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Scarlet Tears  作者: ミカミ
8/12

再会 ~ A tender Deathscythe.(前編)

 レミリア・スカーレット。

 家族にも等しい、あるいは家族より大切な生涯のパートナーを失った彼女は、その非業を呪い、その哀しみに塞ぎ、今生の繋がりを断ち切った。

 吸血鬼の命が永遠ならば、付き添う哀しみもまた永遠。

 しかし、それでも彼女は幸せだったと言えよう。

 どれ程奈落の底に落ち込もうと、必死で手を伸ばしてくれる存在が、レミリアにはあったのだから。

 しかし、それゆえに彼女は不幸だったとも取れる。

 惜しむらくは、彼女が仲間の声に気づけなかったことか。

 あるいは——。


    1


 畔に紅魔館の赤レンガを臨むその湖は、通称『霧の湖』と呼ばれ、幻想郷における唯一の水源として、幾つもの支流を網の目のごとく郷中に張り巡らせている。

 その支流のうち、湖から真っ直ぐ北に伸びる流れを川沿いに下って行くと、やがて左手に小高い丘が見えて来る。

 守矢神社から、妖怪の山を挟んだ丁度反対側に位置する丘には名前がなく、ただ『無名の丘』とだけ呼ばれて、人々の記憶の隅にひっそりとその姿を留めている。

 丘には一年を通して真白な鈴蘭の花が咲き、例え夏であっても、風に踊る儚い雪景色が訪れる者の目を楽しませてくれる。無名の丘とは、そのような場所だった。

「霊夢……もしかして、なんだけれど」

「ええ、間違いないわ。これは異変よ。もしかしてももしかしなくても、咄嗟の思いつきだろうと煎じ詰めた考えだろうと、結論は変わらない」

 夕陽は、彼方の空に没する寸前、渾身の光で幻想郷を照らし上げている。

 見るもの全てが淡い金色に染まった鈴蘭畑の頂上で、雪原を撫でるそよ風に髪をなびかせながら、ふたりの少女は夜の訪れを見守っていた。

 レミリアを鼓舞するための仲間探しを始めた矢先、魔理沙と文に立て続けで断られたのが昨日のこと。文に振られた段階で日が暮れてしまったため、その日は一旦別れて、次の日に計画を持ち越した。

 そうして仕切り直した翌日——つまり今日の陽も、既に暮れかかっている。じきに辺りは月光の支配下となるだろう。

 未だ夜の帳の明けきらぬ薄明の刻から日暮れの今に至るまで、ふたりは終日幻想郷中を飛び回り、協力者を募った。

 しかしながら、一日の猶予をおいて得られた協力は、結局路傍の小石ほどにも満たなかった。

 ゼロの数字は、無であるが故に重く、冷たい。

 そうしてひとりの協力も得られぬまま、沈む夕陽を出来損ないの木偶でく人形よろしく見送っている、というのが、パチュリーなりの自己観察だった。表情には、もはやどうあっても隠しおおせないほどの疲労が滲んでいる。隣に立つ霊夢にしたところでそれは同じはずだ。のれんに腕押しどころの話ではない。今日の徒労が表す意味は、それよりもっと複雑で深刻だ。

 人手が集まらないのはまだしも想定内だったとはいえ。


 どこにも誰もいないというのは、一体どういう了見だ?


 けして誇張ではない。

 まるで、霊夢とパチュリーを除いた全ての人間妖怪が一夜の内に忽然と姿を消してしまったかのようで、事実そうだった。

 妖怪の山に赴いた。

 守矢神社を訪ねた。

 太陽の畑へ出向いた。

 しかし、そのいずれにも人影は見当たらなかった。時たま気配を感じて振り向けば猫だったり鳥だったりで、咄嗟に式神を疑うも、正真正銘ただの動物……といった具合に、延々と何かをスカされるような虚無感に心を削られ、気づけばこんな時間になっていた。

 紅魔館の仲間たちも、レミリア唯ひとりを除いて、全員が謎の失踪を遂げていた。レミリアのみが残されているという事態には、少なからず手がかりのようなものが匂うが、しかし分かることなど欠片もない。発生した異変の規模があまりにも大きすぎて、原因要因遠因その他諸々を絞り込むことが出来ないのだ。

