと澄んだ晴天の瞳を開いた。


「……また、か」


 空は仄暗く、ぼんやりとした月が浮かんでいる。

 まだ眠っていたいというのに、どうも彼らは落ち着きがない。

 ララは溜息をつきながらベッドをおりる。


「まったく、契約違反もいいところだね」


 彼らというのは夏の森に住み着いた妖精たちのことである。

 その代わりに夏の森を守るという契約を交わしているのだ。

 しかしこうして夜明け前に騒ぎを起こしてはララの眠りを妨げることが少なくはなかった。


『ララ、ララ!』


 妖精の声が聞こえる。

 ララの住む冬の森から彼らの住まいまでは距離があるのだが、こうして力を使って呼びかけてくることがある。

 この声は中でも大人しいセイラのものだろう。


「大丈夫、セイラ。起きてるから」


 ララは返事をしてから側に掛けてあった白いローブを纏い、何やら呪文を唱える。

 すると生じた風がふわりと彼女の金色の髪を靡かせ、その身体を包み込んだと同時に姿が消える。


 ララは魔女だった。

 力を持って生まれてからもう数百年も生き続けている。

 魔女も妖精も、力を持つ限りは死なないうえに老いもしない。

 それは大きな力を持つほど長い時を若い姿のまま生きることとなる。

 だから一部のヒトが言うような『魔女とは腰が曲がった、鷲鼻の老婆の姿をしている』という見解は正しくない。

 現にララも見た目は二十代ほどの若く美しい女性だった。


 しかしララが今暮らしているこのフォミアの森近くの街ではそういった存在を異端とする傾向が特に強い。

 それはあの街特有の文化のせいでもあるのかもしれない。

 水堀に囲まれて周りから孤立しているためか、今でもいわゆる『魔女狩り』を世界的に行っていた時代の意志を色濃く残しているというのも要因の一つだろう。

 そんな時代すら遠く懐かしく感じるほど、ララは生き続けているのだ。



「メイウッド、一体これはどういうことかな。あれから一日と少しほどしか経ってないと思うんだけれど」


 ララの姿に妖精たちはざわざわとまた一際騒がしくなる。

 しかしその様子は今まで見てきたものとは違っていて、中には真っ青な顔をしている者もある。

 嫌な予感がララの脳裏をよぎる。


「…悲劇が起きたんじゃ」


 妖精たちの長であるメイウッドが、自分より背の高いララを見上げながら言った。

 その声には怒りのような悲しみのような、何とも言えない感情が感じられた。


「――ジェイドが、ヒトにさらわれたの」


 セイラが言った。

 その大きな新緑の瞳に大粒の涙を溜めて、肩を震わせていた。


「わたしが悪いのよ。街の市場を見に行きたいなんて言ったから…」


 そう言うと、耐えきれなくなったのか声をあげてセイラは泣き始める。

 ララは背の低い彼女の焦げ茶の髪を撫でた。


「ジェイドは私が助けに行く」


 その言葉に妖精たちは一斉にララを見上げた。

 ヒトの子どもほどしかない彼らに囲まれて、見上げられていると不思議な気分になってララは笑った。

 セイラが何か言いたそうにしたが、ララは先に口を開く。


「どうやらジェイドは何らかの方法で力を封じられてるみたいだね…あの街でそんなことが出来るのは…」


「――封魔の部屋、か」


 ララの言葉にメイウッドがそう続けた。

 ササラの街にある教会の地下にあると言われている『封魔の部屋』は、その名前の通り力を持つ者の力を封じ込めることが出来ると言われている。

 メイウッドは苦虫を噛み潰したような表情をした。

 彼はララほどではないが、妖精の中では長く生きている方である。

 その部屋の恐ろしさは身をもって知っていた。


「行くのか、ララ」


 ララはカラカラと笑った。

 彼女の真の力をもってすれば、封魔の部屋など痛くも痒くもないのだ。

 ただ、ササラの街はあの時のようなひどい騒ぎになるだろうとも予測出来た。


「仮にも私はこの森の管理者だからね」


 あの街へ足を踏み入れるのはいつ振りだろうか。

 それもやはりあの時以来だろう。

 何百年が経っていても結局何も変わらない。

 あの夜があった後でも、彼らは一つも変わろうとはしない。


「…わたしも!わたしもついて行く!」


「セイラ!お前はここに…」


