第10話:背後に近付く気配
馬車に揺られ、私とディアナさまは美食の街ルッセに無事辿り着いた。
気付いたのは、ディアナさまはルキウスさまほど不運に見舞われないということだった。
脱輪もせず、馬も暴れ出さず、ルッセに着くまでに起きた不運と言えば、途中で大きな窪みに馬車がはまり、抜け出すまでに少し足止めを食らったことくらいだ。
これには、ディアナさまも驚いていた。
「ノエル、あなたの強運って凄いのね。絶対もっと酷いことになると思っていたわ」
「もしかして……年を重ねると不運が軽くなっていく……とかあるんでしょうか」
「それはないんじゃないかしら。邸宅の中では、小さい頃からずっと変わらないわよ」
「そうですか……」
それは残念だと思いながら、私は肩を落とす。
馬車を降りて歩き出すと、ディアナさまが「ねぇ」と声を掛けてきた。
「私たち……その、義理の姉妹になるんでしょう?さま付けと敬語、そろそろやめてくれないかしら」
「い、いいんですか!?」
私が顔を輝かせると、ディアナさまが照れた顔でこくりと頷いた。とても可愛い。
「じゃあ……今日はよろしくね、ディアナ」
「ええ。こちらこそ、ノエル」
お互いに顔を見合わせ、笑い合う。私はこの美食の街で、ディアナをたくさん楽しませてあげようと改めて思った。
ディアナは甘いものが好きだということで、私はいくつか目星を付けたお店を回った。近くのベンチに並んで座り、買ったものをさっそく食べてみる。
「んん〜……、美味しい!」
「本当ね。外で食べると、より美味しい気がするわ」
ディアナがそう言って、外の空気を確かめるようにすうっと息を吸っていた。
「……そういえば、ルキウスお兄さまとはこの街で出逢ったんでしょう?」
「そうなの。ルキウスさまが引ったくりに遭って、その犯人が私の前で盛大に転んで……ルキウスさまの鞄がこう、私の腕の中にスッポリと」
あの時の状況を再現するように、私は両腕で鞄を受け止める仕草をする。
それを見たディアナは、くすくすと笑った。
「なにそれ、面白い出逢い方ね」
「ふふ、私もそう思う。でも……ルキウスさまに出逢えたことは、私の一番の強運……いえ、幸運だわ」
「お兄さまに伝えたら、泣いて喜びそうね」
「泣いて……?ルキウスさまが涙を流すところは想像つかないけれど……肖像画にしたいくらい綺麗ね、きっと」
そう言ってからスイーツを頬張る私を、ディアナは楽しそうに見ていた。
「本当に、不運なお兄さまにしては、あなたと出逢えたことは奇跡ね。今までお兄さまに寄ってくる女と言ったら……あ、聞きたくないわよね。ごめんなさい」
「ううん、少し気になっていたの。ルキウスさまに、その……今まで恋人はいたわよね?」
「え、いなかったわよ?」
侯爵家当主という立場に、あの容姿だ。いなかったわけがないだろう……という私の予想は、ディアナにアッサリと否定された。
「い……いなかったの?一人も?」
「ええ。だから今、初めての恋人……というか婚約者のあなたにの存在に、あれだけ浮かれているのよ」
私は信じられずに瞬きを繰り返す。
ルキウスさまの、初めての恋愛の相手が私?