「こんな異変は、初めてよ」

 奥歯を噛み締めて呟いた霊夢は、どこまでも沈痛な面持ちで、丘の正面にそびえる妖怪の山を睨み据えている。

「私ひとりでどうにかなるような小競り合いなら幾つも解決してきたけど、こんな……それこそ幻想郷の根幹に関わるような大規模な異変は、先代の頃にもなかったわよ」

 人間、妖怪問わず、その全てが諸人こぞりて蒸発など、尋常ではない。

「現状、残っているのは私と霊夢と、そしてレミィだけ……どういうことなの、霊夢?」

「今のところはなんとも言えないわね。仮説なんて立てようと思えば山のように思いつくし、何より今分かっていることが少な過ぎる。……そうね。パチュリー、あなたはここで待っていて。私は少し情報を探ってくるわ」

「ちょっと待って、それなら私も」

「駄目よ」

 霊夢は、この時ばかりは断言するようにきっぱりと言ってのけた。

「パチュリー。あなた、割と平気そうな顔してるけどその実、結構身体にきてるわよね?」

「! そ、そんなこと……」

「あるわよ。あなた、もう身体の芯がフラフラよ。もともとあまり外にも出ないんだから、無理をしては駄目よ。正直、立っているのもきついんじゃない?」

「……」

 図星だった。

 日中、ほとんど休みなく幻想郷の空を飛び回ったおかげで、パチュリーの身体は限界を迎えていた。むしろ持病の喘息が顔を出さないのが不思議なくらいだ。

「……分かったわ。何か情報を手に入れたら……」

「分かってるわよ。頼りにしてるわ、パチュリー」

 一度、パチュリーを安心させるようににこりと笑って、霊夢は飛び立った。面倒臭がりなところもあるが、本質的に霊夢は面倒見がよくて心優しい人間なのだ。普段なかなかその顔を見せたがらないのは、照れ隠しなのだろう。パチュリーの心を、ほんの僅かな安堵が占めた。

「……」

 ——また、ひとりか。

 不意に、そんなことを思った。

 山間やまあいに光る太陽は、残照の一片を微かに残して、ほとんど沈みかけている。夜が近い。探せば一番星も見つかるはずだ。

 ひとり、パチュリーのみが取り残された鈴蘭の丘に、耳を騒がせる音はそよ風の衣擦ればかりで、いたずらな物寂しさのみが溢れ返り、強調されていた。

 それも当然、ここには誰もいないのだから。

 物語を見守り続ける時の流れが、登場人物の不在を嘆いている。この寂しさの源流は、あるいはそんなところにあるのかもしれない。

「詩的過ぎたかしらね」

 足元の鈴蘭をそっと掻き分け、パチュリーはそこに腰を落ち着ける。

 ことここに至って、どれだけ騒いでもどうにもならないことは分かっていた。ならばこうして、あるがままを見守り受け入れることが、今取れる最善の策なのだろう。パチュリーは、あくまで冷静だった。

 否、移り変わる状況に困惑していると言った方が、より真実に近い。

 分かりやすい壁に阻まれて、進退に頭を抱えることとは、また毛色が違う。

 圧倒的な向かい風の奔流に飲み込まれて、現在の自分さえ把握出来ない。分からなければ必然、恐怖もない。

 パニックが生み出した平静。非常に脆く、崩れやすい砂上の楼閣的感情。パチュリーは、心身共にとても危うい状態にあるのだった。

 しばらくは、風の流動のみが世界の活動であるかのように、緩やかな時が流れ続けた。しかし気づけば、その風さえ段々と弱くなり、遂には完全に途絶えてしまった。それは奇しくも、幻想郷に夜が降りた瞬間と同時だった。

「……凪ね」

 知識としては心得ていたが、実際に体験したのは初めてだった。

 凪。

 日に何度か訪れる無風無音の時間帯を、郷の人々は俗にそう呼んでいる。

 凪は、幻想郷の中でも特にこの丘一帯でのみ観測される気候で、学者かぶれの妖怪たちにとっては恰好の研究材料として、一時は郷のちまたを騒がせたこともあったが、無名の丘周辺に発生する現象であること以外には全くと言っていいほど法則性がなく、研究の糸口さえ皆無だったため、初めのうちは意気込みに燃えていた怪しげな片眼鏡モノクルの妖怪たちも段々と意欲を失墜させ、いつしか誰もこの不可思議に挑戦しようと言う者はいなくなってしまった。