「――わかった」


 縋り付くように声を上げたセイラを窘めようとするメイウッドの言葉をララは遮って言った。


「ララ!」


「まるであの時みたいだね、メイウッド。覚えてる?」


 あの時と聞いてメイウッドの顔が青ざめる。

 それはもう何百年も前、『魔女狩り』が世界的に行われていた時代のことだった。




*****




 ぼんやりとした意識が段々とはっきりしてくると同時に、その両手両足にジャラジャラと重い鎖が巻き付けられているのが分かった。

 力を使おうにも、気が分散してどうにも上手くいかない。


 ああ、これが『魔女狩り』なのだとメイウッドは項垂れる。


 ヒトは力を恐れていた。

 特に彼らに害を与えるでもなく、制圧する訳でもないというのにだ。

 力を持つ者にはヒトと共存するためにいくつもの制約があるということも彼らは知らなかった。


 メイウッドはギリギリと奥歯を噛んだ。

 部屋には様々な種族が自分と同じように鎖に繋がれ、中には息絶えている者もある。

 このまま命が絶えるまでこの部屋に閉じ込められているのだろうか。


「わしはここで死ぬのか…」


 殺風景な部屋に掠れた声が響いた。

 他の者にも聞こえているはずなのに、誰一人として反応すらして見せない。

 ただ、部屋の中心に建てられた白い石碑に埋め込まれている青い石が輝いているだけだった。


『ほら、早く入れ!』


 部屋の外からヒトの声が聞こえた。

 また力を持つ者がこの部屋に閉じ込められるのか――。

 メイウッドはただぼんやりと扉が開くのを見ていた。


「痛いな。そんなに強く押さなくたっても歩けるよ」


 苛立った声が部屋に響く。

 白いローブを纏った若い女だった。

 彼女の言い分など聞かず、ヒトは彼女を部屋に押し込めると外から厳重に鍵をかける音がした。


「…ったく、これだから分からずやの石頭は困るんだ」


 ブツブツ文句を言いながら彼女はメイウッドの隣に腰を下ろした。

 しかし彼女がメイウッドや他の者と違っているのは、鎖で動きを完全に封じられてはいないということだった。


「それはね、わたしが無抵抗だったからだよ」


 彼女は一転して静かな声で言った。

 それは紛れもなくメイウッドに向けられたものだった。

 驚いて彼女を振り向く。


「わたしはララ、四季の森の魔女。あなたは?」


 肩にかかる色素の薄い金の髪に、晴天の空を映したかのような澄んだ瞳が白磁の肌にとても映える。

 イタズラっぽく笑いながら彼女は尋ねた。

 こんなにも絶望的な状況だというのに、笑っていられることに驚いた。


「わしはメイウッド…南の丘に住むただの妖精じゃ」


 メイウッドの返事にララはふぅんと言った。

 魔女というものは変わり者が多いが、彼女のように不思議な雰囲気を持つ者は初めてだった。


「あのさ、あの石が何だか知ってる?」


 両手両足が塞がれている彼女は顎で石碑の方を示した。

 心なしか青い石の輝きが先程よりも増しているような気がする。


「女神セレーネの守護石、サファライト。別名は『封魔の石』かな」


「封魔の…」


「そう、あの石が君たちの力を吸い取って、死に近付ける…」


 先程とは打って変わって、大人びた表情をしたララは静かにそう言って立ち上がった。

 その両手両足には彼女の動きを封じていたはずの鎖がない。


「…でも、あんなのじゃ私は死ねない」


 ポツリと呟いた後、ララは呪文を唱え始める。

 同時に、どこからともなく風が生じ、キラキラと輝く金色の光が彼女の身体を覆う。

 それが弾けたかと思うと、ガラガラと石が崩れるような大きな音が辺りに木霊した。


「私はね、捻くれ者の魔女だから」


 そう言って満足気に笑ったララの姿は、すぐに消えてしまった。




*****




「……なんだか不思議…」


 窓に映る自分の姿にまだ慣れず、セイラはポツリと呟いた。

 普段よりも背は高く、耳は丸い。

 隣を歩くララと同じ目線の高さで、着ている物も街の娘たちのような生成りのブラウスに深緑のワンピースだった。

 そんなセイラを見てララはくすりと笑った。


「ジェイドもきっと惚れ直すよ」


 からかい交じりのその言葉にセイラは耳まで真っ赤になる。

