2.私のセンセイが目を閉じる理由
「おはよ! やっと起きたんですね、ア…センセイ!
今日は昨日より涼しいですね〜」
「呼び方、いい加減慣れなさい…はぁ……眠い
おはようございます、ミア。私は昨日とそう大して変わらないと思いますよ」
「絶対そのローブのせいですよね? どう見ても厚着ですし」
アルファードの着ている白に銀の装飾が施されたローブは、生地自体そこまで厚くないものの、それが何枚も重なっている。……よって、この真夏に暑いのは当たり前である。
「そんなことよりも。忘れ物は無いですか? もう出発して大丈夫ですか? 今日は外で実習なの忘れてませんよね?」
「もちろんですセンセイ! この前作った治癒薬と、クレトヨ先生の呪詛返しの御守り、全部この鞄に入れてあるよ」
「そうですか、なら行きますよ。……おそらく遅刻ですね」
「えっ」
近隣の村での実習は月に一度行われる。現地集合なため道に迷う生徒は稀にいるが、そもそも塾の生徒は10人程度であるため、すぐ教師が気がつき迎えに行くことができる。
ヴォトゥミアはアルファードと暮らしているため、共に村へ向かっている。
「5、6、7、8、9……ヴォトゥミアがまだ居ねえな。
おい! クレトヨ先生、アルファードの野郎はまだ来てねえのかよ」
茶髪に青い目の男は、リドル。アルファードの友人で粗暴な口調をしているが真面目な男である。
「リドル先生、噂をすれば来たようじゃ…が」
クレトヨが空を見上げていることに気がついたリドルは、彼の視線の先を見た。長い銀髪の男と、日の光で輝く赤髪の少女が降ってきている。少女は男にしっかり抱えられている。
「うわあああああああ!?」
「あっはっはっは! 脳筋じゃのう…!」
リドルが叫んでから間もなく、男は落ちてきたスピードとは裏腹にゆっくり着地した。
「ギリギリ、遅刻回避ですね、ミア」
「楽しかった!」
アルファードが見回すと生徒たちは驚いて固まっていた。クレトヨは爆笑。リドルは…
「ア ル ファ ー ド!!!」
「……あー」
すぐにヴォトゥミアを下ろし、離れて魔力で防御をする。すると次の瞬間、アルファードが10メートルほど吹っ飛んだ。
リドルが拳骨で一発彼を殴った。
「そこは魔法じゃなんいんだ…」
と生徒たちはざわついている。一方、リドルからアルファードへの説教が始まっていた。
「何故飛んできた?」
「遅れそうだったので」
「何故遅れそうだった?」
「…私が寝坊しました」
「…あ の な? 百歩譲って遅刻は良しとしよう。いや何も良くないが、もしもヴォトゥミアが怪我したらどうするつもりだった?」
地面に仰向けのままのアルファードを見下ろし、リドルは彼の腕を引っ張り立ち上がらせる。
「怪我も何も、私の弟子はそんなにヤワじゃありまお゛ぇっ!?」
今度は魔力での防御をしていなかったため、まともに鳩尾へ拳が入ったようだ。加減をしたのか吹っ飛びはしなかったが、再びアルファードは地に伏した。
「お前はバカか!? 怪我しねえ保証どこにも無ぇだろーが!!
確かにお前の弟子は優秀だ! もし上空で落とされても無傷かもしれねえよ?
でも前提がちげーよ! そもそも教師が生徒を危ない目に合わすなっつってんの!!」
「……よくわかりません」
「あ゛?」
「お主ら、そろそろやめにせんか。あまり生徒たちを困らせるでない」
パチンッ
「「うわっ!?」」
クレトヨが指を鳴らすと、急激に2人の力が抜けていく。
「ほれ、冷静になれ。普段のお主らならばこれくらい容易く防げるじゃろうて」
生徒たちが怯えていることに気がついた2人は渋々ながらも互いに引き下がった。
気を取り直して、いよいよ実習が始まる。
今回の実習は、先生たち魔法使いの商売を体験するというものだ。基本、大人の魔法使いは作った薬を人間に売ったり、物と交換したりしている。
正体がバレては面倒なことになるため、薬師とその見習いということになっている。さっそく客が来た。
「息子が熱を出して…ちょうど薬を切らしてて」
「ヴォトゥミア」
「はい、センセイ。
こちらの薬ですね! お金で払われますか? 物と交換ですか?」
「この、私の作った魚のパイでは」
「はい! 問題ありません。息子さん、お大事になさってください」
「っありがとうございます!」
教師3人はは後ろで見守っていて、基本的に手は出さずにどうしても生徒が困ったときだけに、手助けをする。皆、何度もここに来て慣れてきている。それなりに上手くやっているようだ。
特にヴォトゥミアは持ち前の明るい性格で好印象を相手に抱かせることができている。
今回の実習も成功と言っていいだろう。
前回の実習から一ヶ月。再び実習の日がきたが、その日事件が起こった。事の発端は、どこにでもいるだろう悪ガキがヴォトゥミアに絡んだことからだ。
「おいお前!」
「………」
「そこの赤毛だよ!」
「…ん? 赤毛って、私のこと?」
「お前しかいねーだろ!」
それを見ていたアルファードはよくあることだと思った。今までも生徒が絡まれることがあった。主に珍しい容姿をした子が。これも生徒がどうやって対処するかという課題の一つとして、必要とあらば手助けするため見守っていた。
「…………。」