「噂には聞いていたけれど……本当に物音ひとつしないのね」

 驚きに目を瞠りながら、パチュリーは軽く周囲を見渡す。

 停止していたのは、風だけではなかった。

辺り一面に咲き乱れる鈴蘭の花、その一輪一輪の花弁の先端に至るまでが、精巧な蝋細工の様に静止していた。

 虫の音ひとつ、聞こえることはない。完全な静寂が耳に痛かった。

 パチュリーの身動きによってもたらされた衣擦れの音さえ、辺りに反響するほどの圧倒的な静謐。凪の及ぶ範囲には空も含まれるらしく、諸行無常の代名詞たる雲でさえ、山際の僅かな残照に同じ形を留め続けている。

 世界の停止を前に、己の能動のみが拡大されていく知覚を、パチュリーは得ていた。

 その鼓動が、呼吸が、所作が、全てがこの空間の隅々に張り巡らされ、油断なく覚醒している。不思議な感覚だった。穏やかな心地よさが、空間に一体化したパチュリーの身体に満たされていく。

 しかし、それも一瞬だった。

 ざわりと吹き抜けた、一掴みの風。それがパチュリーの意識を不可侵の聖域から引き戻し、気づけば何事もなかったかのように、世界は活動を開始していた。

 まるで——時間が止まってしまったかのようだった。

 奇跡の余韻に浸りながら、パチュリーは、ふと今まで軋みを訴え続けていた身体が回復していることに気づく。

 思わず立ち上がってみる。

 軽い。嘘のように己の身体が軽かった。心なしか、力が漲ってくるような気さえしてくる。

 パチュリーは、ゆっくりと、されどしっかりとした足取りで、鈴蘭の丘を下りた。小道に出た前方には、月の光を受けて瑠璃ラピスラズリのように輝く川面が、ゆらゆらと流れている。その流れに沿って、パチュリーは左手に歩き出した。霊夢には待っていろと言われたが、気に留めなかった。

 このまま進んで行くと、やがてこの道には『中有の道』の名が冠せられる。そこにはっきりとした境界はないが、進むにつれて鬱蒼と繁り出す木立が、大方の目印となる。

 つい先程まで曖昧だった昼夜の臨界点も、今やすっかり月夜に傾き、時折聞こえる鴉の鳴き声が、いやにうら寂しい。

 件の木立が見えて来た。入り口はまだしも明るいが、流石に奥の方までは月の光も届かないようだ。

「……」

 パチュリーは立ち止まると、口中に小さく呪詛を唱えた。同時に掲げた指先に蝋燭ほどの火が灯り、周囲に明暗を生む。

 再び、歩き出す。

 頭上を覆う枝葉が天然のトンネルを形成する中有の道の両脇には、屋台と思しき木製の荷車が、幾つか列になって整然と、あるいはごちゃごちゃと並んでいた。が、そのいずれにも人影は見当たらなかった。

 徹底されている。何が、とまでは思い至らなかった。

 指先の炎で木立の闇を上塗りしながら進んで行くと、少しずつではあるが、木々の隙間から光が届いて来るのが感じられた。中有の道が終わろうとしていることを暗示——否、明示している。このままさらに歩けば——

