最終章 アンノウンヴィーナス ~ The truth of Catastrophe.
現代編、最終章です。
魂込めて書きました。
1
吐く息はわずかに白く荒く、一時中空に蟠っては灰色の空へと消えていく。雲間から絶え間なく降りしきる粉雪は、もとより冷えきったレミリアの手に落ちようとも、溶けることはない。
すっかり葉の落ちた、骨ばった指のような乾いた枝ばかりが残る藪の中にレミリアは身を隠し、かつての自分と仲間たちとを見つめていた。
唇を強く噛み締めたまま、一言も発することなく立ち尽くすパチュリー。半狂乱に陥り、言葉ともつかない悲鳴を挙げ続ける幼き自分と、それを必死で後ろから抱きとめる美鈴。
そして、額に大穴を穿たれ、血浸しの地面に横たえられたまま目を開けることのない咲夜。
目の前に広がる惨状は、どれだけ忘れようとしても脳裏にこびりついて離れなかった、在りし日の光景だった。
パチュリーがそうしているように、藪に隠れたレミリアもまた、強く強く唇を噛む。咲夜を救えなかった己を罰する者は、自分の他にいないのだから。
口の端から、一筋の血が伝う。しかしその傷も、瞬く間に回復してしまう。
咲夜が負った痛みは、受けた傷は、こんなものでは済まないのに。
不死身がゆえの悲しき性は、ささやかな償いさえ吸血鬼に許さない。
やがて、すっかり冷たくなったであろう咲夜の遺体が運び出され、紅魔館の裏庭から人影が消えたところで、レミリアは木々の間からその姿を現した。
吹き抜ける木枯らしが、肌を刺す冷気を一層鋭いものとする。長い銀髪を風になびかせながら、レミリアはその場へと足を運んだ。
咲夜の死を食い止められなかったことを無視するつもりはないが、しかし悔悟の情に浸ってばかりもいられない。
残された懐中時計の使用回数は、二回。元の時空に戻る分を考慮すれば、咲夜を救うチャンスは、一回に限られる。
その一回をしくじらないために、ここで念入りに現場を調査しておくことはけして無駄ではないだろう。
次こそは、必ず。
固く心に決めて、レミリアは赤黒く汚れた芝生へと座り込み、周囲を観察する。
芝生同様べっとりと血の染み付いた外壁には、咲夜の頭蓋を貫通した際に刻まれたナイフの傷跡が残されており、事件当時の凄惨な様相を如実に物語っている。しかしその反面で、咲夜を死に追いやったであろう『犯人』の痕跡は全く発見できない。布の切れ端をいくつか拾ったが、それはどれも咲夜の衣服から出たものであり、手がかりにはなりそうもなかった。それでも諦めず、吸血鬼の視力と洞察力を十全に振るい、文字通り髪の毛一本見逃すまいとして探し続けたが、結局見つかったのは自分のものと思しき髪の毛一本だった。話にならない。
「……おかしいわね。ここで戦闘があったのなら、もう少し何か残されていてもいいものだけれど」
あるいは、戦闘になる前に咲夜は殺されてしまったのか。
不意打ち。あり得る話ではあるが、しかしこの場合、その可能性は薄かった。
「咲夜は、正面からナイフを受けていた……」
不意を突かれて殺されたのであれば、傷は背中側に残るはずだ。つまり襲撃者は真っ向から咲夜に勝負を挑んだ上で、なおかつ一片の証拠も残さずにこの場を立ち去ったということになる。凶器のナイフが咲夜のものであるという点も、何やらきな臭い。
「相当な使い手、ということになるのかしらね」
咲夜が自分の身内であるという、その贔屓目を考慮に入れた上でも彼女は戦闘に強い。正確無比な投げナイフの技術と、それを補う天性の体術センス。加えて時間の停止、加速進行の決定権を支配しているため、接近と後退に費やす間隙は事実上ゼロとなる。
そういった圧倒的な実力とアドバンテージをもってして、しかし咲夜が殺されたという事実は、相手の力量が相当のものであるということを示唆している。
「まあいずれにせよ、咲夜を殺した犯人である以上、手を抜くつもりはないけれど」
その時だった。
「そこにいるのは誰!」
