第2話 目覚めたら王太子に
「い、痛い」
目を覚ますと、私はベッドの上にいた。白いシルクの寝衣が着せられ、柔らかな毛布がかけられていた。寝心地がよいふかふかのベッド、真上は天蓋で覆われている。周囲を見回すと調度品は古いけれども手入れが行き届き、落ち着いていて品の良い雰囲気があった。
「うーんここはどこだろう」
いててて。痛みがある後頭部をさすりながら、私は起き上がった。見覚えのない場所。見覚えのない寝室。あの後、覚えていないけれども誰かが自分を運んできてくれたのかもしれない。
少しふらつく足をひきづりながら寝室を歩いてみる。そして、立派な背の高い椅子の背後に刻み込まれている紋章に気がついた。
「王家の紋章?」
それは、ユニコーンとドラゴンが盾を挟んで向かい合っている意匠のものであった。
もしかしたら、アンジェロ殿下が取り計らってくれたのかな。
そう思うと胸は少し痛くなった。その時、ドアを叩く音がした。
「シルバーノです。入りますよ」
ええー
どうしよう、どうしよう。なんで男のひとが勝手に、女性の寝室に入ってこようとするの
「ちょっと、待ってください」
必死に返答しながら、私は自分の格好を確認した。やはり、シルクの白い寝衣しか纏っていない。これではダメだ。
ところで、いったい自分の服はどこにあるのだろう?
慌てて探そうとしたところで、白髪の男性が勝手に部屋に入ってきた。
「おっ、殿下。お目覚めになりましたか」
入ってきたのは侍従長のシルバーノさんだった。王太子の教育係も兼ねている厳格な老人で、以前に何度も話したことがある。
「待って、待ってくださいって言っていたのに……」
私は泣きそうになった。
「どうされたのです殿下。まだ、頭は痛みますか?」
シルバーノさんは心配そうに私の顔を覗き込んだ。
で…… 殿下?
私は不思議に思ってよくよく自分の姿を確認した。ないはずのものがあり、あるべきものがない……。
え、どうして、なんで?
「まだ混乱しているようですな殿下。大変心配しましたよ。王陛下や王妃陛下も大変心配なさっておりました。いや、目覚めてくれて安心しました」
明らかに自分は男の姿になっている。しかし、まだ、自分の顔を確認していない。
「ちょっと待って、私、誰に見える?」
シルバーノさんは心配そうな顔で私の顔を見た。
「うーん、まだ調子が良くないようですな。まずは、体調を整えて、それから陛下に会うことにしましょう。これまでの経過は報告しておきます」
シルバーノさんは私に優しく語りかけた。
「ああ、そうですな。もしご心配であれば、そこの姿見を見たらよろしいでしょう。お怪我は大変軽いものだと医師も言っておりました。心配なさることはありますまい。一時的な混乱ですよ。問題ありません」
私は恐る恐る近寄って行って、姿見の前に立った。そして、その姿は…… アンジェロ殿下そのものだった。
◇
数日間は絶対安静ということで、部屋から出ていくことは禁じられた。三度三度の食事は使用人が運んできてくれる。食べては寝ての繰り返し。
その間、私はというと、悠々自適な生活を楽しんでいるわけにはいかず、悶々と悩んでいた。
両親は心配をしているだろうなあとか、元の自分の体がどうなったんだろうとか。食事を運び込んできた使用人に毎回聞いてみたが、使用人たちは『私たちは何も知りません』の一点張りで全く情報が得られなかった。
一度だけ、カルロ王がアンナ王妃を伴ってやってきた。顔色を見て安心したのか、王は大変満足げに頷き、王妃は私を抱きしめて、涙を流していた。正直、なにを話していいかわからなかったので、あまりしゃべることができなかった。いったいこういう時は何を話したらいいんだろう。王妃は色々と話したいことがあったようだが、私の体調を考えてということで名残惜しいように寝室を去っていった。
三日目の朝。白衣を着た王家の侍従医がやってきた。
私の後頭部をおもむろに診察。そして、両目を開かせてみたり、舌を出させてみたり、口を開かせて口の中を覗き込んだり、手首を握って脈をみたりした。
それから私に簡単な質問をいくつかした後、うんうんと頷きながら、最後に、「アンジェロ殿下はもう問題ありません。ただ、少し、記憶が混乱しているようです。何かおかしなことを言っても真に受けないでください」と一言言い残して去っていった。
私は王太子の格好に着替えさせられた。本当にアンジェロ殿下みたいに見えた。というか自分は最初から王太子殿下だったのではないかとまで思えてきた。
落ち着かず、さりとて、勝手に出てはいけないと言われていたので、しょうがなく部屋の中をウロウロとしていた。そうでもしないと気持ちが落ち着かない。するとそこにシルバーノさんがやってきた。もうシルバーノさんに頼るしかない。そう思った私は思い切って頼んでみた。
「シルバーノさん。私、すぐに、外に出たいんです」
シルバーノさんは少し悩んだ様子をしていたが、答えてくれた。
「殿下。殿下はお怪我をしてからというもの、口調も、それに話している内容もかなり普段と違います。これではちょっと外には出せません。お部屋にしばらくいてください。それに、しばらくは、身内人以外には会わせられません。変な噂が流れると困りますので」
自分はティナで、今、色々と状況を確かめに外に出ないといけない。よっぽど、そう言おうと思ったが、じっと見つめるシルバーノさんを見て、いうのをためらった。そんなことを言ったら、本当に気がおかしくなっていると思われ、一生出れなくなるかもしれない。
せめて、自分の本当の体がどうなっているかを知りたい。そうだ、一応アンジェロ殿下と口ぶりを似せておかないと。
「えっと。ティナ、ティナはどうなっているんだ」
とたんにシルバーノさんの顔が曇った。
「体調が戻るまで、何も言ってはいけないとのお達しがあります。ですから、その質問には答えることができません」
「なぜ、どうしてだ」
シルバーノさんはじっと黙っていたが、ついに答えた。
「ティナ様は今、監獄に入れられています」
え、えー
「驚くのも無理はありません。ですが、私は真実を伝えます。ティナ様は屋上から飛び降りて殿下に直撃したのです。殿下がしばらくの間、意識がなかったのはそのせいなのです」
「でも、どうして、監獄に入れられているんだ? 事故ではないのか?」
「実はティナ様は殿下に振られたことにショックを受けて、殿下を道連れにするために屋上から飛び降りたとの話があるのです」
え、うそ。
「実は、『この事件が起きる直前、ティナ様が殿下に振られているところを見た』という証言があったみたいで」
え、誰が見ていたの?
「今、ティナ様は殿下に対する殺害未遂と言う罪で監獄に入れられているのです」
「そんなはずない。だって突き落とされたんだよ。わざとじゃない。わざとじゃない」
思わず、シルバーノさんに言ったが、シルバーノさんはため息をついて、口を開いた。
「やはり、殿下はさっきからおかしいです。口調も発言も。これ以上のお話はお体に触ります。もうやめましょう」
そういうとシルバーノさんは立ち去っていった。
私の体は今監獄に? そして私がここにいると言うことは、もしかしてアンジェロ殿下は私の中にいて、監獄に入れられているってこと?
混乱に次ぐ混乱で、私は何をどうしていいか分からなくなってしまった。