 そこまで考えて、パチュリーは見えない壁にぶつかるように立ち止まった。

 両眼の焦点が、僅かにぶれた。

 このまま立ち止まらなければ、やがて通じてしまう場所。

「三途の、川」

 震える声で口走る。

 パチュリーは、そこへ辿り着くことを頑なに避けているのだった。

 見えない力に押されるようにここまで歩いて来たが、ようやく目が覚めるように周囲の状況を再認識した。

 彼岸と此岸しがん分水嶺ぶんすいれい

 あの世に通じる三途の川は、咲夜の死を厭でも思い起こさせる。

 パチュリーの脳裏に、あの日の記憶が鮮明に再生される。

 だから仲間集めをする時も、ここに訪れることだけは避けた。

 顧みようともしなかった。

 なのに——

「何をしているの、私は」

 かろうじて、パニック状態に陥るという醜態は晒さずに済んだが、それでも身体の震えが止まらなかった。

 これ以上進むなど、絶対に御免だ。それを考慮してか、霊夢もこの場所にだけは寄らぬよう配慮してくれた。

 しかし。

 しかしだ。

 もしかしたら、未だ訪れていないあの場所に、何か答えが、ないしヒントが潜んでいるかもしれない。

 郷の人々を探すための。

 レミリアを救うための。

 親友を——救うための。

 その可能性に至ってしまえば、そうせざるをしてこの場を立ち去ることは、罪でさえあるように思えて来た。

 ともすればトラウマにナイフを幾本も突き立てるような、発狂寸前の所業に、己は耐えられるか?

 反面、自分の小ささで救いの可能性を捨て去るなどもってのほかだという、圧倒的に強い自分もむくむくと持ち上がってくる。

 弱い自分と強い自分。

 表裏一体の自分同士が、か弱いパチュリーの中で血みどろの激戦を繰り広げていた。

 どうする。

 静観も、中立も、折衷案もあり得ない。

 選択が迫られている。

 彼岸に背を向け、呟く。

「どうすればいいの、私は……?」

 答えは、背後に響いた爆発音だった。

「えっ?」

 振り向いた顔に、間髪入れず小枝混じりの爆風が吹きつける。思わず両腕で顔を庇いながら、前方を窺う。

 駄目だ。元より視界を確保しづらい夜の森に砂煙が充満すれば、視界は冬の雪山並に絶望的だ。

 何も見えない中有の道で、唯一はっきりしていることは、この奥で何かが起きているということだけだった。

 しかし、それだけ分かれば充分だ。

 足下の小石に蹴躓けつまずきながら、パチュリーは走り出した。


    2


 喧々囂々、火花を散らし、ぶつかり合う刃。散発的に巻き起こる爆発。飛び交う怒号。

 砂塵を掻き分け、転ぶように駆け抜けたその先に晴れた三途の川は、彼岸花と血煙の舞う夜戦場だった。

 木立の出口に立ち尽くしたまま、パチュリーは呆然とその場を動けなかった。

「何よ、これ……一体どうなって」

 視界の前方、どこを見回しても繰り広げられる激戦から目を逸らすことは出来なかった。

 まして、そのあちこちで鎬を削る者たちの顔に覚えがあるとなれば、パチュリーの愕然たる心持ちも倍増するのだった。

 射命丸文を含む妖怪の山の面々、守屋神社の二柱及びその巫女、岸辺で格闘戦を演じる美鈴、果ては人里の者々に至るまで、数え上げればキリはなかった。

 そして、それら旧知の顔ぶれと刃を合わせる者たち。

「あれは、死神……?」

 手にした巨大な鎌に、深く羽織った黒の装束。

 闇一色に統一されたその禍々しい出で立ちは、一目で死神と知れた。

 攻め入る幻想郷の民に、迎え撃つ死神という構図。

 理由はどうあれ、幻想郷に住む人間妖怪が三途の川に大挙して攻め込んだという線が強い。

 ともあれ、ここに棒立ちしていれば恰好の的だ。それを察したパチュリーは、背後の木立に身を隠した。小枝の隙間に目を当て、様子を窺う。

 そこで、発見した。

「……霊夢⁉」

 間違いない。彼岸に浮かぶ月を背景に、大鎌を構えた黒髪の死神と空中戦を繰り広げる巫女は正真正銘、博麗霊夢だった。

 ひとり情報収集に出て、この戦いを発見したのか、元よりここに来る腹積もりだったのか。いずれにせよ、霊夢は戦っていた。

 大天狗の身の丈ほどもある鎌を片手で軽々と振り回す死神も相当の使い手だが、それにほとんど丸腰で応じる霊夢はさらにそれより一枚上手だった。

 変幻自在、上下左右に繰り出される白刃の嵐を頭上にかわし、指先でいなし、あるいは手にした札で受け止めて、それでも霊夢には余裕の笑みさえあった。

 どう贔屓目に見ても全力で挑んでいる死神を相手に、霊夢はまるで舞い踊るようにそれをあしらっている。激しさよりもさらに美しさの勝る戦いを前にして、不覚にもパチュリーはそれに見とれてしまっていた。

