第9話:約束
結局、私とカロン兄さま、ディアナさまの会話はルキウスさまに筒抜けだったようだ。
ルキウスさまの提案で、私たちは邸宅内の客室へと移動する。
私とディアナさまは、ルキウスさまに聞かれていたことを知って顔を真っ赤にして俯いていたが、兄さまだけは邸宅内を面白そうに眺めていた。
「すごいな、ここまで無駄な装飾が無いなんて。うちももう少しシンプルにするか……なぁノエル?」
私は返事をする気になれず、兄さまに視線を向けるだけに留めた。
部屋に入れば、すでにティーセットが用意されていた。バーネットが椅子を引いてくれる。
「ルキウスさまを幸せにしてくれるノエルさま、こちらへどうぞ」
「バーネット……」
にこにこと笑みを向けてくるバーネットに口を尖らせつつ、私は大人しく座る。
全員が席に着くと、ルキウスさまが「さて」と口を開いた。
「盗み聞きのような真似をして悪かった。ちょうど資料室にいたら、君たちの姿が見えたものだから」
「……絶対に、私の不運が招いたんだわ…」
ディアナさまがぷるぷると震えながらそう言う。そんな妹に対するルキウスさまの眼差しは、とても温かかった。
「ディアナ。お前がようやくノエルの素晴らしさに気付いてくれたようで、俺は嬉しいよ」
「……よく言うわ。バーネットを使って、散々私にノエルのことを吹き込んだのは、お兄さまでしょう」
「はは、バレていたか」
ルキウスさまが楽しそうに笑う。その傍らで、私はディアナさまに名前を呼んでもらえたことに感動していた。
「それより、ディアナは随分と俺のことを心配してくれていたんだな」
「……それはっ…、当たり前です」
「そうか。それなら、俺がお前を心配するのも当たり前のことだな」
ルキウスさまが言っているのは、ディアナさまが自分の体質を怖がって、外出しなくなってしまっていることだろう。
ディアナさまはぐっと言葉を詰まらせていた。
「あの、そのことなのですが」
提案をするなら今だ、とばかりに私は素早く片手を挙げた。
「私、ディアナさまと一緒にお出掛けしたいです」
私の言葉に、ディアナさまが目を丸くしている。ルキウスさまは予想通り眉を寄せた。
「ノエル……」
「ルキウスさま、これは私が望んでいることです。私は私の強運を、ルキウスさまのために、ディアナさまのために使いたいのです」
「………」
ルキウスさまは綺麗な顔を歪めている。それを見て、カロン兄さまが声を上げた。
「……エヴラール侯爵、俺からもお願いします。あなたがノエルの強運目当てで求婚したわけではないと、今の表情で分かりました。…だからこそ、あなた方の力になりたいと願うノエルの気持ちを、汲んでやって欲しいと思います」
「カロン兄さま……」
プライドの高い兄さまが、ルキウスさまに向かって丁寧に頭を下げている。その姿を見ただけで、私は感謝の想いが込み上げた。
あとで感情をぶつけてしまったことを謝ろうと思いながら、背筋を正す。
「お願いです、ルキウスさま」
「………分かった」
ルキウスさまは片手で頬杖をつくと、ため息を吐いてから柔らかい笑顔を浮かべる。
「可愛い婚約者のお願いなら、俺には断れないな。もう一度、その潤んだ瞳で言ってみてくれ」
「……そ、そんなこと言われたらもう言えません」
「はは、顔を真っ赤にするノエルも可愛いな」
恥ずかしさで俯く私に、隣に座るカロン兄さまがボソッと呟いてきた。
「……おい、あの侯爵だいぶお前に惚れてるよな?これも強運か?」
そんなこと、私が知りたいくらいだ。
どう考えても、私より爵位が高くて美人で、ルキウスさまに似合う女性はたくさんいるはずなんだから。
「それで、ノエルがここまで言ってくれているが……お前はどうなんだ?ディアナ」
ルキウスさまの問い掛けに、ディアナさまがビクッと肩を震わせる。
前回視察で訪れた町では、ディアナさまが子どものとき、不運に巻き込まれた別の子どもがケガをしたと領民が言っていた。
きっとまだそのことが、ディアナさまの心の深い傷となっているのだ。
「……ディアナさま、まずは私を使って、外の世界に慣れてみませんか?」
