第16話 腕の中に抱かれて
意識が少しづつ戻ってきた。
頭がいたい。そして、身体中がだるい。
うっすら目を開けると私は誰かに包まれるように抱かれて馬に乗っていることに気がついた。手綱を引く力強い腕、そして、たくましい胸板に体を預けるようにして。
いつの間にか晴れ渡っている青空。リズミカルに揺れる振動、馬は道を疾走する。すでに田舎道になっていて周囲には美しい畑や丘が見え、次々と風となって流れていった。私を抱えている人は誰だろう。ゆっくりと後ろを振り向くとそれはチェーザレ様の姿だった。
「あ、良かった。目が覚めたんだね」
彼は私をチラリと見た後、すぐに前方へその美しいアイスブルーの瞳を向けた。銀色の髪が風になびき、引き締まった顎のラインが美しい。
私はドキドキしたが、肝心なことを思い出して彼に聞いた。
「え、その、アンジェロ殿下は?」
彼は助かったのだろうか。
結局私は肝心なところでヘマをしてしまった。ここに二人でいるということは、彼の救出に失敗してしまったのかもしれない。
そう思って、悲しくなった私に、チェーザレ様はこう言った。
「アンジェロのやつ、受け止めるのに失敗しやがって。でもこうやってティナさんを助けることができたのは彼のおかげだから、感謝しなくちゃな」
「え、私……」
何か様子がおかしい。そう思って、私は自分のことを確かめてみた。見覚えのある手、そして体。
戻ったんだ私。ティナに戻っているんだ。
私はこの幸運に対して、神様に祈りを捧げた。もう、私はティナとして、ここにいて、そして、チェーザレ様と一緒にいられる。もう、アンジェロ殿下として振る舞う必要がない。ティナとして、これから再び生きていけるんだ。
どんどんと自分の中から、チェーザレ様に対しての感謝の気持ちが湧き出てきて、この思いを伝えたくなった。
万感の思いを込めて。
「ありがとうございます、チェーザレ様」
そういうと、チェーザレ様の顔がみるみる赤くなった。
「い、いや別に。うん、その。なんだ。無実の人が処刑されるのを黙って見過ごすわけにはいかないから。だから、そう、たまたま。たまたま通りがかりに助けただけなんだ。だから、感謝されるいわれはない」
そういって、私から目を逸らした。
あまりのひどい作り話に、私は少し吹き出しそうになった。
「今、俺の別荘に向かっている。そこでしばらく休もう。そこなら安心だから。追っ手はもう振り切ったと思う」
「私はこの王国に戻って来れるのでしょうか」
少し寂しそうにいうと、彼は励ますようにこう言った。
「大丈夫さ。君を突き落とした犯人が分かったんだ。そっちの方で手間取ったから君を助けるのに時間がかかってしまった。本当にごめん、辛かっただろう」
「いいんです。信じてましたから」
「そ、そうか」
しばらく二人で黙っていた。馬はさらに疾走していく。
「そうだ、君の両親にも話はしておいたから。この件で無罪を勝ち取ったら、君を連れて帰ってあげる」
そうだった。しばらく会っていなかった両親。とても心配していただろう。早く会いたい。でも、今はまだ会うことが難しいことも知っていた。
「もうすぐ夏が来る。そうしたら全てが解決するさ」
「早く夏が来るといいですね」
「うん、俺は夏の季節が好きだ。あの夏の特にひときわ青い空が好きだ。君の瞳のようだから」
私が彼のことをじっと見つめると、彼はあわてて視線を逸らした。
「いや、その……。君のことが好きだとかどうとかという意味ではなく…… その、夏の空が好きだということを言いたくて…… いやその、君のことが好きじゃないということでもなくて……」
しどろもどろになっているチェーザレ様の姿を見るのは初めてだった。その姿は氷の貴公子の面影はまるでなく、でも、私にとってはとてもかわいくて愛おしく思えた。
「そうだ。もし、もし全てが解決したら、その時は俺と……」
その時、彼は思わず私を強く抱きしめたので、私の体に痛みが走った。
「痛い」
「あ、ごめん。本当にごめん」
「大丈夫です。体が少し弱ってしまっていて」
「そ、そうか、そうだな。うん。君が弱っている時にこんな話をしようとするなんて、なんて俺は卑怯な男なんだ。ゆっくりやろうって言っていたじゃないか。あせる必要はない。時間はまだある。時間は……」
彼は耳の先まで赤く染めながら、自分に言い聞かせるようにして呟いていた。
え、今、何を言おうとしたの。もしかして、私に告白するつもりだったんじゃあ。
あああ、失敗した。こんなチャンスに私、いったい何やっているんだろう。
抜けるような青空、そして、真っ直ぐ続く道。馬は一心にゴールを目指している。もうすぐチェーザレ様の別荘に着くだろう。
それにしてもだいぶ体がだるくなってきている。10日間くらい監獄に閉じ込められていたし、かなり無理がかかっているみたい。
チェーザレ様はさっきよりもずっと優しく私を抱いていてくれている。すごく気にしている様子だ。
心地よい馬の上下動、暖かくて安らぎを感じる腕の中で、私はなんだかとても気持ちよくなってきていた。
そうだ、今はただこの心地よさに身を任せていよう。全ての問題が解決したら、きっと私たちはうまくいく。あせっても仕方がない。まだ始まったばかりなのだから。ゆっくり、ゆっくり進めればいいことなんだ。
私はチェーザレ様の腕に抱かれて、安心しきったまま、安らかな気持ちで目を閉じた。