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前編憧れた世界に来れたので雇われに行く

 バーネアの夜は、ネオンサインの光と人々の熱気で常に賑わっている。この街の一角に、ひっそりと確固たる存在感を放つ建物があった。黒塗りの窓、重厚な扉。街の裏社会を束ねる若きボス、ラフティの根城。


「ふぅ」


 組織の経理として働くフユーナは今日もまた、事務所の片隅で山積みの書類と格闘していた。


(これが終わればっ)


 電卓を叩くリズミカルな音だけが静かな部屋に響く。表情は真剣そのものだが時折ふとした瞬間に頬が緩む。


(本当に、ここにいるんだ!)


 視線の先には事務所の中を行き交う、屈強な男たちの姿があった。はぁ、かっこいい〜。鋭い眼光で周囲を警戒するラフティの側近。うっとり。いつも冗談を飛ばして場を和ませる大柄な男。冷静に指示を出す知的な幹部。


 彼らは皆、かつてフユーナが寝食を忘れて熱中した、アプリゲーム『クライム・パラダイス』の血の通ったキャラクターたちなのだ。まさか自分が夢中になったゲームの世界がこんなにもリアルに目の前に現れるなんて。


 夢見たい。そして、その中心人物である冷酷なボス、ラフティの組織に何の因果か経理として身を置くことになるとは、想像すらしていなかった。きっかけはバーネアの求人サイトで偶然見つけた、ラフティの組織の募集。


「経理スタッフ急募。経験者優遇」


(これだっ)


 その文字を見た瞬間、彼女の心臓はドキリと高鳴った。


『クライム・パラダイス』のキャラクターたちに、どうしても会いたい。


 彼らが織りなす人間関係を、その生き様を、間近で感じてみたい。

 そうだ。突飛な衝動に突き動かされ。フユーナは僅かな経理の知識を頼りに応募し、面接で持ち前の明るさと熱意をぶつけた結果。奇跡的に採用されたのだ。


 もちろん、裏社会の知識など皆無に等しい。初めは、普通の会社として紹介された。そこら辺は、杜撰。初めて銃を見た時は足がすくんだし。彼らが交わす業界用語は、まるで外国語のようだった。


 もしかしたら、経理不足で一般人だろうと雇いたかったのかも。それでも、毎日が新鮮で胸が高鳴るのを感じている。


「あの、ラフティさん、先日のお取引の件で、いくつか確認したい事項が……」


 書類を手に取り、緊張しながらボスの執務室の扉をノックした。ラフティはいつも険しい表情をしているが、時折見せる思慮深い眼差しはゲームの中のカリスマ的なリーダーそのもの。


「入れ」


 低いけれどどこか人を惹きつける声が聞こえる。低い声が素敵。フユーナは深呼吸をしてから部屋の中へ足を踏み入れた。


「ああ、フユーナか。何かあったか?」


 ラフティはデスクに積み上げられた書類から顔を上げ、こちらを一瞥した。その視線は鋭いけれど、どこか気遣うような色を帯びている、気がする。幻想の可能性もあるし。


「はい。〇〇社の入金について、期日が過ぎているようなのですが」


 フユーナは用意してきた書類を丁寧に、ラフティのデスクに置いた。彼女の声は少し震えているけれど内容はしっかりと頭に入っている。怖さと憧れ。


「ああ、あそこは少しルーズだからな。すぐに連絡を入れて催促する。助かる」


 ラフティの意外なほど丁寧な言葉にフユーナは少し拍子抜けした。もっと、詰められてしまうのかと。ゲームの中では常に冷徹な印象だったけれどこうして間近で接すると、意外な一面もあることに気づく。


「周りは怖いけど」


 経理の仕事は、想像以上に細かくて地道な作業の連続。大変。組織の複雑な資金の流れを正確に把握し、帳簿に一つ一つ丁寧に記録して。


 細かいし数字が合わない時は、徹夜で原因を突き詰めることもある。それでも、不思議と嫌気がささない。やる気も保つ。

 なぜなら、彼女の周りには、ゲームの中で共に困難を乗り越えたキャラクターたちが、現実の人間として息づいているから。


 昼食時には、他の職員たちと賑やかな時間を過ごす。至福。強面で近寄りがたい雰囲気の幹部が、実は猫好きで優しい一面を持っていたり。

 口を開けば毒舌ばかりの武闘派が、意外なほど手先が器用で美味しい手料理を振る舞ってくれたり。彼らは多分貴重な経理を逃したくないという計算もある、と思う。


 ゲームの中では描かれなかった彼らの日常に触れるたび、彼女の心は温かい光で満たされていく。ほかほかだ。もちろん、ここはあくまで現実の世界だ。ちゃんと理解している。


 彼らはゲームのキャラクターではなく、それぞれに過去や感情。そして、守るべきものを持っている生身の人間だ。フユーナも経理として組織の内部を見るうちに。


 その活動の裏に潜む危険や時に下される非情な決断を、目の当たりにするようになった。ゲームでも知っているとはいえそれでも、彼女の彼らへの興味と、少しずつ芽生え始めた親愛の情は、決して揺らぐことはない。

 スチルなどのその先を見られる幸運に比べたら、ね?


 ある日の夕方、フユーナはラフティの執務室に呼び出された。いつものように書類の確認かと思ったが、ラフティの表情はいつもより険しい。


「フユーナ、お前に少し頼みたいことがある」


 低い声には、普段の落ち着いたトーンの中に、僅かな緊張が混じっている。


 いよいよ自分がこの組織のより深い部分に関わることになるのかもしれないと感じた。いや、まあ、知ってるんだけど。


「はい、ボス。私にできることでしたら、何でもお申し付けください」


 彼女の心臓はドキドキと高鳴っている。ストーリーで見たことが現実として、体験する日。まさか自分が経理としてだけでなく、もっと重要な役割を担うことになるとは。


「近々、重要な取引がある。その資金の流れを、お前に管理してもらいたい」


 ラフティの言葉に、フユーナは息を呑んだ。重要な取引。それは、彼女が想像もできないような大きな金額が動くことを意味するのだろう。


「わ、私に、そんな大役が務まるでしょうか……?」


 不安がないと言えば嘘になる。簡単なことでいいのだけど。経理の経験はあるとはいえ、裏社会の巨額の資金を扱うなど、初めての経験だ。


「お前なら大丈夫だ。真面目で正確な仕事ぶりは、いつも見ている。それに、お前は勘がいい」


 ラフティの意外なほどの信頼の言葉に、フユーナは勇気づけられた。ゲームのミニゲームをSでクリアしたので、タイミングなどお茶の子さいさい。ボスに認められた。それは、彼女にとって何よりも嬉しいこと。


「ありがとうございます、ボス。精一杯、務めさせていただきます!」


 決意を込めて頭を下げた。彼女の中で、ただのゲームのファンという立場を超えこの組織の一員として、ラフティの役に立ちたいという強い気持ちが芽生え始めていた。

 それからの数日間、フユーナは重要な取引に関する書類とにらめっこする毎日を送る。多忙。複雑な契約書、膨大な金額の数字。


 頭がパンクしそうになりながらも、彼女は持ち前の集中力と几帳面さで、一つ一つ丁寧に確認していった。忙しくて目が回る。時には、ゲームで参謀のような役割だった幹部が、難しい専門用語を分かりやすく説明してくれたり。


 いつも豪快に笑う武闘派が、疲れたフユーナに温かいコーヒーを差し入れてくれたりした。彼らの優しさに触れるたびフユーナは、自分がこの組織の一員として受け入れられていることを実感し、胸が熱くなる。

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