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Scarlet Tears  作者: ミカミ
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障壁 ~ Six years ago.

 諦めるのは、容易いこと。気概を手放した瞬間が、諦めた瞬間とイコールになるから。

 諦めないのは、辛いこと。重たい荷物を背負って山道を這い上がるように、それは苦しく、険しいこと。おまけに、山頂なんてものは初めからないのかもしれない。

 それでも辛い道を選ぶ私は、一体何がしたいのだろう。他ならぬ自分にさえ、はっきりとしたことは分からない。

 それでも、足が動くうちは、足掻けるだけ足掻けばいいじゃない。

 万にひとつも上手く行けば、重畳よ。


    1


 視界を遮るものの何ひとつない空を風に乗って飛んで行くと、もとより樹々の多い幻想郷の中でも特に緑の濃い森林地帯が、眼下に見えて来る。

 俗に魔法の森と称されるその場所には、ふたりの魔法使いがそれぞれ別々に居を構えている。

 霊夢とパチュリーのふたりはその二軒のうち、若干屋根に古臭い印象のある掘っ建て小屋に見当をつけ、その門前に降り立った。

「私としても話がつけやすいからね。どうせあいつならいつも暇してそうだし」

「そうね……彼女の気質を考えれば、一も二もなく動いてくれそうだわ」

「それは、私に対する当てつけかしら?」

「あ、いや、そういうわけじゃないのよ。霊夢にも感謝はしているわ」

 ばたばたと両手を振るパチュリーだったが、既に霊夢はそんなことなど気にしていない様子で、目前のドアノブを掴み、ノックもなしに開け放った。

 開口一番、よく通る声で叫ぶ。

「魔理沙ー、いるー?」

「…………おう、いるぜー」

 数秒遅れて、魔理沙のこもった返事が返ってきた。パチュリーが屋内を覗き込むと、中はどこもかしこも山積みになった本や用途の分からないガラクタばかりで、入り口からでは家主の姿を窺い知ることが出来なかった。先程の声がなければ、ここに人がいるとは分からなかっただろう。

「またこんなに散らかしてる。本当にあんたは片づけって言葉を知らないのね」

 文字通り足の踏み場もない場所で、それでも霊夢は散らかった本を器用に掻き分けながら奥へと進んで行く。パチュリーもそれに倣い、霊夢の足跡を辿って進む。途中、何度か脚の細い蜘蛛と遭遇し、悲鳴をあげそうになったが何とかこらえた。

 元々そこまで広い家ではないため、いくらか進むと、他に比べて少しだけ小綺麗な空間が開け、果たしてそこには床に座り込む魔理沙の姿があった。

 生真面目に眼鏡などかけて、分厚い革張りの本を読んでいる。

「まーた魔法の研究? 本当、呆れる熱意よね。その十分の一でも掃除に傾けたら、人間性が格段によくなると思うんだけど?」

「ほとんど何に対しても面倒臭がりなお前に言われたくはないぜ」

 第三者のパチュリーからして、ふたりの言い分は共に驚く程正論だった。

「そう言ったって、私はここまで散らかさないわよ。そうなる前に幾らか片づけてるし」

「元々、散らかる程に物を置いてないんだろ。さすがに私には及ばないまでも、もう少し能動的に物を集めたらどうだ? 霊夢もさ」

「ふん、大きなお世話よ」

「はは、全くだ」

 腐れ縁。

 あるいは、これもまたひとつの親友としての形か。そんな霊夢と魔理沙のやり取りを目にして、パチュリーは少しだけ胸に苦しいものを覚えていた。

 今のレミリアとパチュリーには、こんな当たり前な言葉の応酬さえ出来ない。それを今一度思い知らされた気がした。しかしながら、ここで弱々しく泣きべそをかくわけにはいかない。そんなことのためにパチュリーはわざわざここに足を運んだのではないのだから。