「どうして?ルキウスさまなら女性たちが争奪戦になるレベルじゃないの?」
「確かに寄ってくる数は多かったけど、所詮みんな容姿と立場が目当てなのよ。お兄さまの不運に一回遭遇したら、もうさようなら、よ」
過去の映像を思い出したのか、ディアナが思い切り顔をしかめて言った。
「だからお兄さまも、もう結婚を諦めかけてたの。だから、出逢って数時間で求婚して帰ってきたって聞いたとき、信じられなかったわ」
「それはそうよね……。私も信じられなかったもの」
「それほどお兄さまは、あなたに運命を感じたのね」
運命。本当にそうだなと思った。
あの日、あの時あの場所で、私とルキウスさまが出逢えたことは―――強運で、幸運で、運命だったのだ。
不意にルキウスさまの笑顔を思い出してしまい、胸がきゅっと締め付けられる。
早く会いたいと、そう思った。
「あら、顔が真っ赤じゃない?いいわね、私にも素敵な恋愛が出来るかしら……」
ディアナがそう呟いたとき、ザァ、と強風が吹いた。買ったものを入れていた、今は空になった袋が、風に煽られて飛んでいく。
「あ……」
「もう、地味な不運ね。ノエル、私が取ってくるわ」
咄嗟に伸ばした私の手は届かず、ディアナがそう言ってベンチから立ち上がった。風はすぐおさまり、袋は少し煽られただけで済んだ。
地面に落ちた袋に向かうディアナの後ろ姿を眺めていた私は―――背後に近付く気配に、全く気付けなかった。
「!」
突然視界が真っ暗になる。
何か布のようなもので顔を覆われたようだった。叫び声を出す暇もなく、急激な眠気に襲われる。
―――誰?どうしようディアナが……、ルキウスさ、……ま……。
ルキウスさまの姿を頭に浮かべながら、私は意識を失った。
***
「………ル…、…ノエルッ…!」
ハッと目を覚ませば、目の前にディアナの顔があった。
私は起き上がろうとして、手足が縛られていることに気付く。
「あ、れ……?なに、が……」
「私にも分からないわ。袋を拾って振り返ったら、あなたが誘拐されそうになっていて……慌てて助けようとしたら、失敗してこうなったわ」
ディアナが悔しそうに唇を噛む。自分のせいだ、と責めていることがその表情で分かった。
「……ディアナが無事で良かった。私一人で捕まっていたらパニックになっていたけど、ディアナがいるから冷静でいられるわ」
「またそうやって……あなたもルキウスお兄さまと一緒だわ。自分のことは後回し」
「そんなことないわよ?私は強運だから何とかなる!って思っているから。……今回はダメだったけれど……」
どうやら、背後からの不意打ちには、私の強運は敵わないようだ。一つ勉強になった。
冷たい床に横たわったまま、私は自分の置かれている状況を確認する。薄暗く狭い部屋だった。物は何も置かれていない。
手足は縛られているけれど、目と口は自由だ。良かったと思いたいところだけど、そうはいかない。
「……助けを求めても、周囲に声が届かない場所なのかも。目隠しもないってことは、誘拐犯が顔を隠しているか、もしくは私たちに顔が見られても良いと思っているか……」
「どうしてそんなに落ち着いているのよ?」
「私、誘拐されることって初めてじゃないの」
苦笑した私に、ディアナが目を丸くする。
私は子どもの頃、強運に目を付けられて自分の領地で誘拐されたことがある。
食べ物に釣られて警戒心が揺らいだという、完全に自分の落ち度で誘拐された。
「でも、強運のおかげで無傷で助かったから大丈夫よ。今回も、私の強運を狙ったのかもしれないわ……ごめんねディアナ、巻き込んで」
「……あなたのせいではないわ。とりあえず、どうやって逃げ出すか考えましょう」
そう言いながら、ディアナがもぞもぞと動き出す。なんとか体を起こそうとしているようだ。
私も同じように起き上がろうと奮闘していると、急に扉がギィ、と音を立てて開いた。
部屋の中に明かりが差し込み、その眩しさに片目を瞑る。
扉から入って来た人物に、私は見覚えがあった。
「え……?あのときの……?」
「どうもこんにちは。またお会いしましたねぇ、美しいお嬢さん」
にこりと笑ったのは、視察先の町で会った商人の青年だった。私はわけが分からずに混乱する。
「商人が、私たちを誘拐したの?……何のために?」
「ふふ、分かりませんか?隣のお嬢さんは気付いたみたいですが」
その言葉にディアナを見れば、顔を真っ青にしていた。震える唇から、小さな声が発せられる。
「……まさか……人身売買……?」
そんな物騒な言葉を、私は聞くことになるとは思わなかった。
人身売買―――つまり、私たちはこれから売り物にされるということになる。
青年はにこりと笑った。とても不気味な笑みだ。
「そうです。商人というのはただの肩書なので。いやぁ、あの日にあなたに出会えたことは、僕にとって幸運でしたよ?“強運の婚約者”さん?」
「……狙いは、私の強運なのね」
「強運を持つ人間なんて、高額な値がつくに決まってるじゃないですか!ああ、このあとの競売が楽しみだなぁ」
恍惚としたその顔に、ぞくりと悪寒が走る。この人は、人を商品とすることに、全く抵抗を感じていない。
「そ、それなら……私だけにして。彼女は逃がしてあげて」
「ははっ、分かったと言うとでも?そこのお嬢さんは人質ですよ。あなたが強運で逃げ出さないための、ね」
青年はディアナを無理やり立ち上がらせ、その首元に刃物を当てた。ディアナがヒュッと息を飲む音が聞こえる。
「やめて!私は逃げないから!」
「良かったです。では、出番が来るまで大人しくしていてくださいね」
青年がパッと手を放し、ディアナがドサリと床に倒れる。ひらひらと手を振りながら、青年は部屋を出て行った。
僅かな明かりは、閉められた扉によって掻き消されてしまっていた。




