第4話:強運と不運と運命と
ディアナさまは、とても可愛い少女だった。さすがルキウスさまの妹だ。
年齢は私と同じくらいに見える。
綺麗に纏められた金髪に、大きな水色の瞳。
まるでお人形のように綺麗な顔立ちだ。
けれど、ルキウスさまに妹がいる、という話は聞いたことがなかった。
私は不思議に思いながらも、ルキウスさまと一緒にディアナさまの元まで歩く。
ディアナさまは目を細めながら、艷やかな唇を開いた。
「……ルキウスお兄さま。私、何も聞いていないのですけど」
「お前がずっと部屋にこもっているからだろ、ディアナ」
「だからって、どうして視察に行ったと思ったら女を引っ掛けて戻って来るんです!?」
「引っ掛けて、って……。ディアナ、彼女はノエルだ。俺の婚約者だよ」
「だーかーら、どうして出逢ったその日に婚約を?お兄さまは阿呆ですか!?」
ディアナさまにキッと睨まれ、私は歓迎されていないのだとすぐに悟る。それに、確かにディアナさまの言うことは一理あるのだ。
「……初めまして、ディアナさま。ノエル・クレージュと申します。ルキウスさまとは今日出逢ったばかりですが、婚約致しまして…」
「何なの?二人して、運命の相手だ!とでも言うつもり?」
「「………」」
「そこで顔見合わせないでよ!」
私とルキウスさまがお互いの顔を見ていると、ディアナさまが声を荒げる。
運命といえば、運命なのかもしれない。強運の私と、不運なルキウスさま。
正反対の私たちが出逢ったのは、どちらの運が引き寄せたものなのだろう。
……待って。ルキウスさまにとって、私と出逢ったことが不運の可能性があったりする?
自分の考えたことにショックを受けていると、ルキウスさまがくすりと笑った。
「ノエル、君が何を考えているかは分からないけど、俺は君との出逢いは運命だったと、間違いなく思っているよ」
「……ルキウスさま」
「……だから、ディアナ。お前がノエルへの態度を改めないのなら、俺にも考えがある」
ルキウスさまは唇の端を持ち上げた。なかなか悪い笑みだけど、ルキウスさまがするととても絵になる。
「そうだな、久しぶりに街で買い物でもするか」
それは、ごく普通の良い提案に思えた。
けれどディアナさまには違ったようで、顔からサアッと血の気が引いていく。
「……い、嫌です!でも、いきなり現れた婚約者を、受け入れるのも嫌です……!」
「ディアナ、いい加減に……」
「お兄さまの意地悪!……その長い髪、いい加減に切りなさいよ、意気地なしっ!優男っ!」
最後の言葉は悪口ではないけれど、ディアナさまはべえっと舌を出してから逃げ去って行った。
私がポカンとしていると、ルキウスさまは困ったようにため息を吐く。
「……悪いね、ノエル。実はディアナも不運体質で、そのことを極端に怖がっているんだ」
「ディアナさまも、ですか……?」
「どこから物が飛んでくるかも、何に巻き込まれるかも分からない。その恐怖から、ディアナはこの邸宅内から外に出ようとしないんだ」
そう説明されれば、ディアナさまが街で買い物と聞いて、顔を真っ青にしていたことにも納得がいく。
そして安全な自分の領域内に、私のような見知らぬ婚約者が突然現れたら、嫌がるのも当然だろう。
「私……ディアナさまとお話したいです。そうだ、私が強運だと知れば、ディアナさまは外に出てみようという気分になるかもしれません」
私は良い案だと思ったけれど、ルキウスさまは眉を下げて首を横に振った。
「ノエル、気持ちはとても嬉しいんだけど…この体質には、ディアナが自分で向き合わないと意味がないんだ。一人でどこにも行けないのは困るし、ずっとこの邸宅に置いておくわけにもいかない」
侯爵令嬢となるディアナさまには、きっと縁談も多く来ているだろう。私にも来ていたくらいだ。
確かにこのままでは、本人にとっても良くない。でも、知ってしまった以上は、力になってあげたいとも思ってしまう。
「ディアナのことは、俺とバーネットでなんとかしようと奮闘しているところなんだ。ノエルに迷惑は掛けないよ。…そうだな、いずれは仲良くしてもらえると嬉しい」
「それはもちろんですが……」
「ありがとう。今はこのまま、邸宅内の案内を続けてもいいかな?」
私が少しだけ躊躇った末に頷くと、ルキウスさまは悲しそうに微笑んだ。
それから、邸宅内の主要な場所だけを先に教えてもらった。
途中ですれ違った使用人たちに挨拶をすれば、みんなが揃ってこう口にする。