「それで、一体今日はどういった趣でわざわざ家まで来たんだ? 霊夢とパチュリーってのは、いささか突飛な組み合わせに思えるんだが」

 読み差しのページに栞を挟んで黒革の本を閉じ、それを傍らの机に積むと、魔理沙は少しばかり真剣な表情を作ってふたりに尋ねた。

「ああ、それなんだけどね……」

「いいわ霊夢。私が話すから」

 パチュリーの申し出に、霊夢はあっさりと身を引く。その顔にうっすらと微笑みが浮かんでいることを鑑みれば、パチュリーがそう言うであろうことはおそらく予想出来ていたのだろう。

「うちの吸血鬼、レミリアのことなんだけど」

 魔理沙の表情に、少なからぬ険しさが上乗せされる。

「……咲夜が死んでから、ずっと引きこもりっぱなしなんだろ」

「ええ、そうよ」

 話が早くて助かるとばかりに、パチュリーは次の言葉を継ぐ。

「彼女には——レミィには、立ち直って貰わなければならない。それはレミィの紅魔館当主としての立場をおもんばかってのことでもあるし、このままでは咲夜が浮かばれないというのもあるわ」

「でも、それは建て前に過ぎないんだろ」

「そう」

 魔理沙の察しのよさに、霊夢もパチュリーも内心で舌を巻いていた。あるいは、いつもが巫山戯ふざけ過ぎているだけで、彼女の本質はこういったところにあるのかもしれない。

「そういった、誰もが納得するような名分とは別の——あくまで個人的な感情として、私はレミィに笑って欲しい。彼女の親友として、またかつてのように笑い合いたい。でもそれは、咲夜を忘れるということでは決してなくて——ただ、その事実を受け入れて、前を向いて歩いて行きたいって、それだけなの。けれど、私の力ではどうにも出来なかった。だからお願い。レミィを救うのに、協力して」