ヴォトゥミアは無視をすることにしたようだ。こういった輩は、何食わぬ顔で放っておけば飽きるだろうと、そっぽを向く。悪ガキは無視されたのが屈辱なのか、顔を真っ赤にしている。
すると、あろうことか悪ガキはヴォトゥミアの髪の毛を掴んで引っ張り、無理やり顔をこちらに向かせた。
「無視してんじゃねえ!」
「いっ」
「ミア!」
さすがに見過ごせない。
アルファードは間に割って入ろうとするが、すぐに阻まれた。
「…クレトヨ」
「これも実習の一環じゃろうて……いつまでもお主に守られていてはアヤツのためにならん。
お主のそれは過保護というものじゃ」
……分かっている、そんなことくらい。
ヴォトゥミアは…髪も、目も、珍しい色をしている。他で見たことがない。これから先、この程度のことならいくらでも起きるだろう。
「分かってますよ。私も同じでしたから」
この目を閉じたままにしているのも、こういったことが面倒くさいからだ。
「………お主は向こうの生徒を手助けしてやれ。
ヴォトゥミアのことは、ワシが見ておこう。怪我をしないように」
「…ええ、頼みました」
クレトヨはヴォトゥミアの方を見た。髪を捕んできた手を、振りほどこうと必死だ。魔法を使わず、相手に怪我をさせないように。
本当なら、魔法で弾き飛ばしてしまうこともできるだろうに。
長命種のヴォトゥミアは筋力だって常人より強い。しかし、まだ彼女は子供だ。そして相手も子供。
それ故に相手への力の加減が分からない。力を入れることを恐れている。
「と、いったところかのう…」
さて、そろそろやめさせるか。
クレトヨは辺りを見まわし、1人の女性を見つけた。
「すまぬ! そこの方!」
「? はい、なんでしょうか」
「あちらはお宅の息子さんじゃろう?」
「………? まぁっ、なんてこと!! アランっ!
女の子に何してるの! 離しなさい!!」
女性は、悪ガキ…アランの母親だった。
母親はアランの耳を引っ張り、ヴォトゥミアから引き離し、頭を深々と下げる。
「うちのアランがとんだご迷惑を…! 申し訳ありません!
ほらっ、アランも謝りなさい!」
「赤毛ブス!」
「アランっ!! 後でお父さんにも叱ってもらいますからね!」
「うげっ」
「はぁ………」
…やはり、変なのだろうか? 私のこの血のように赤黒い髪の毛も、異様に色素の薄い瞳も。皆の目には不気味に映っているのだろうか…?
「気持ち悪い、よね…」
実習が終わり、アルファードと共に帰宅したヴォトゥミアはベッドに横たわっていた。外は日が沈み、すっかり暗くなっている。
すると誰かが部屋の戸を叩いた。
「……ミア、起きてますか?」
「…センセイ……」
ロウソクの光が、その姿を照らしている。彼は寝間着に身を包み、昼間は1つにくくっている銀髪を下ろしていた。
「…今はアルフと呼んでも構いませんよ」
「そっか、ア……………いや、やめておく」
「何故?」
「これじゃあ、いつまでたってもセンセイって呼ぶ癖つかないから」
「それもそうですね」
ヴォトゥミアは横たわったまま、ベッドに腰掛けたアルファードを見つめた。彼は相変わらず目は閉じたままだ。
「ねぇ…センセイの目、見てみたい」
興味本位だ。その瞼の下にどんな瞳が隠れているのか、どんな色をしているのか。
垂れ下がった銀髪を手でよけて、顔をのぞき込む。
「突然ですねぇ………見ても面白くないと思いますよ? それでも」
「見たい」
食い気味に答えると、アルファードは呆れたように笑ってヴォトゥミアを起き上がらせた。暑いはずなのにアルファードの指先は少し冷えていた。
「わかりました。いいですよ」
まだ躊躇うように銀の睫毛が揺れると、だんだん瞼が開かれていく。
そして現れたのは………琥珀色、はたまた黄金色と呼ぶべきか……美しい金の瞳だった。ヴォトゥミアは思わず息を呑む。
「…どう、ですか?」
「………すっっごく綺麗」
「……ハァ……よかった」
アルファードはあからさまに安心している。
一体何がそんなに不安だったのだろう? こんなにも綺麗なのに。
「………昔、この目を見ると呪われると言った子供が居たんです」
「え、呪われるんですか?」
「いいえ! ただ、珍しい色をしていただけでした。
でも人は、自分たちと違うものを、異端を恐れて許さない」
どこか遠くを見つめる金の瞳が、潤んでいるように見える。
「私はセンセイの目、好きですよ」
「私も……貴方のガーネットのような赤毛も、色素の薄い真珠色の瞳も、綺麗だと思いますよ」
「あっ…」
そうか、センセイは励ましに来てくれたのか。人と違うということに傷ついていないか、と。
…本当に、この人は優しい。
「ただ、気味悪がられるだけなら良かったんですが…、売り飛ばすために目をえぐり出されそうになったときは怖かったです」
「ひえ」
「だから無闇矢鱈に晒さないと決めたのですよ。
自分のため、そして人々を怖がらせないために」
普段目を閉じていて、あまり表情が豊かでない彼がいたずらっぽく笑った。つられて私も笑う。
この人の笑顔を守りたい。これからも一緒に生きていきたい。あんな嫌がらせ程度に、負けるものか。
この時の私は失念していた。人が臆病なら、人らしく育てられた私もまた臆病で、不安定であるということに。
「…センセイ、私、もう、人を好きになれない」