呟くレミリアの背後に、鋭い声が響いた。
振り返ろうとして、しかし続く声に制止される。
「そのまま動かないで! 両手を挙げなさい。下手に動けば……消し炭になるわよ」
おそらくは魔法だろう、連続的に耳朶を打つ燃焼音からして、どうやら相手は本気であるようだった。しかしそんな脅しに動じる風もなく、レミリアはゆっくりと両手を挙げ、落ち着き払った声で告げる。
「私は犯人じゃないわ。ここを調べていただけよ」
「その発言が、すでにあなたが犯人であるということを証明しているわ。ここで待ち伏せていれば顔を出すだろうと思っていたけれど、まさかこんなに早く現れるとは予想外だったわ。名乗りなさい、あなたは誰?」
「私よ。わからないの? …………ああ、そうね。この頃の私は、まだ幼かったものね」
「? 何をぶつくさと。覚悟しなさい、咲夜を殺した犯人!」
背後の殺気が増し、熱風が伝わってくるほどに、炎が高く渦巻く。このままでは埒が明かない。どころか、身の危険さえある。先ほどの制止を無視する形で、レミリアはゆっくりと振り返った。
「! だから動くなと言ったはずで……えっ?」
間の抜けた声と共に、赤々と燃えさかっていた炎の壁が、急速に鳴りを潜める。それに伴い、張り詰めていた殺気も一気に弛緩した。
「この姿を見るのは初めてよね。パチェ」
すぐにでも咲夜を助けに行きたい状況で、しかしレミリアは七年前の親友に精一杯の笑顔を作り、おどけて見せる。
「レ、レミィ……なの?」
信じられないものを見る目で、レミリアを見つめるパチュリー。驚きのあまり手にした魔導書を落としそうになるも、レミリアに視線を向けたままで器用に持ち直して見せる。
「ええ、そうよ。信じられないかもしれないけれど、レミリア・スカーレット本人。間違いないわ」
「で、でも、何でそんな姿で……それに、レミィはさっき……」
「話すと長くなるんだけどね」
そう前置きして、レミリアはぽつぽつと語り出した。
自分は未来から来たのだということ。
幻想郷の皆の尽力により、自分は一度死んだ咲夜と出会っているということ。
その出会いにより、自分は成長したのだということ。
しかしながら、咲夜の死の真相は七年の時を経ても未だ謎のままだということ。
そんな時、咲夜が自分に遺した懐中時計を発見したこと。
時計に秘められた力とパチュリーの協力を得て、この時空まで咲夜を救いに来たということ。
救えなかったこと。
しかしまだチャンスは残されているということ。
包み隠さず、仔細漏らさず、すべて話した。
もちろんかいつまんで話そうとすればそうすることもできたが、レミリアとしてはここで全てを話しておきたかった。
パチュリーの考案したトンデモ理論も、きっちり説明しておいた。
「——と、そういうわけよ」
長い長い一人語りを終え、レミリアは深い息をついた。
「随分と危ないことをレミィに実行させたのね、私は」
疑うことも訝しむこともなく、あっさりとレミリアを信じた様子のパチュリーだった。たとえ確証がなくとも、強固な信頼関係があればそれは下手な物証よりも信用に値する。二人の間にのみ根付く、それは共通認識だった。
「けれど、その結果として私はここにこうしていられるのよ。ありがとう、パチェ」
「今の私にお礼を言われても、何だか実感が湧かないけれど……まあいいわ。その言葉、受け取っておくわね。……ところでレミィ、大人の姿になってもレミィは私のことをパチェと呼ぶのね」
「いけないかしら?」
「そういうわけではないけれど……何だか子供っぽいじゃない」
「あら、別にいいじゃない、子供っぽくても。『大人になっても忘れちゃいけないものがある。私はそれをどこかに落として来ちゃったわ』って、七年後の霊夢も言ってたわよ。今はそう、やんちゃ盛りな年頃でしょうけれど、彼女、とても綺麗になるのよ」
「あの霊夢が? にわかには信じられない話だわ。人間ってわからないものね」