「ノエル……」
「美味しいものも、綺麗な景色も、たくさんありますよ」
私が笑いかけると、ディアナさまはしばらく迷うように視線を彷徨わせていた。それから決意をしたように、私の目をしっかりと見て頷いてくれる。
「ノエル、ありがとう。私……ルキウスお兄さまみたいに、自分の不運と向き合ってみるわ」
その真剣な表情は、やはりルキウスさまにそっくりだった。
綺麗で、凛として、芯の強さが分かる……そんな表情だ。
「では、さっそく明日行きましょう!ルキウスさま、近場で美味しいものがたくさんある場所はどこですか?」
「そうだな……美食の街ルッセだな。俺とノエルの出逢った街だ」
私と、ルキウスさまの初めて出逢った街。
あの衝撃的な一日を思い出し、私は「良いですね」と言いながら笑顔が零れた。
***
翌日、図々しくも一晩泊めてもらっていたカロン兄さまは、笑顔でルキウスさまと握手を交わして帰って行った。
帰り際には、ちゃんとお祝いの言葉をくれた。
そのあと午後の外出に向けて、私とディアナさまは同じ部屋でクラリスに支度を整えてもらっていた。
令嬢二人が並んで歩くと目立つため、出来るだけお忍び用のシンプルなドレスを選んでもらう。
それでも、ディアナさまの溢れ出る美しさは隠しきれないようだ。
「クラリス、もう少しつばの広い帽子はない?」
私の問いにクラリスは帽子を探し始め、ディアナさまがすぐにそれを止める。
「要らないわ。どうせすぐに風で飛ばされたり、どこかに引っ掛って壊れるんだから」
そう言いながら、これも要らない、あれも要らない、とディアナさまはアクセサリーをほとんど身に着けなかった。
あの宝石なんて、とてもディアナさまに似合うのに勿体ない。
「アクセサリーだってすぐ壊れるし、引ったくりに目を付けられたりするのよ。……でも、この先そうも言っていられないのよね…」
ディアナさまはため息を吐いた。そんなときこそ、私の出番なのだ。
「大丈夫ですよ。これから先パーティーがあれば、私が一緒に出席しますから」
「……さすがにそこまで迷惑は掛けられないわよ」
「迷惑だなんて、思いませんよ。あ、でも逆に平凡な私が隣りにいたら、ディアナさまの格が下がってしまうかも……」
うーん、と悩んだ私を見て、ディアナさまが苦笑する。
「何言ってるのよ。そこらへんの香水臭い令嬢より、あなたの方が数百倍魅力的だわ。ねぇクラリス?」
「ふふ、そうですね。私もそう思います」
「それは、買い被り過ぎでは……?」
そのとき、コンコンとノックの音が響く。
クラリスが扉を開けると、ルキウスさまとバーネットが入って来た。
「ノエル、今日も綺麗だね」
「……ルキウスさまの方が綺麗です…」
爽やかな眩しい笑顔を向けられ、私は両手で顔を覆う。
ルキウスさまは、私を見るときに何か特殊なフィルターが掛かっているのかもしれない。
「それでノエル、本当にバーネットを護衛につけたらダメなのかな?」
「はい。バーネットはルキウスさまを護る役割がありますので」
私がディアナさまと街に出掛けると決まってから、ルキウスさまはバーネットを護衛として同行させたがっていた。
けれどそんなことをすれば、ルキウスさまの不運を護る人が誰もいなくなってしまう。
「心配しないでください、ルキウスさま。ディアナさまは私がお護りしますので」
「……俺は、君も心配しているんだ、ノエル」
その真剣な眼差しに、心臓が大きく跳ねる。強運の私をここまで心配してくれるのは、ルキウスさましかいない。
それがとてもくすぐったくて、とても嬉しい。
私は笑顔を返した。
「ありがとうございます。美味しいものを食べたら、すぐに帰ってきますね」
「分かった、約束だ。……待っているよ」
ルキウスさまの手が、私の頬に触れる。
壊れ物を扱うかのような触れ方に、心が大きく揺さぶられた。
私はきっと、もうすぐこの気持ちに名前を付けることが出来るだろう。
そう思いながら、私はルキウスさまの手に触れて頷いた。
―――けれど。
私はこのあと、ルキウスさまの元へ帰ることが難しくなってしまうのだった。