第2話:花束を受け取って
「えっ……と…?」
突然のことに状況が飲み込めず、私は跪くエヴラール侯爵を見つめる。
そのボロボロの格好を見れば、ここに来るまでに数々の不運に見舞われたことが分かってしまう。
それでも、エヴラール侯爵は熱い眼差しを私に向けていた。
正直なところ、私は困っている。
その花束を受け取れば、求婚を受け入れることになってしまうからだ。
侯爵から直々の結婚の申し入れなんて、伯爵令嬢の私は嬉々として受け入れるべきだろう。それは分かっている。
両親が期待を胸に、目を輝かせて私を見ていることにも気付いている。
―――でも、これだけは言わせてほしい。
エヴラール侯爵が欲しいのは、私の“強運”ですよね?
「……ノエル嬢。俺では、君に相応しくないだろうか…?」
「そ、そんなことはありません!絶対に!全く!むしろ私の方が侯爵に相応しくありませんので!」
「そんなわけはない。君はとても魅力的な女性だよ、ノエル嬢」
とても綺麗な笑顔で、侯爵は甘い言葉を口にする。私は頭の中で必死に言葉を付け足した。
『君はとても(強運が)魅力的な(強運な)女性だよ』―――絶対こうだ。
「……エ、エヴラール侯爵。一旦我が家へお入りください」
すぐに返事をすることが出来ず、私はそう提案した。
侯爵は手に持つ花束を一度見てから、すぐに笑って頷く。その笑顔が悲しそうに見えたのは、私の気のせいだろうか。
エヴラール侯爵の後ろから、護衛騎士のバーネットさんがついてくる。
目が合うと、眉を下げて微笑んでいた。やはり悲しそうだ。
とりあえず侯爵を客間に案内して、お茶の手配をしてから扉を閉めようとすると、両親の姿が目に映る。
父さまはグッと拳を作り、母さまは親指を立てている。無言の「さすが強運のノエル」の合図だ。
私の強運は、男運には関係しないと思っていたのだけど…と苦笑しながら扉を閉めた。
さて、問題はこれからだ。
「あの、エヴラールこうしゃ…く?」
振り返った私は、声が裏返ってしまった。
ソファに座っているエヴラール侯爵が、両手で顔を覆っていたからだ。
「ど、どうされました?お体の具合が悪いのですか?」
「………違う…呆れているんだ…自分に」
とても消え入りそうな声だった。私は説明を求めるように、侯爵の背後に控えるバーネットさんを見る。
バーネットさんは肩を竦めた。
「僭越ながら、私がルキウスさまのお心を代弁致しましょう。“ああ、せっかく運命の相手に出逢えたのに、こんなに見るに耐えないボロボロの格好で求婚だなんて断られるに決まって…”」
「〜バーネット!」
バッと両手を離したエヴラール侯爵の顔は、私にも分かるくらいに真っ赤だった。
私と目が合うと、侯爵は視線を彷徨わせる。
「あー…、バーネットの言うことは気にしないで欲しい。俺は…その、確かに君のことを運命の相手だと思ってはいたけれど…」
「…それは…私が、強運の持ち主だから…ですか?」
思ったよりも冷たい声が出てしまい、エヴラール侯爵が驚いたような顔をした。
私はしまった、と思いながらも、素直な気持ちを口にする。
「…今までも、私の“強運”に惹かれて近付いてくる男性はいました。けれど、この強運はあくまでも、私の強運です。例えば…私と一緒にいる人がくじを引いたとして、大当たりが出ることはありません。私は大当たりを引けますが…」
「………つまり?」
「つまり、エヴラール侯爵が私と結婚をしても、侯爵の“不運”が“強運”に変わることはありません」
私はハッキリとそう告げる。誤解されたまま求婚を受ければ、詐欺みたいになってしまう。
あとで話が違うと返品されても、困ってしまうのだ。
これできっと、エヴラール侯爵は私に興味を無くして帰るだろう…そう思っていたのに、侯爵は眉を寄せて私を見つめていた。
「君は…俺が君の“強運”を目的に、こうして求婚していると…?」
「え?違うのですか?それ以外に私に求婚する理由があるのですか?」