 ここで、パチュリーは魔理沙に深々と頭を下げた。

「なるほど。で、お前も口説かれたってわけか、霊夢」

「私は一応善人のつもりだからね。こういう馬鹿正直な友達思いに協力することに、やぶさかじゃないのよ」

「けっ、よく言うぜ。どうせ相当渋ったんだろうが」

「あら、何のことかしらね」

 空とぼける霊夢。

「だがまあ、パチュリー。お前の気持ちは分かった」

 場を仕切り直すように、魔理沙が立ち上がる。

「協力……してくれるってこと?」

 もちろん、そうでなければここを動かない覚悟も、パチュリーにはあった。しかし、あえて彼女は確認の意を込めて魔理沙に問い返す。

「……いや、それは出来ない」

 にわかに、魔理沙を取り巻く空気が棘のあるものへと一変した。

「えっ……」

「ちょっと、どういうことなの魔理沙」

 呆気に取られたパチュリーの代わりに、霊夢が言葉を継ぐ。

「たった今、用事が出来たんだ」

 慣れた手つきで眼鏡を外し、先程置いた本の上に乗せて、壁に立てかけてあった箒を掴み、そそくさと出て行こうとする。

「え、ちょ、ちょっと、どういうことなのよ。ちゃんと説明して」

 そんな魔理沙の肩を、霊夢が強引に掴み、引き戻す。余りに不自然な魔理沙の様子は、到底看過出来るものではない。

「言っただろ。用事が出来たんだ。お前たちに付き合ってられるだけの暇もなくなったんだよ」

「だからそれを説明しろって言ってるのよ!」

「お前たちに説明してどうなるものでもないだろ」

 先程までの魔理沙と同一人物であるとは思えない程に、現在の彼女は冷ややかだった。表情にも、語気にも、怜悧な刃物の輝きが表れている。

「そんなこと、聞かなきゃ分からないでしょ! じゃあ何、あんたのその用事っていうのは、パチュリーとレミリアを助けることより大事だって言うの⁉」

「大事だね、少なくとも私にとっては」

 きっぱりと言い捨てる。

「魔理沙……あんた、どういうつもりなの……!」

 義憤に怒りをたぎらせるということは、霊夢にしてはとても珍しい感情の表れだった。あるいは、それ程までに魔理沙の行動は不自然だったとも言える。

「お前たちに話す義理はない」

「待って!」

 絞り出すように叫んだのは、パチュリーだった。

「その用事が終わったらでいいから……お願い、協力して貰えないかしら」

「…………」

 無言が、返事だった。

 霊夢の手を乱暴に振りほどくと、魔理沙は霊夢たちの作った道を抜けて、本当に外へ出て行ってしまった。後には、怒りを露わにする霊夢と、複雑な表情で魔理沙の後ろ姿を見送ったパチュリーのみが残される。

 しばしはふたりとも、沈黙のみを拠り所として、その場に立ち尽くしていた。


    2


「何なのよ、あいつ。急にわけの分からないこと言い出して。挙げ句本当にどっか行っちゃうし」

「けれど、魔理沙の様子にもおそらくは何か理由があるんだと思うわ」

「そりゃそうよ。あんな態度取っておいて特に理由もなかったってんなら、私はあいつを百回ぶっ飛ばしても気が済まないわ」

 魔理沙の行動は余りにも不可解だった。急に用事が出来たと言い出した理由も、果たして本当に用事などというものがあるのかさえ分からない。

 しかしながら、ここで拘泥していても状況は好転しないということは、ふたりとも理解していた。

「まあ何にせよ、魔理沙はだめだったってことで、他を当たりましょ。そうね……文なんてどうかしら。新聞記者のあいつなら顔も広そうだし」

 憤懣やる方ないといった感情が顔にありありと出ている霊夢だが、今はしばし、その怒りを収めておかなければならない。

「でも、彼女は幻想郷中を飛び回って新聞のネタを集めているわけでしょう。場所を特定することなんて出来るのかしら」

「ああ、それなら心配いらないわよ」

 特に心配などしていない様子で、霊夢は快活に笑う。どうやら怒りも引っ込んだようだった。

 訝しげな視線を向けてくるパチュリーを尻目に、霊夢はやおら息を吸い込むと、

「あ——っ‼ こんな所に新聞の一面を飾れそうな特ダネが落ちて」

「何ですとーっ‼」

 霊夢が叫び終わるより早く、つい今しがたまで影さえ見えなかった烏天狗の少女——射命丸文は、次の瞬間にはふたりの前に超高速着地を遂げていた。その余りなスピードに、彼女を中心として周囲に突風が吹き荒れる。喘息持ちのパチュリーにとって、突風によってもたらされた砂煙はいささか以上にこたえるものがあった。