 その時だった。

 めくるめく剣戟舞踊の中で、あたかも十二時の鐘を耳にしたシンデレラのような、焦りと落胆のい交ぜになった表情を霊夢は見せ、しかしそれも一瞬、宙に浮いたつま先を勢いよく蹴り上げ死神の下顎に見舞い、そのまま満月の輪郭をなぞるようにして一回転。なす術なく落ちてゆく黒髪の死神を直下で柔らかく受け止め、彼岸花の咲く川岸に下ろすと、次の相手を求めて空戦へと飛び立った。

 舞台の幕引きはあまりにもあっけなく、しかし戦闘効率を考えれば、それも当然だった。

 パチュリーが我に返るまでの間に、さらにふたり、三人と、気を失った死神は増えていく。

「……どうして」

 どうして皆、戦っているのか。

 幻想郷民消失事件の顛末は、こうしてパチュリーの前にその真実を露呈した。

 ならばなぜ、皆はここにこうして集まった?

 戦う理由がどこにある?

 自分もこの戦いに参加するべきなのか、あるいは仲裁に奔走するべきなのか。

 何もかもが分からない。どうしようもない。正常と異常の判別さえ、この場所ではつきかねる。

 そんな思考を破ったのは、よく聞き知った少女の怒声だった。

「ほんの一瞬でもいい! バリケードを破って、奥に進むんだ!」

 この声は。

「えっ……まり、さ?」

 予測は、まさに正鵠を射ていた。

 跨る箒に、目立ちすぎる黒のとんがり帽子。長い金髪を彼岸の夜風に踊らせる少女は誰あろう、霧雨魔理沙だった。

「足止めに構うな! 一気に突き抜けないと、目的は達成出来ないぜ!」

 両軍入り乱れる川岸を所狭しと疾駆し、戦場のあちこちに指示を飛ばす司令塔の役割を担いながら、魔理沙自身も地上にひしめく幾多の死神を、手にした八卦炉から放たれる極太の閃光で絨毯爆撃。目にも留まらぬ速さで飛行する魔理沙の後を、一拍遅れて爆光の津波が吹き荒れる。自慢の機動力と火力を存分に活かした、超高速の一撃離脱戦法だった。

『たった今、用事が出来たんだ』と、魔理沙は言い残して飛び去った。

「これが、用事……」

 パチュリーと霊夢を痛烈に突き放した魔理沙の言葉を額面通りに受け取るのならば、そういうことになる。戦いの目的がわからない以上、今は何とも言えないが、当の霊夢と魔理沙とが共同戦線を張っているというのも謎だ。

 訝るパチュリーのもとへ、またもや別種の怒声が響いてきた。

「あなたたちは引き続き**の捜索、蓬莱はバリケードの脆くなっている部分を一点集中攻撃。残りはここで戦局の維持よ。さあ、自慢の槍で突き破りなさい!」

 甲高い声は、パチュリーの記憶に間違いがなければ、魔法の森に住むアリス・マーガトロイドのものだ。案の定、ここからいくらも離れていない河原に、アリスの姿と、その周囲に舞う無数の人形が確認出来た。

 と、人形に指示を飛ばす間隙を突いて、長い金髪を踊らせる死神がアリスの懐に飛び込んだ。手にはやはり大鎌が握られている。

 凶刃を頭上に振り上げた死神の、その大振りを嘲笑うかのような余裕で、アリスは右手を正面に突き出す。乾いた破裂音がそれに追従し、伸ばした右手に火球が生まれる。

 しかし、死神もただ馬鹿正直に突貫していたわけではなかった。

 死神から見れば懐に銃口を向けられた格好で、それでも彼女は構わず両手の大鎌を振り下ろした。

 アリスの手を離れた拳大の火球と、それを叩き斬るように振るわれた白刃が激突し、炸裂の火花を散らす。アリスの魔力と死神の膂力とは、そのぶつかり合いにおいて全くの互角。異質な鍔迫り合いが照らし上げたのは、魔女と死神、相入れぬ両者の凄絶な笑み。