その言葉に、レミリアは少しばかり表情を暗くする。
「人間だけじゃないわ。動物でも妖怪でも神でも、この世界はわからないことだらけよ。そして——ここからは私の話になるけれど——そのわからないことだらけの世界を、七年前——つまり今の私は知らなかった。この世のこと、あの世のこと、過去のこと、現在のこと。果ては未来の運命に至るまで、この手中に収めたつもりでいたの。まるで神様気取りよ。当の神様にだって、わからないことはたくさんあるというのにね」
ちらと、レミリアは紅魔館の壁に視線をくれる。
まだ夜にすらなっていないこの時間帯、自分はあの館の中で咲夜の遺体に取りついて泣いていたはずだ。否、昼夜などは関係ない。それこそ昼となく夜となく、涙が枯れても——泣いていたはずだ。
「他でもない、咲夜の死によって私は己の無知を、無力を思い知らされたわ。それはもう一気に——空の上から奈落の底まで転落した気分だった。転落死した気分だったわ」
「…………」
「吸血鬼に奈落の底。お似合いよね。そう、お似合いなのよ。不釣り合いな天空で神の名を騙っていれば、それは神罰も下るでしょう。さすがに反省したわ。納得はしなかったけれどね。——そうして私は反省して、反省しきったところで、もう一度運命をこの手に収めようと思ったの」
曇天の空を見上げ、レミリアは目を細める。視線の果てに垂れ込むは銀灰色の雲海。しかしその先に、彼女は違う何かを見ているのかもしれなかった。
「身勝手よね。すでに起こってしまったことが自分にとって不都合だったからといって、過去の歴史を好きなように改竄するのよ。もしかしたらその結果として、誰かが迷惑するかもしれないのに。全くの第三者が、不都合を被るかもしれないのに」
「…………」
「けれどやっぱり、私はこうせずにいられない。命の価値は全て平等だなんて言葉は、一見世界の真理をついているようで、その実ただの薄っぺらい綺麗事にすぎないと思うのよ」
濁った空から視線を外し、紅い双眸をパチュリーに向ける。
「何にも増して大切な人よ、咲夜は。だから私は助けたい。救い出したい。たとえ誰を敵に回すことになろうともね。博愛精神なんて、所詮は嘘で固めた不格好な理想よ」
衣服の中から懐中時計を取り出し、それを愛おしげに見つめる。
「看過できないのよ——この私の思い通りに、ことが運ばないなんて」
高慢な台詞とは裏腹に、レミリアの語調は、話すほどに弱々しかった。
「……てっきり、レミィは物分りのいい大人になったんだとばかり思っていたけれど」
柔らかく、パチュリーは微笑む。
「……そういうわがままなところは、全然変わってないのね。だから、そう……七年経っても」
少し安心したわ——と言って、レミリアの右手にあるそれを、パチュリーは見やる。
「その時計に込められた力で、ここに来たというわけね」
「ええ…………まあ、失敗してしまったのだけれどね」
後ろめたさに目を伏せながら、レミリアは薄く笑う。
そんなレミリアに発破をかけるように、パチュリーは反駁する。
「失敗じゃないわよ。まだチャンスは残されているんでしょう? だったら、過程はどうあれ最後に笑えればそれで成功——ってことでいいんじゃない?」
「…………そうね」
たとえ時を遡ろうとも、親友の存在は変わることなく自分の心を支えてくれるのだった。
「ありがとう、パチェ」
ゆっくりと目を閉じ、レミリアは掌中の時計に意識を集中する。それにつれて、彼女の周囲を光が包み込んでゆく。
「それじゃあ、私は行くわね」
「ええ。——咲夜のこと、任せたわよ。レミィ」
光に遮られ時を渡る寸前、パチュリーの表情が一瞬、ほんの一瞬だけではあったが——曇ったように見えた。
2
硬く、冷たい地面の感触にレミリアは目を覚ました。
初めに視界を満たした光景は一面の曇り空で、まだ雪が降っていないところを見るとどうやら咲夜が殺される前の時空に来ることができたらしい。