 やがて砂塵が晴れると、視界を取り戻した文は勢い込んで霊夢の元に詰め寄ってきた。

「来夢さん来夢さん、どこにあるんですかっ‼ その特ダネというのはっ‼」

「ちょっと、顔が近いわよ顔が! それと私の名前は霊夢だから!」

「あ、ああすみません。特ダネと聞いてつい興奮してしまいまして」

 胸に手を当て、深呼吸。それでようやく落ち着きを取り戻した文は、もう一度霊夢に向き直り、

「それでは改めまして霊夢さん。その特ダネというのは、一体いずこに」

「ないわね」

「うあ~っ! また騙されたぁ~っ‼」

「ケホ、ケホッ……霊夢、今この子『また』って言ったわよね」

「言ってないわよ。パチュリーあんたやっぱり頭おかしいんじゃないの?」

「それはいくら何でも酷くないかしら⁉ それにケホッ、『やっぱり』ってどういうこと⁉」

「あーうるさいうるさい。ったく、あんたのためにわざわざ文を呼び出してやったんだから、細かいことは気にしないの」

「それは……まあ」

 そう言われてしまえば是非もない。差し当たって、がっくりと地面にくずおれている文を助け起こしながら、「ごめんなさいね」と小声で謝るパチュリー。

「またぞろ嫌な思いをさせちゃったみたいで。後で霊夢にはきつく言っておくから」

「ああ、お優しいですねパチュリーさん……。その心遣いが身に沁みます。私が男だったら確実に惚れてますよ」

 光り輝く文の視線と、その言動とに少々背筋を寒くしながら、パチュリーは文の手を取って立ち上がる。

「それで、今日は何をすればいいんですか霊夢さん? 出来ればパチュリーさんの前ですので、『羽化に失敗した蝶の死骸』のものまねは控えたいのですが」

「霊夢、あなたこの子に随分とハードな芸を強要しているみたいね」

「文の死骸ものまねシリーズは一見の価値アリよ」

「少しは悪びれなさい!」

 怒り半分、呆れ半分といった調子で、パチュリーは霊夢に怒声を浴びせる。先程の突風の影響か、頭の帽子がずり落ちて、情けなく地面に落下した。全く様になっていない。

「……まあ、今日のところは勘弁しておいてあげるわ。文、ものまねやらなくていいわよ」

「ほ、本当ですか! きゃっほぉうっ‼」革命達成の瞬間を喜ぶ市民のような、文のはしゃぎようだった。

「それで、今回は別なことで文にお願いがあるんだけど」

「?」

 きょとん、と首を傾げる文を見て、霊夢が顎をしゃくった先にはパチュリーの姿があった。『後は自分で話せ』という意思表示だ。それを受けたパチュリーが、拾った帽子をはたきながら切り出す。

「実は、うちのレミィのこと何だけれど……」

「ああ、そのことでしたら聞いていますよ。協力者を募っているんですよね」

「「‼」」

 これには、霊夢もパチュリーも同様の驚きを隠せなかった。察しがいい悪いの問題ではない。いくら何でも話が早すぎる。

「あなた、どこでそれを……?」

 パチュリーが問う。

「私はこれでもブン屋ですから。それくらいの情報でしたら嫌でも耳に入って来るんです」

 新聞記者である文に、それ以上の答えを問い詰めるのは野暮だった。それに、どれだけ追及したところで、この誇り高きブン屋にそれ以上の答えなんてものは存在しないだろう。

「……そう」

 そんな文の気概に呼応するように、パチュリーも少しばかり口角を持ち上げる。

「それなら、込み入った説明は不要ね。用向きは分かっているだろうけれど、改めてお願いするわ。……私の親友を救うのに、協力して」

 満身の願いを込めて、文に頭を下げる。形だけに留まらない、心からの懇願だった。

 そんなパチュリーの願いを真正面から受けた文だったが、

「……すみません、協力は、出来ません」

「えっ……」

 またか。

 またなのか。

 そんな思いが、パチュリーの中で首をもたげた。

「詳しいことはお話し出来ませんが、少々込み入った事情がありまして……ごめんなさい、パチュリーさんへのお力添えは、難しい状況です」

「あんたも、魔理沙と同じことを言うのね」

 それまで近くの木の幹に背中を預けていた霊夢が、不意に口を開いた。

「事情があるから、ってことで断りはするけれど、その内容については一切教えてくれない。まるで魔理沙の時と同じじゃない。何よあんたら、示し合わせてるの?」

「それは……! その……」

 何か言いたそうに口を動かす文だったが、結局それらしい抗弁は一言も出て来ることなく、そのまま勢いを失って黙りこくってしまった。それだけで、文が何も知らないわけではないということは察せられる。

「と、とにかく……私はこれで失礼します。こちらの事情が片づいたら、そちらに協力出来るかもしれません」

 気休めの言葉を残して、文は空の向こうへ飛び去ってしまった。

 彼方の山際で輝いていた夕陽はとうに暮れ落ち、代わりに夜空を彩る細やかな星々は、灯りとしては余りにも心(もと)なかった。

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