7. 切なさの果てに
「な、んで……?」
ひく、と喉を引きつらせながら後ろを見れば、竜之介がじいっと和泉を見つめていた。涙を優しく拭って、乱暴にくしゃくしゃと頭を撫でられる。
和泉はされるがままになりながら、どうして竜之介がここにいるのだろうと考える。ここに来る理由なんて、もうなくなったはずなのに。
「ったく、汚ねえ顔だな。……どうかしたか」
汚いと言いながらも着ているシャツで和泉の顔を拭う竜之介に、震える声で言葉を紡ぐ。
「なんで、ここにおるん?」
「アァ? いちゃワリーのか」
和泉の言葉に凄んで返す竜之介をじっと見つめる。聞きたいのは、そんな言葉じゃない。
へにょりと情けなく眉をハの字にたらして不安そうな顔をする和泉に、竜之介は小さくため息をついた。
ぐいっと和泉の腕を引き上げて立ち上がらせ、ソファに座らせる。大人しく従う和泉の隣にどっかりと腰を下ろして口を開いた。
「チビは兄貴んとこにいる」
「っ、なんで!!?」
「テメーに用があるっつー兄貴とここに来る途中、チビが走って出てきた。俺んとこ来て、早くテメーんとこ行けってな。ワケなんざひとつも話そうとしやがらねーから兄貴に押し付けた」
「はあ!? ……っ、うち陽向迎えに、」
話を聞いて、慌てて和泉が腰をあげる。けれど竜之介は掴んだ腕を放さない。
じろりと視線だけで座れと促されて、和泉は渋々腰を下ろす。
「いい機会だ。テメーが隠してること思ってること全部言え。あの時消えた理由もだ」
強い視線はそのままに竜之介が和泉を見つめる。
その言葉にびくりと体を震わせて、けれど和泉は笑顔を作った。
この言葉の意味がわからない。
「……隠しとることなんかなんもない。別になんも思ってへんし。あの時あんたの前からおらんくなったのは、」
「嘘つくな。わかんねえと思ってんのか俺が」
つらつらと何でもないように笑ったけれど、竜之介は一蹴した。ぐっと肩を掴んで和泉の顔を覗き込む。
和泉の顔からは笑顔の殻は外れていた。何かを堪えるように眉を寄せ、紅茶色の瞳は切なさで揺れる。
「言え。全部だ。テメーが口にしねーと俺にはわかんねえだろうが。何を聞いても、俺はテメーを一人にしねえ。旦那になってやるっつっただろ」
「……っ、そんなん言うな!!」
旦那という言葉を聞いて和泉は思わず声を荒げた。ようやく見えた和泉の本音の欠片に、竜之介は口を閉じて続きを促す。
深い色のエメラルドから逃れるように視線をそらして、堰を切ったように堪えていた思いをぶつける。
「旦那になるとかそんなん簡単に言わんでや……うちはアソビの女なんやろ? カノジョがおるんならそっち行きや、これ以上うちを期待させんで。頼むから」
俯いて、ぎゅっと強く手を握る。
みっともなく行かないでと竜之介に縋ることのできない自分が悔しい反面、できなくてよかったと思う。これ以上竜之介に嫌われなくてすむのだから。
これで、さよならだ。
そう実感すると、じわりと目頭が熱くなる。
行ってほしくない、行かないでと心が叫んでいる。
ずっと隣にいてほしい、行かないで、行かないで。
一人にしないで。
その思いが涙となって溢れそうになる。
ふいに、頭上で竜之介が小さくため息をついた。
ついでぎゅうっと強く抱き締められた。
「あいつとは別れた」
囁くように紡がれた言葉に、和泉が動きをとめる。
「テメー以外に女はいねえしテメーは遊びじゃねえ。どうでもいい奴に旦那になってやるなんて言うか。……愛してるっつっただろ」
和泉は茫然と竜之介の言葉を聞いていた。
大きくはないけれど、確かに和泉へ伝えようとする声。さらりと髪を撫でられて、和泉はゆるゆると首を振った。
信じられない。今自分を抱きしめている竜之介は、和泉の作り出した幻想なのではないかと真剣に思う。
和泉が信じていないことに気づいた竜之介は小さく舌打ちすると、少しだけ和泉の体を離す。
離れたくないと言うように切なげに眉を下げた和泉に、竜之介は噛みつくように口づけた。とたんびくりと跳ねる細い体。
逃げるように縮こまる和泉を無理やり絡めとり、丁寧に、けれど荒々しく口づける。
和泉は何度か嫌がるように竜之介の胸を押すけれど、逃げられないようぐっと背を抱かれて、しだいに震える腕がシャツを縋るように握りしめた。
舌を絡ませ甘く吸えば、小さく声があがる。
角度を変えるとき呼吸のために少しだけ唇を離すと、無意識なのだろう、離れた竜之介を追って和泉が唇を押しつける。
必死に竜之介をひたすら求め、少しも離れたくないのだという和泉の感情が口づけによって竜之介へ確かに伝わった。
口づけながらゆっくりと和泉の背を倒す。抵抗なんて欠片もみられない。和泉は竜之介の首に腕をまわして、ただ口づけに夢中になる。
そっと唇を離せば、呼吸もままならず、快楽で頬を桜色に染める和泉が涙の浮かんだ目で竜之介を見つめた。とろけるように扇情的な和泉の顔が腰を刺激して苦笑する。
ちゅっと音をたてて額に唇を落とせば、和泉がはっとしたように竜之介の首から腕を放した。
まだ信じていないような和泉の態度にむっとして、竜之介は和泉の腕を自分の首に巻きつける。
けれど遠慮がちに首ではなく肩のシャツを掴む和泉に、もっとしっかり触れと囁いた。お前のものだと。
和泉は一瞬戸惑い、それでも確かに竜之介を抱きしめた。