と、そう断じてしまうにはいささか短絡的に過ぎる感がある。仰向けの姿勢から起き上がり、レミリアは素早く周囲に視線を走らせた。
辺りに広がる地表は、今自分が座っている場所も含めてその全てが赤レンガに統一されていた。所々に鋭角的な斜面があり、時計台のような建物が突き出るように生えている。遠くに見える樹木の先端は自分の目線と同じ高さにあり、この場所が高所であるということが知れた。
レミリア自身、この場所に降り立ったことはなくともここがどこであるかを知ることはそう難しいことではなかった。
そう、ここは……。
「紅魔館の……屋根の、上」
だった。
この場所に降りることは全くの想定外だったが、しかしもっととんでもない場所に飛ばされる可能性があったことを思えば、たとえ屋根の上であれ紅魔館の敷地内に留まれたことは僥倖と言えた。
元より、過去へ移動することを目的として作られたわけではない時計だ。
「まあ、誤差の範囲ね」
しかし、安堵してばかりもいられない。レミリアは素早く立ち上がると、紅魔館の屋根を裏庭方向へと駆けた。
屋根の縁に取り付き、おそるおそる下を覗く。
果たして咲夜は——生きていた。
外壁から大きく距離をとった位置に立ち、指に挟んだナイフを構えて真っ直ぐ前を見つめている。丁度、レミリアの位置からでも表情を窺える形だ。
「よかった、さく……」
言いかけて、慌てて口をつぐんだ。
と言うのも、これから咲夜を襲撃するであろう刺客の姿が——どこにも見えなかったからだった。
ここで下手に自分が登場すれば——相手は一旦退くかもしれないが、先走って咲夜に危害を加えようとする可能性もけしてゼロではない。
おそらく、咲夜が殺されるまでの時間はそれほど残されていないだろう。
ならば、それよりも早く敵影を捕捉し——、
相手を出し抜く形で、叩く。
幸い、この場所は咲夜の立つ裏庭を俯瞰して見ることができる位置にある。敵もこんな場所に自分を見張る人間、もとい吸血鬼が影を潜めているとは思わないだろう。
自身も相手に見つかってしまわないように姿勢を低くし、屋根にへばりつく形で注意深く周囲を観察する。
と。
「卑怯な真似をしてくれるわね」
それまで険しい表情でナイフを構えていた咲夜が、唐突に口を開いた。
「えっ……?」
卑怯な……真似?
それは、自分に向けて発せられた言葉なのだろうか? しかし、それにしてはあまりに脈絡がない。
咲夜の言葉にどう受け応えしたものか、あるいは無視を決め込むべきか、レミリアが判断に迷っているところで、
「卑怯? 上等だわ。そうでもしなければ、あなたには勝てないもの」
二人しかいないはずの裏庭に、レミリアの認識外にあったもう一人の声が響いた。
「!」
その声は、屋根に張り付くレミリアの直下——館の壁際から聞こえたものだった。直下だったがゆえに、その位置はレミリアにとって死角となっており、今の今まで気づけなかったのだ。
聞き覚えのある声だった。
慌てて地上を見下ろすレミリアに、第二の衝撃が走る。
垂直に、真上から見下ろした角度ではその人物の詳細な顔立ちはわからなかったが、特徴的なナイトキャップと背中に生えた蝙蝠の翼から、眼下の人影の誰であるかは一目で知れた。
他でもない。
七年前の——幼い姿をした、レミリア・スカーレットだった。
「なっ……!」
そんなはずはなかった。しかし見間違えようはずもなく、先ほどの声も自分のそれに酷似していた。
もちろん、ここが七年前という時空である以上、ここにレミリアがいるという事実が物理的にあり得ないということはない。
あり得なくはない——しかしそれでも、あり得ないものはあり得ないのだ。
レミリアの記憶が、忘れようもなくそれを証明している。
「どうして……あの時、私は」
館の中にいたはずなのに。
あの時、自分はこっそり咲夜の私室に忍び込もうなんて——馬鹿をやって。
咲夜の危機に、気づけなくて。
それゆえに、彼女をみすみす死なせてしまったはずなのに。
なぜ、『私』がここにいる?