「随分荒っぽい賭けに出たのね」絶妙なパワーバランスで魔力を拮抗させながら、アリスの表情には一点の淀みもない。

「あら、賭けだなんて、それは不当な評価ですわ。このくらいの芸当、死神なら出来て当然でしてよ」

 応じる死神もまた、戦いを楽しむ風さえ残して、莫大な斥力を大鎌に注いでいる。

「大した余裕だけど……精々気をつけることね」

「? 何のことですの? 新手の挑発だと言うのなら」

「後ろよ」

「……⁉」

 己の危機を感じ取った死神が振り返るが早いか、気合一閃、巨大な金槌が横ざまに彼女の鼻先を打ち抜いていた。

 戦乱の最中でもそれと解る程の、強烈な激突音が響く。

 ともすれば酒樽と見紛う程の重厚な金属塊に顔をしたたか打ちのめされ、死神は一撃ノックアウト。吹き飛ばされた勢いで彼岸花の地面を抉り、そのまま動かなくなった。

「終わったわね。ナイスファイトよ、上海」

 アリスの激励に応じるがごとく、上海と呼ばれた人形は右手のハンマーを雄々しく掲げ、空いた左腕でガッツポーズなど取って見せた。

「あなたが一番荒っぽいわよ、アリス……」

 その一部始終を観察していたパチュリーは、驚愕を通り越してもはや呆れ返っていた。呆けている場合ではないにしろ、これには慨嘆を禁じ得ない。

「さて、一区切りついたところで、本命を狙うわよ」

 己が人形の活躍を喜ぶのもここまでとばかりに、アリスの表情が険しくなる。

「ゆっくり捜すだけの時間もないわ。私はひとりで戦えるから、とにかく一刻も早く見つけ出すのよ」

 主人の指令に、物言わぬ人形たちは敬礼で応じた。寸刻の迷いもなく、それぞれが別々の方向へと散っていく。ハンマーを担いだ上海人形が若干の遅れを取ったが、それも僅かなラグ。瞬く間に追いつき、夜空をかっ裂いて飛んで行く。

「捜す……? 見つけ出す? 一体誰を」

 自分でないことだけは確かだ。霊夢の存在がそれを証明している。先程までパチュリーと行動を共にしていた彼女がいれば、わざわざ自分を捜す必要などないからだ。

 悩むパチュリーに、魔理沙の声が降ってくる。

「戦局はこちら側に傾いてる。みんな、後もうひと踏ん張りだ。一気に押し切るぜ!」

 叫んだ魔理沙は、箒を巧みに裁くと、そのまま三途の川の中洲に突っ込んで行った。

 川の中洲には、分厚い盾が川の流れに沿うように、あるいは彼岸への道行きを阻むように、横一列の態で並んでいた。

 ヒグマが一頭丸々隠れてしまいそうな円形の盾は、如何なる素材でできているのか、月光を鈍く反射して、黒々と輝いている。

「さあ、いくぜ!」

 魔理沙の突撃に呼応する形で、大量の援護射撃が彼女の背後から盾の壁を抉りにかかる。

 ある者は一撃突破の神風を。

 ある者は剛力無双の御柱を。

 ある者は高度な科学力の賜物たる光学兵器を。

 ここが勝負の分かれ目とばかり、それぞれがそれぞれの攻撃に今出せる最大限の力量を込め、撃ち放つ。

 一斉に発射された攻撃は、その先陣を切る魔理沙の直前に収束し、流線形の巨大な槍と化して盾のひとつに直撃した。大爆発は中洲の地上にクレーターを穿ち、茫漠たる砂塵を巻き起こした。バリケード付近の視界が、一時的に遮断される。

 そして次の瞬間、続く第二の爆発。瞬間的に生じた衝撃波が砂塵を振り払い、爆心をありありと晒し上げながら、遠くその様子を見守っていたパチュリーの足元さえも揺さぶった。

 激突は、今をもって継続していた。

 魔理沙の左手に握られた武器、八卦炉から放たれた必殺の破壊光線、『マスタースパーク』。対してそれを防ぐは、死神たちの掲げた盾の寸前から直上に向けて天を衝く結界。大木の幹程もある極太のレーザー光は今一歩のところで盾に届かず、結界に直撃した部分から四方に枝を伸ばすような形で拡散、消滅していた。

