第15話 運命の日
分厚い雲が空を覆い、処刑場の広場にはたくさんの群衆が一目見ようと集まっていた。もうすぐ夏だというのに肌寒い天気だったが、この場所だけは熱気が溢れている。群衆を押し留めるために王の親衛隊までが駆り出されている。柵はすでにぐるりと周囲に置かれていて、少しでも乗り越えようとする不届きものに対して容赦無くムチを奮って威嚇している。
処刑場の中央には異様な舞台が置かれてあり、その上にさらに足場が組まれていた。足場の最も上部から一本の縄が下に垂れていて、その先には不気味な輪が作られている。受刑者は縄が垂れている手前に置かれた足台の上に立たせられ、その輪の中に首を入れることを強要される。首を突っ込んだ途端、足台を倒され処刑が完了となる。
処刑台の前には特等席が並べられている。最も見やすい場所は王族がまず占め、その周囲を有力貴族たちがかため、そして、さらに後ろの方には順に中小貴族たちが列席していた。
王が真ん中で私は王の右隣、そして、王の左隣には王妃、そしてその隣に第二王子が並んでいる。王族の席のすぐそばにはネスタ公爵家の席があったが、誰も座っていない。当主ラザロ・ネスタは病弱なので出席できず、そして、チェーザレはもちろん救出作戦の準備のために来ていないからだ。
私の実家、侯爵家のレオーニ家の席もあるが、誰も座っていない。娘のむごい姿を見るのは忍びなかったのだろう。そもそも席を用意してあること自体が悪趣味だと思う。さらに後方にはバロッチ伯爵家の面々が座っている。当主ロベルト・バロッチの隣でロザリアは薄笑いを浮かべていた。
救出作戦の概要はこうだ。これから、ティナ(中身はアンジェロ殿下)が王宮から連れてこられる。この時は警備も厳重で、兵が彼の周囲を二重、三重に取り囲んでいるから、簡単には手出しができない。
そして、アンジェロ殿下が処刑台に上げられる。この時、彼を縄で捕まえている処刑人以外は台に登らないことになっている。もちろん、処刑台の周りには警備兵がいて、逃げ出したらすぐに取り囲む準備をしている。でも台の上には一人だけ。そして、この時を狙う。
アンジェロ殿下が処刑台に上がったら、周囲から煙をたき上げて、群衆の動揺を誘い、さらに、火事だと口々に叫ぶ予定になっている。ここで群衆は予想もできないような動きをするはずなので、処刑台の周りにいる兵たちはアンジェロ殿下の逃走を阻むより、王族や貴族たちの警備を優先にするはず。
その隙を狙って、私が処刑台の上に上がり処刑人を倒し、そのまま乱入してきたチェーザレ様にアンジェロ殿下を託すという手筈だ。
つまり、私が処刑人の一人をなんとかしなければアンジェロ殿下を救えないのだ。チェーザレ様は期待しているのかもしれないけれど、自分は今まで人と争った経験は全くなかった。戦うのは苦手なので、体当たりでもなんでもして隙をつくしか方法がない。見かけはアンジェロ殿下なので、処刑台に上がっても処刑人は油断しているだろう。私はその心許ない希望的観測に賭けていた。
緊張のあまり体が強張る。横にいるランベルト王は楽しげにアンナ王妃と談笑している。
本当にうまくいくんだろうか。
私がヘマをして、彼を死なせてしまったら、アンジェロ殿下だけでなく、私たち全員が不幸になってしまう。チェーザレ様はいつ出てくるのだろうか。私は不安で押しつぶされそうになる。あの優しい笑顔を早く見たい。助けてほしい。
いや、ここで私が気持ちで負けてどうする。一番不安で苦しんでいるのはアンジェロ殿下ではないか。私が頑張らなければ。
「顔色が青いようだが、大丈夫かアンジェロ。王宮に戻ってもいいのだぞ」
ランベルト王とアンナ王妃がこちらを心配そうに見ている。
本当にここからいなくなってしまいたかった。でも、負けるわけにはいかない。
「大丈夫です。父上、母上」
「そうか、無理するなよ」
そう言って、ランベルト王は再び舞台の方に注意を向けた。
その時、わぁーと歓声が起きた。
いよいよ来た。
より一層の緊張感が私を襲う。私は短く神に祈りを捧げると、歓声の起きた方向を見た。
アンジェロ殿下だった。
後ろ手に縄をかけられ、黒い布で目隠しをされている哀れな女性の姿。化粧を施され、髪は整えられている。そして、侯爵家から持ってこられただろう見覚えのあるドレスを着ていた。見かけは美しい令嬢の姿なのに、目隠しと縄をされているのが、異様な光景に映った。
あれは誕生日の時に来ていたドレスだ。
私が一番気に入っていたドレス。もらった時にすごく喜んでいたっけ。両親はきっとそのことを覚えていたんだろう。せめて死ぬときは一番綺麗な姿でと思っていたのかもしれない。私は両親の苦痛や嘆きを思い、涙が溢れ出しそうになるのをなんとか歯を食いしばってこらえた。
◇
粛々とアンジェロ殿下は台上に上げられた。周囲の注目が集まる中、彼は台の一番手前まで引き立てられた。
「何か、最後に話すことはないか?」
彼に向かってランベルト王が叫んだ。
「一つだけ言っておきます…… 私は無罪です」
周囲がザワザワする中で、さらにアンジェロ殿下は言葉を続けた。
「私はそこに座っているだろうと思われるロザリア・バロッチにはめられたのです。屋上から叩き落とされ、王太子殿下にあたったのです。それゆえ正当な裁判を私は要求します。そして、このような事態を引き起こした、伯爵家を断罪するつもりです」
「こいつは、頭がおかしくなっているんだ。取り押さえてすぐに首をくくってやれ」
ロベルト・バロッチ伯爵が激昂して叫ぶと、伯爵の周囲からも口々に罵る声が巻き起こる。処刑人がすぐさまアンジェロ殿下を引き立てると、暴れる彼の首を無理やり輪の中に入れようとした。
いけない。このままでは
私は立ちあがろうとしたが、このまま行っても、アンジェロ殿下のところに着く前に取り押さえられてしまうと思った。
どうしよう。どうしよう。
不意の事態に混乱する会場。怒号が巻き起こる中、アンジェロ殿下の首に縄がかかった。
チェーザレ様、早く来て。お願い。
伯爵派貴族たちの怒号が巻き起こり、周囲の群衆もそれに釣られて大騒ぎになった。しかし、その喧騒の中、私には彼の叫びが確かに聞こえた。
「アンジェロ。ティナさんのところに行け、受け止めるんだ」
声のした方を見ると、銀色の髪をした美しい騎士の姿が馬上にあった。チェーザレ様だ。
お願い間に合って
いつの間にか周囲には黒い煙がもうもうと立ち込め、火事だーと叫ぶ声が聞こえる。喧騒はさらに大きくなり、周囲の群衆の興奮状態は絶頂に達した。警備兵たちが上官の指揮のもと、王族の守りに走ったり、群衆を止めに動いたりしている。
私は座席から立ち上がると夢中で、処刑台目掛けて走った。
足台が蹴落とされ、アンジェロ殿下の首に縄が食い込むかと思われたその時だった。
光を閃かせ、空中から飛んできた一本の剣が縄を切り裂いた。
落ちてくる
後ろ手に縄をかけられたアンジェロ殿下が頭から落ちてきた。私は捕まえようと手を広げた時、足が少しつまずいた。
あっ
そう思ったとき、私の頭に衝撃が走り、目の前が真っ暗になった。