心から驚いてそう訊けば、バーネットさんがエヴラール侯爵に呆れた視線を向ける。
「ほら、言ったでしょう。出逢って数時間で求婚すれば、変な誤解をされますよ、と」
「確かに言われたが…!早く求婚しないと、ノエル嬢が誰かに取られてしまうと…!」
そこで侯爵はハッとしたように口元を押さえ、また顔を赤くした。その様子を見て、思わず私まで照れてしまう。
まるで、本当に私自身に惹かれたかのような言い方は…ずるい。
「……ノエル嬢。確かに俺は、君の強運はすごいと思ったし、羨ましいとも思った。でも、自分の不運を君に救ってもらいたいとは思っていない」
「で、ではなぜ…」
「君は先ほど、強運はあくまでも君の強運だ、と言ったね」
「………?はい、言いました」
私は首を傾げた。すると、エヴラール侯爵が微笑む。
「なら、あのとき引ったくりが向かって来たとき、俺の前に手を出してくれたのはそういうことだった―――と、今分かった。それを知って、余計に君が愛おしく感じるんだ」
確かにあの時、引ったくりの男から庇うように立ってくれたエヴラール侯爵の横から、私は手を出した。
それは、男の攻撃対象を私に戻し、強運を引き起こすためだった。…でもまさか、そんなことで…。
「それに、雨に降られたときのノエル嬢は、とても色気が増して綺麗だった。晴れ間に照らされて雨粒が輝く濃紺の髪も、大きな瞳も…」
「………」
「君の強運で、俺を護れて良かったと微笑んでくれたときは、心臓を鷲掴みにされた気分だった。こんなに美しい微笑みがあるのかと…」
「………あの、もうやめてください…」
ダメだ、これ以上エヴラール侯爵の言葉を聞いていたら顔から火が出る。
私はテーブルに置いてあった花束に目を遣る。ポッキリと茎が折れた花は、もう萎れかけていた。
「…エヴラール侯爵は…我が家にいらっしゃるまで、どのような不運に遭われたのですか?」
「ああ…花屋で花束を購入したところまでは割と順調だった。そのあと行く手を阻むような強い向かい風に逆らって歩いていたら、髪はボサボサ、花束の花は多くが折れ…馬車に乗り込めば車輪が外れて足止めを食らい、馬を借りて乗れば馬が暴れ出して落馬した。それでこんな格好になってしまったんだ」
本当に情けない、とエヴラール侯爵が苦笑する。
私はその話を聞いて、不運が集まりすぎて不幸だな、と思ってしまった。……でも、不運に遭ってまで私の元へ求婚に来てくれた。
それなら、私がエヴラール侯爵に出逢えたことは、強運というより…幸運なのかもしれない。
「……エヴラール侯爵」
私は侯爵を呼びながら、テーブルの上の花束をそっと手に取った。
侯爵は目を丸くして私を見る。
「お願いがあります。その…婚約期間を長めに設けていただけませんか?」
「………」
「私は、もっと侯爵のことが知りたいと思いました。侯爵にも、私のことを知ってもらいたいです。……その、幻滅されるかもしれませんが…」
「ありがとう……!」
満面の笑みを浮かべたエヴラール侯爵は、勢い良くソファから立ち上がった。
あまりの勢いのせいか、不運のせいか、膝を思いきりテーブルにぶつけていた。
膝を擦りながら「いたた」と言う侯爵を見て、私は思わずくすりと笑ってしまう。
「あ……すみせん、私ったら。侯爵が痛がっているのに……」
「いや、こんな小さな不運は日常的なものだから、君が笑い飛ばしてくれると嬉しい」
エヴラール侯爵はそう言うと、カツン、と靴音を鳴らして私に近付いてくる。
そしてまた跪くと、花束を持つ私の手に優しく触れた。
「改めて……ノエル・クレージュ嬢。どうか俺と、結婚してください」
私を真っ直ぐに映す、綺麗な水色の瞳。
それを見つめ返しながら、自然と私の中にある感情が芽生えた。
―――この人を、幸せにしてあげたい。
「はい。よろしく、お願いします」
私が微笑めば、エヴラール侯爵がとても嬉しそうに笑ってくれる。
こうして、強運な私と、不運に愛されるエヴラール侯爵の婚約が決まったのだ。