「物理防御に特化した盾と、魔法防御に突出した結界……」

 パチュリーも、知識としては心得ていた。

 地獄の死者が共謀して叛乱を起こしたとき、未曾有の混乱を回避するために、あの世には門外不出の盾がふたつ、存在すると。

「大盾『玄武』に、大結界『峨嵋山』だったかしら……ネーミングからしてそもそも嘘くさいし、死神たちが意図的に流したハッタリだとばかり思っていたけれど、今の防御力を見れば、それも満更嘘ではなさそうね……」

『酒呑童子の拳を真正面から受けてなお、盾には傷ひとつつかなかった』、『火山の爆発と見紛うばかりの強大な火炎魔法を、跡形もなく霧散させた』、『地獄に落ちた咎人の数だけ、その守りにはより一層の磨きがかかる』……。とかく、地獄の二大防御壁には根拠の薄い噂の種が尽きなかった。しかしながら、それをして真実ではないかと疑わせる程に、その守りは強固だった。

 だが。

「あの守り……絶対ではなさそうね」

 魔理沙の攻撃が炸裂したその一瞬、結界の僅かな綻びをパチュリーは感じ取っていた。

 けして破れないことはない。然るべき力を然るべき部分に集中すれば、確実に守りは揺らぐのだ。

「くっ……!」

 夜空に大きく虹の弧を描くような形で、魔理沙は一度後退した。取って替わるように突貫した上海人形が全力の大金槌を盾に向かって振り下ろすも、寺院の鐘が如き大音声が響いたのみで、差したる効果は見込めなかった。

「あの硬さ、半端じゃないぜ……」

「魔理沙……!」

 沈痛な面持ちを隠しもしない魔理沙のもとに、アリスが駆け寄る。

「大丈夫? 怪我は……」

「私なら平気だぜ。それよりも、お前の人形の方は」

「それなら大丈夫よ。上海には土の防御魔法を重ねがけしてあるから」

「抜かりないな」

「当然よ」

 それを証明するように、アリスの元へとんぼ返りした上海人形は、さしたるダメージも負っていないようだった。

「さあ、どうする。このままもたもたしていても、死神の増援を待つばかりだぜ。奴らは不死身だ。根本的なスタミナからして、長期戦では分が悪い」

「でも、あの結界と盾を破る方法なんて……」

「しかしながら、あるんだな、これが」

 力強く魔理沙は断言し、

「そうだろ、パチュリー?」

 そして、唐突に背後の藪へと水を向けた。

「…………ええ」

 何となく察せられているような気がすれば、パチュリーもさほどの驚きは見せなかった。ゆっくりとした動作で、枝の隙間から立ち上がり、姿を現す。

「でもその前に、教えて欲しいことがあるわ、魔理沙」

「私たちの戦っている理由、だろ?」

 頷くパチュリー。

「察しがついてもいいと思うんだけどな。お前とレミリア……あと霊夢か。その三人だけを残して幻想郷の奴らがここに来た理由。ついでに言うと主犯は私だ。お前たちと別れた後に、色々と骨を折らせて貰ったぜ」

