序章 ~ 墓前にて
そこは夜の湖に面した、人けのない丘だった。
まばらに咲く白い花は、そよぐ夜風にその肢体を遊ばせている。地上を照らす月の光が、薄雲に遮られて淡い。今宵は満月だった。
冷たい光がどこまでも冴え渡る幻想郷は、夜と形容するにはあまりにも白々しく明るく、丘に立つ少女の影を浮かび上がらせる。
年の頃にしておよそ十七前後。線の細い体躯に透けるような白い肌、鮮やかな血を思わせる紅い瞳。そして、腰まで届く白銀の髪を背中から左右へ分けるように伸びる、漆黒の翼。人と呼ぶには背中の装飾がいささか邪魔で、しかし人外と表現するには美しすぎた。
レミリア・スカーレットとは、つまりそんな存在だった。
「いい月ね」
振り仰いだ夜空にぽつりとこぼし、少女は捧げ持った花束を目前の石碑に手向ける。
「こんな夜もあるのね。私がここに来てからの数百年で、一番明るいかも」
視線を少し遠くに転じれば、湖面に映る逆しまの月が波に洗われて穏やかに揺らいでいる。さらにその先、ここから対岸に位置する場所には、月明かりにその影を浮かび上がらせる紅魔館があった。
「もう、誰も私を子供とは呼ばないわ」
石碑の傍らにそっとしゃがみ込み、レミリアは呟く。
夜を統べる吸血鬼。わがまま盛りのお嬢様。彼女を少しでも知るものならば、誰しもがその強烈な個性を覚えている。曰く彼女は――
付き従う従者に甘えきりの、『子供』であると。
「いろいろあったわね――と言えるくらいには、悲しみも薄れたけれど……それでもここに来ると、どうしても感傷に浸らずにはいられないわね」
石碑に刻まれた生没年には、彼女が生き、そして死したという事実が偽りなく示されている。
実にあの日から七年もの時が過ぎ、真新しかった墓碑も徐々に風化を始めていた。
「ねえ、どうして行っちゃったの」
返事はない。
途切れがちな虫の声が、いやにはっきりと耳を打つ。
「また、来るわね」
小ぶりな石の表面を愛おしげに撫で、少女は思い出を後にする。
本当はもっといたかったけれど。
「じゃあね…………咲夜」
これ以上は、溢れ出る滴を抑えられそうになかったから。