「ああ、ルキウスさまの不運を受け止めてくれる方がいらっしゃるなんて…!どうか、ルキウスさまをよろしくお願いします!」
何度目か分からない感謝の言葉を聞きながら、私はルキウスさまを横目で見る。
額に手を当て、とても恥ずかしそうにしていた。
けれど私は、ルキウスさまがこの邸宅内で働く人たちに慕われているということが分かって、とても嬉しく思う。
「みなさん、優しい方たちばかりですね」
「……それは間違いないし、仕事に関しても優秀だが……っと、」
階段を下るルキウスさまがよろけ、私とバーネットがその体を素早く支えた。
すると、バーネットは感嘆の声を漏らす。
「やはりノエルさまの強運はすごいですね。こうやってノエルさまが触れてくれれば、もうルキウスさまと一緒に階段を転げ落ちなくても済みそうです」
「転げ落ちるの?」
私が目を見開くと、バーネットがさも当たり前のことかのように頷いた。
「おかげで、痛みを軽減する転がり落ち方を会得済みですよ。ルキウスさまはどうにもなりませんが」
「……バーネット、最後の一言は余計だ。確かにノエルの強運はすごいと思う。でも、婚約者に毎回助けられるなんて…男として情けないだろう」
ルキウスさまが悔しそうにそう言って私を見る。
「でも私は、ルキウスさまがケガをする方が嫌です」
「……聞いてくれバーネット。俺の婚約者はとても優しい」
「ノエルさま、この人少し鬱陶しいところがありますが、どうか見捨てないであげてくださいね」
憐れみの視線を向けられたルキウスさまは、「バーネット?」と低い声で名前を呼ぶ。
二人の遣り取りは、聞いていてとても楽しかった。
くすくすと笑う私に、ルキウスさまが優しい眼差しを向けて来る。
「ノエル。本当は、もう少し一緒にいたいところだが…さすがに知らない場所で疲れただろう。このあとはゆっくり休んで欲しい」
「それはありがたいですけど……その、大丈夫ですか?」
私が離れれば、ルキウスさまの身は不運に見舞われてしまうだろう。
その心配の視線に気付いたのか、ルキウスさまが微笑んだ。
「俺は、君と出逢う今日この日まで、ずっと不運な出来事と付き合ってきたんだ。心配は要らないよ」
そう言ったルキウスさまに、優しく頭を撫でられる。甘い空気に溺れそうになり、私はバーネットに助けを求める視線を送った。
バーネットがやれやれと言うように肩を竦める。
「ではルキウスさま、俺はノエルさまをお部屋にご案内して来ます」
「ああ、頼んだ。俺は書庫に向かう」
「了解しました」
名残惜しそうに背を向けるルキウスさまを、私はハラハラと見守っていた。廊下の角を曲がって姿が見えなくなると、バーネットが口を開く。
「……ノエルさま。今更ですが、あの人の妻になると大変だと思いますよ」
「それは……どういう意味?」
「いろんな意味です。あ、脅すつもりはありませんよ。もし無理だと思ったら、婚約期間中に逃げ出してくださいね」
それは、なんとも意味深な言葉だった。
私はバーネットの紫の瞳をじっと見ながら、口元を緩める。
「大丈夫。バーネットが大好きなルキウスさまを、傷付けることなんてしないから」
「……それはとても語弊がありますが……俺としては、あなたの強運に賭けてみたい、と思っていることだけお伝えしておきます」
バーネットは苦笑しながら、「お部屋はこちらです」と言って歩き出した。
その後ろをついていきながら、私はバーネットの言葉の意味を考えていた。
夜逃げしたルキウスさまの両親。それでも領地を立て直し、新しい侯爵となったルキウスさまの不運な体質。
そして同じ体質を持ち、邸宅内に引きこもっているという妹のディアナさま。
……今日得た情報だけでも、だいぶ問題を抱えていると感じる。
それでも不安を感じないのは、私が強運の持ち主だからなのか。それとも…ルキウスさまが、私に真っ直ぐな気持ちを伝えてくれているからなのか。
「ではノエルさま。明日の朝、使用人を遣わせますので、それまでごゆっくりお休みください」
「ありがとう。……バーネット、こんなことを言われたら、いい気がしないと思うけど…」
礼をして去って行こうとするバーネットを呼び止めれば、不思議そうな顔で振り返る。
私は迷いながらも口を開いた。
「……その……ルキウスさまを、護ってあげてね」
私の言葉に、バーネットは目を瞬き、すぐに嬉しそうに笑った。
「もちろんですよ、ノエルさま」
扉が閉まり、私は新しいベッドに腰掛ける。
窓に映る夕焼け色に染まった空を眺めながら、私の強運はルキウスさまのためになるのかな、と思いを馳せた。