「……?」

「本当なら、パチュリーには最後まで内緒で、あいつを連れ帰ってくるつもりだったんだけどな」

「連れ、帰るって……?」

 三途の川。

 ひとり、残されたレミリア。

「! まさか、でもそんなこと」

「出来るさ。あの結界さえ、破れればな」

 パチュリーの顔が、強張る。

「じゃあ、皆が戦っているのは、咲夜をあの世から連れ帰るために……」

「ああ。生き返らせるまでは無理だろうが、あの吸血鬼に会わせることくらいなら出来るはずだ」

「全部、レミリアのために」

「当たり前だ」

「そんな…………何て」

 何て、馬鹿げたことをしているのだろう。

 たったひとりの少女を立ち直らせるために、それだけのために、幻想郷中が諸手を挙げて立ち上がっている。その事実が馬鹿らしくて、愚かしくて。


 何より、嬉しかった。


「みんなふたつ返事でオーケーしてくれたぜ。な、アリス?」

「初め魔理沙から話を聞いた時は驚いたわ。よくそんな荒唐無稽なことを思いつくわねって、呆れもした。でも、私はここにいる。それが答えよ」

 少々気障な台詞だが、それでもアリスの言葉に嘘は見られなかった。

 恐らく、皆アリスと同じようなことを思ったのだろう。だからこそこれだけの人数が集まったのだ。

「みんな暢気に暮らしてるようでいて、その実、あいつを心配してたってわけさ」

「でも」

 パチュリーが言い淀む。

「でも……そんなの、間違ってるわ」

 さっと顔を伏せたパチュリーの心は千々に乱れ、感情の狭間に揺れ動いていた。

「例えレミィを助けるためとは言え……そのために傷つく人がいるのは間違ってる! どうまかり間違っても、誰かの笑顔を取り戻すために、違う誰かの血が流れてはいけないのよ……」

「そうだな」

 意外にもあっさりと、魔理沙はパチュリーの主張を認めた。

「だがな、それを言うにはパチュリー。お前が誰より傷ついてるぜ」

「……!」

 外見そとみの傷のことを言っているのではないことは、魔理沙が多くを語らずとも判ぜられた。

「レミリアをどうにかしたいと思って、お前が四苦八苦してたことは、私も知ってたぜ。話を聞くだけじゃどうにもならないから、黙ってたけどな。でも正直、辛かったぜ。どうしようもなく思い悩むお前を見ていることしか出来ないのはな。……お前がレミリアに抱くのと同じ気持ちを、私も感じてたってわけだ。だからわかる。お前はもう充分に戦った。次は私たちの番だぜ。この戦線は、例え私たちがどれだけ傷つこうとも、どれだけ血を流そうとも突破して見せる。お前ひとりに全てを背負わせることはしない。お前の痛みは、幻想郷に住む皆の痛みだ」

 一息に言い切り、決意に満ちた瞳で、魔理沙は戦場を見やる。

 つられてパチュリーもそちらを見れば、視界に映る誰もがパチュリーの痛みを分かち合い、戦い続ける姿が、ただただ印象的だった。

 かつてパチュリーがそうしていたように、皆が、しかし今度は力を合わせて戦っている。

「私はここで、あの結界を破る魔法の準備にかかる。手伝ってくれるか、アリス」

「当然よ。と言うか、私がいなければほとんど無理でしょう」

 うるさいな、と返す魔理沙の顔は、笑っていた。

 パチュリーが頼むより先に集結し、戦ってくれていた仲間は、余りに頼もしかった。

「魔理沙…………私……」

「おっと、泣くのはまだ早いぜ。お前にはレミリアをここに連れて来るっていう大仕事が残ってるんだからな」

 力技で咲夜を連れて来るにしろ、流石に限界があるのだろう。咲夜が紅魔館まで来ることに無理があれば、レミリアが自ら三途の川に足を運ぶしかない。

 そのための説得を頼むと、魔理沙は告げているのだ。

「お前がレミリアを引きずって来るまでには、咲夜を取り返しておくぜ」

「……わかったわ。必ず、レミィを連れて戻るから」

「信頼してるぜ、パチュリー」

 己の為すべきことはわかった。

 仲間の大切さを、身をもって知った。

 後はただ、レミリアを説得するのみ。

 しかしその前に、やっておかなければならないことがある。

 矢庭に戦場へ向き直り、冷たい夜気を胸いっぱいに吸い込んだパチュリーが、力の限りを尽くして叫ぶ。


 ——ありがとう。


 ほとんど金切り声に近い声で、抑え切れない感謝の涙をボロボロと零し、自分が礼を言うのは筋違いだと知りながら。

 パチュリーは、渾身の叫びをもって己の心をぶちまけた。

「……何やってんだか」と、魔理沙。

 彼岸花の咲き誇る戦場に一時の別れを告げ、満天の星月夜を背景に、パチュリーはひた走る。

 レミリアの心を取り戻すため。

 次こそは、必ず。



 ——飛んだ方が速いわね、これは。

 思い出したようにパチュリーは地面を蹴り、中空に踊り出した。

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