「どうしたの? 攻撃してみなさいよ」
嘲笑を交えた声で、『レミリア』は言う。
「くっ……」
露骨な『レミリア』の挑発に、しかし咲夜は構えたナイフを強く握ったのみで、動く気配を見せない。
「ふふ、本当に見上げた忠誠心よね。私がこうして主の姿をしているというだけで、指一本動かせないんだものね」
まあ私も、その隙を遠慮なく突かせてもらっているわけなんだけれど——と、『レミリア』は続ける。
「主の姿を、している……?」
その言葉の真意は、直後に発せられた咲夜の言葉によって示された。
「山狐……あなたがここに来た理由は、何となく察しがつくわ」
山狐。
「あら、正体までばれちゃってたの? ……まあ、さすがは紅魔館の十六夜咲夜と言ったところかしらね。けれど無駄よ。私がこの姿でいるうちは、あなたに私を攻撃することはできない」
「…………」
「ふふ、これでようやくあなたに復讐できるわ、十六夜咲夜。あなたに殺された仲間の無念が、ようやく果たされる」
「仲間……やはりあなたは、かつて私が殺した狐の——」
「そう、家族よ。……いいえ、ここは遺族というべきね」
「…………」
繰り返された言葉の応酬から、レミリアはおおよその事情を、咲夜が殺された経緯を——察した。
過去に、レミリアの与り知らないところで咲夜は狐を殺した——おそらくそこには、紅魔館に悪戯で侵入した狐を撃退する際に弾みで殺してしまった——といった然るべき理由があるのだろうが、事実として咲夜は狐を殺した。
残された狐の仲間は、家族を死に追いやった十六夜咲夜を強く憎み——復讐することを誓った。
そうして復讐を企てた狐は、自身の変化の術を用いてレミリアの姿に化け——見事、仲間の仇討ちを成し遂げた。
咲夜の主に対する忠誠心までもを利用した、執念の犯行。
「それが、ことの真相だっていうの……?」
未だそれを信じることができないレミリアの前で今、三度目の歴史が繰り返されようとしている。
黙って見ていれば閉じてしまう選択肢が、しかしわずかな余剰をもって残されている。
「お母さんが殺されたあの時から、私はずっとあなたに復讐することだけを考えて生きて来たわ。それだけを目的に、それだけを拠り所に、この日を待ち続けた」
子狐は、レミリアの声を借りて滔々と語る。
「お母さんを殺したあなたが許せなくて、殺されたお母さんのことを思うと、涙が止まらなくて——そう、復讐する。復讐するのよ、私は」
「…………」
咲夜は『レミリア』を見つめたまま、一言も発しない。抜き身のナイフは、とうの昔に降ろされていた。
「十六夜咲夜。私はあなたを、殺す。私はあなたが憎いのよ。だから、そう——お母さんが浮かばれるためには、あなたを殺さないと——いけない。じゃなくって、そうじゃなくて、私は、あなたを……」
それまで余裕を保っていたレミリアの様子が、少しずつ変化し始めた。
言葉を発するにつれ、『レミリア』の言葉が支離滅裂になっていく。それはまるで、自分自身に言い聞かせているかのような響きを伴っていた。
「……だめだわ。こんなに憎もうと思っているのに、憎たらしくて然るべきなのに、あなたのことが……憎めない」
「…………」
やはり咲夜は、終始おしのように沈黙を貫いている。
「だって、おかしいじゃない……? あなたは——殺してしまったお母さんのことを思って、わざわざ墓標まで建ててくれるような人間なのに。毎日欠かすことなく、お母さんのお墓を掃除してくれるような人なのに。自分が背負った十字架の重みを——どこにも、誰にも押し付けない人なのに」
涙交じりになりながら、狐はありったけの思いを言葉に変え、叫ぶ。
「あなたのような『いい人』に、どうしてお母さんは殺されなければならなかったのか! 本当なら……本当なら、お母さんが死ぬ必要はなかったはずでしょう! どうせ結果が同じなら、せめてあなたには悪人であってほしかった。悪意に満ちた存在であってほしかった。十六夜咲夜……あなたは私に、あなたを憎むことさえ、許してはくれないんですね……」
そこに立っていたのは、もはやレミリア・スカーレットの名を騙った吸血鬼の偽物ですらなく。
化けの皮の剥がれた、憐れな一匹の子狐だった。
妖怪としての人型、美しい金髪を持った少女としての形は保たれていたが、それはすでにレミリアとは似ても似つかない造形だった。
しかしながら。
「…………似ている」
屋根の上から事態を見つめるレミリアは、肉親を失った妖狐にある種特異な感慨を抱いていた。
自分と彼女とは、どうしようもなく似ている。
立たされた境遇。味わった辛さ、悲しみ、後悔といった感情——それら全てが自分と酷似している。
レミリアにとって、狐の抱く負の想念は、ひとつの例外もなく自分とリンクしていた。
彼女の気持ちは痛いほどに、自分のもののようによくわかる。
そして彼女もまた、そうなのだろう。
「そういうこと、だったのね」
懐中時計を取り出し、レミリアは力強く立ち上がる。
残された使用回数は、一回。