 別に誰にも隠していた訳でもないのだが、二人の仲を公言していた訳でもないのだ。

 ララはよくこうして二人をからかうのが好きなのだが、さすがに今はセイラの気を紛らわせるためだというのが分かった。


「わずかだけど、ジェイドの気を感じるよ。やっぱり教会からだ…」


 途端にララは眉を顰めた。

 あの石が特別怖いとは思っていないが、あの部屋の雰囲気は嫌いだった。

 圧迫感のある淀んだ白い天井、そして苦しみながら絶えていった者たちの怨念のようなもの…。

 セイラには言えないが、ジェイドは正気でいるだろうかと心配だった。


「さて、あそこの二人にでも協力してもらおう」


 教会を目の前にして、ララは一組の男女を示した。

 男女とはいってもまだ年端もいかない様ではあるが、怪しまれずに教会の中に入ることが出来ればそれでよかった。


「すみません」


 ララは二人に声を掛ける。

 隣でセイラは俯き、ただじっと黙っている。


「どうかしました?」


 二人のうち少女がララの呼び掛けに応えた。

 少年は黙りこくってこちらを見ている。


「私たち、西方の街から観光に来たのですが…」


「もしかして教会のステンドグラスですか?」


 ララが全て言い終わるまでに少女は言った。

 独自の信仰があるササラでは、教会の雰囲気自体も他の街とは違っている。

 中でも、街の中央にある教会のステンドグラスは有名なのだ。

 少女は子どもらしいあどけない笑顔を浮かべた。


「ええ。一度見てみたくって…どうすれば見れるのかしらと思ったんです」


 しかし少年は黙ったままでじっとララを見ている。

 まさか何か勘付かれているのではないかと少し不安がよぎった。


「よければ案内しますよ!ねぇ、エリク」


「あ、ああ。別にいいけど…」


 ようやく声を発した少年の二つの深海色の瞳はララを捉えたままだった。

 その名をどこかで耳にしたことがあるような気もしたが、今はそれどころではない。


「では、ステンドグラスの所までお願いします」




 そこは七色の光に満ちていた。

 彼らは未だにララたちのように力を持つ者は全て聖なる光の前には姿を現すことができないと信じているのだろう。

 ララはまるで初めてであるかのように大きな窓を見上げ、感嘆を漏らした。

 セイラも隣でそれに倣っている。


「このステンドグラスはこの街を創り、見守っているという女神セレーネさまをモチーフにしているそうです」


「女神…セレーネ?月夜と犬の?」


「月夜と…犬?」


「ええ、わたしたちの街に伝わる古いお伽話なんです」


 ララの言葉に少女は興味深そうな顔をした。

 ササラでは有名な話だと思っていたのだが、時代の流れとともに失われていったのかもしれない。

 月夜と犬の話は力を持つ者であればほとんどが耳にしたことのある話だった。

 月を追いかける狼に女神が丸飲みにされ、その腹から出るために力を失い星屑と化したという実話を美化したような内容だった。


 しかし今はそんな話をしている場合ではないというのは分かっていた。

 ジェイドの力が残されているうちに早く救出してやらなければいけないのだ。

 そのためにはさっさとこのヒトの子から離れて地下の部屋へ向かわなくてはならない。

 ララはらしくもなく、内心少し苛立っていた。


「レイラ、その辺にしとけば?」


 話を聞きたそうにしている少女に少年が言った。

 少女はえーと言って桃色の唇を尖らせる。


「…だって、聞きたいじゃない」


「遠くから来たんだから疲れてるかもしれないだろ?また後で神父さまにでも聞いてみようよ」


 すみませんと少年は頭を下げた。

 その行動があまり見た目に似つかわしくなくて、ララは笑みを零した。


「いえ、こちらこそ。神父さまってこの教会の神父さまかな?だとしたら知っているかもしれないし、一度聞いてみてください」


 それはその時には特に意味をなさない言葉であったはずであった。

 しかし、ララはその時には気付いていなかった。

 これが全ての始まりになるのだということを。





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