咲夜を惨劇の運命から救い、大手を振って帰るためにとっておいた、替えの利かない復路の切符。
しかし躊躇いは必要なかった。
迷いなくレミリアは時計の蓋を開き、対照的に目を閉じて意識を集中する。
咲夜がこの後、どのようにして殺されるのか。それを見届ける必要も、止めに入るつもりもなかった。
ただ一心に。
全てを救うため。
紅魔館の屋根に光が満ちる。
目指す時空は、過去。
3
鋭利な刃先が、少女の身体を容赦なく貫いた。
「……何とか、間に合ったわね」
「……お嬢……様……?」
「危なかったわ」
「お嬢様ッ!」
駆け寄る咲夜を、レミリアが片手で制する。
「大丈夫よ」
言いながら、レミリアは己の心臓に突き立ったナイフを一気に引き抜く。いくらかの血がこぼれたが、傷口はゆっくりと再生を始めていた。
「だめじゃない、咲夜。あなた、もう少しで殺すところだったのよ」
全くと言っていいほど事態を把握できていない咲夜に対し、レミリアは続ける。
「そこの狐をね」
ちら、とレミリアは後ろを見やる。
そこには、突如として目の前に出現したレミリアを驚きの目で見つめる、狐の母親の姿があった。
「お嬢様……どうして、そんな……えっ?」
「ちょっと野暮用でね。未来から飛んで来たのよ」
間一髪、間に合った。
レミリアが時計に残された最後のエネルギーを用いてやって来たのは、狐の母親が咲夜に殺される寸前の時空だった。
投擲されたナイフと狐との間に入るように出現したため、もろにその攻撃を食らってしまったのだが、結果としては成功だった。
これで、咲夜が死ぬこともない。
狐の子供が悲しい思いをすることもない。
大切な者の死を巡り、交錯したふたりの運命は、ようやく報われたのだ。
「……やっと、終わったわ」
あの時、レミリアが狐の子供を殺してしまっては、到底全てが救われたとは言えなかった。
片落ちだった。
無論、狐の復讐を果たさせたところで、彼女の母親が戻るわけもない。
咲夜と子狐、その双方に未来をもたらす選択肢は、やはりこの時空への干渉をおいて他になかった。
「……さて、と」
大業を果たし終え、レミリアは深く息をつく。
咲夜の遺した懐中時計は、正真正銘ただの懐中時計へと成り下がり、その時計を使って未来に帰る術は閉ざされたことになる。
この時空にはもうひとり、幼い姿をしたレミリアがいるのだから、ここにいる自分がレミリアとして生きて行くこともできない。
しかし、問題はなかった。
「咲夜」
もはや別人とさえ呼べるほどに成長した自分の姿を不思議そうに見つめる咲夜に、レミリアはこう持ちかけた。
「あなたの能力で、送り届けてほしいところがあるのだけれど」
4
「ただいま」
帰り着いた場所は、旅立った時と同じ、紅魔館の地下図書館だった。
「お帰りなさい、レミィ。それと、お疲れさま」
前触れなく帰ってきたレミリアを、しかし何事もなかったかのようにパチュリーが出迎える。
「何だか、ここに来るのがすごく久しぶりのような気がするわ」
「色々あったみたいね」
「ええ、それはもう」
語り尽くせないほどにね——と、レミリアは言う。
久々の感で座る図書館の椅子は、しかし確かな馴染みを持ってレミリアを受け入れた。
変わっていない。
「変わらないもの——ね」
遠くを見るように、レミリアは独りごちる。
今頃、あの狐の親子は仲睦まじく暮らしているだろうか。
変えた運命の果てに、笑うことができているだろうか。
「変わらないものはない。たとえ変わらないように見えるものでも、きっと見えないところでは移ろっている。けれどそれと同じくらい——この世に変えられないものなんてないのよ」
「哲学者ね、レミィ」
「茶化さないでよ、パチェ」
図書館の扉が開き、ひとりの女性が中に入ってきた。
その人物はレミリアとパチュリーの座る机まで歩いてくると、主人の前で恭しく一礼をする。
「レミリアお嬢様、パチュリー様。お茶の準備が整いました」
衝動的に書き始めた本作品「Scarlet Tears」ですが、どうにか今回の投稿をもって完結させることができました。これも拙作を読んでくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございました。
何度も書くのをやめようと思って、それでも書き続けることができたのは、読者の方々、特に拙作をお気に入り登録していただいた方々の存在があってこそです。心から感謝です。ありがとうございました。
つきましては——これは私のわがままなのですが——拙作を読んだ感想や評価などをもらえると嬉しいです。できれば具体的に教えていただけると幸いですが、具体的じゃなくても構いません(読みにくい、とかそういう端的なご指摘でもOKです)。次回作への課題、励みとさせていただきます。
また、リクエストいただければ本作の後日談的な短編も書きたいと思いますので、読みたいと思った方(そんな方、いらっしゃるのでしょうか)は、お気軽に言ってください。
それではお目汚し失礼しました。止尾縁でした。




