サマリ08:王都と疫病と変わり者
現役看護師が執筆する医療系の異世界転生ものです。
どーぞ、ごひいきに。
──数年前。王都サルファン、東の外れにひっそりと建つ古塔の地下室。
燻った油の匂いと、冷えた石床。書棚に埋もれた巻物と瓶詰めの標本の中で、ひとりの青年が呼吸の数を数えていた。
「……七秒ごと。次の吸気は……今」
その声は無表情で、感情の波を持たない。
目の前にあるのは、木人形と人工呼吸の装置を組み合わせた簡易人体模型。
青年は、決まったリズムで振動する胸部に合わせて記録を取り続けている。
名をクリラボ。
王立学院を自ら退学し、王都で最も異質な“観察者”として知られる男だった。
「……体温、脈拍、瞳孔反射、皮膚の色。これらを総合すれば、病気は嘘をつけない」
彼は、人間が発する“言葉”に興味がなかった。
信じていたのは、“体”が語る“沈黙の真実”。
かつて学院では、誰とも目を合わせず、講義中も身体観察のメモばかりを取り続けた。
「気味が悪い」「呪術狂い」「友達も作れない変人」と蔑まれたことも一度や二度ではない。
しかしクリラボは、気にしなかった。
彼にとって、“他者の感情”や“噂”は、記録する対象ではあっても、理解すべき対象ではなかったからだ。
現在。王都サルファンの空は、どこか淀んでいた。
広場には疲れた人々があふれ、薬屋には列ができ、神殿の治癒士たちは魔法の効かない患者に戸惑いを見せていた。
「高熱……関節痛……咳……目の奥の痛み……頭痛……悪寒……」
クリラボは診療所の門前で一人、通行人を観察し、ノートに症状を記していく。
『症例47:咳(強)、体温上昇、関節に触れたときの反応が強い。4日前と一致……』
淡々と、街の“病の広がり”をなぞるように。
その日。王都サルファンの南門。
陽翔たちにとって、王都は初めて目にする風景だった。
南門をくぐった先に広がるのは、石畳の広い通りと、ぎっしりと立ち並ぶ重厚な石造りの建物群。空を突くような塔や尖った屋根の家々が続き、ところどころに設けられた噴水や石像が街の格式を物語っている。
人々は多く、だがどこか沈んだ様子だった。屋台は半分しか開いておらず、道端で足を止めて咳き込む者や、壁に寄りかかって動けない者の姿が目立つ。香料や食べ物の匂いの代わりに、どこか薬臭く乾いた空気が漂っていた。
「……でかいな。だけど人は多いのに、にぎやかさや活気が感じられないな。これが王都か……?」
陽翔がぽつりと漏らす。メディクは静かにうなずき、アーツは肩の上で小さく尻尾を揺らした。
『この空気の停滞と、人々の沈黙……症状だけでなく、街全体が“病んでいる”ようです』
「……なんか、空気が悪いな」
陽翔は眉をひそめながら広場を見渡した。
通行人の歩みは重く、時折、誰かが地面に手をつき咳き込んでいる。
その肩には既にグレイスを発動しているアーツ、そして後ろにはメディクが静かに続く。
『陽翔。咳、頭痛、倦怠感、関節痛。すべての症状から診断するに、これは……インフルエンザの流行の可能性が高い』
「インフルエンザか。確かに季節的にも冬に近いしな」
『特に高熱と咳が目立ちます。伝播性が強く、治癒魔法の効果が薄い以上、このままでは、あっという間に王都全体に拡大すると思われます』
メディクが不安そうに声を漏らした。
「……魔法、効いてないってこと?」
「たぶん、そうだ。エルフの森でも感じたが、この世界の治癒魔法は、一時的な対処療法でしかない」
その時だった。
道端で佇んでいた白衣の男が、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
陽翔が目をやると、その男は彼らをまじまじと見つめてきた。
灰色の瞳の奥に宿るのは、興味でも、警戒でもない。
まるで──診察する医者のような視線だった。
「……お前たち。医療に携わる者か?」
唐突な問いかけに、メディクがぴくりと反応する。
「……あなた、誰?」
「名前は、クリラボ。記録と観察をしている者だ。……治癒士ではない。だが、身体の反応を観察し、病の流れを読むことはできる」
陽翔は言葉を選びながら答える。
「俺は、涼風陽翔。こっちはメディク。薬師だ。そして……」
アーツが、クリラボの方をじっと見つめた。
だが、何も話さない。──契約していない者には、アーツの声は届かない。
クリラボはアーツの存在に興味を持ったようだったが、何も問わなかった。
「……この数日、王都では高熱と咳を伴う症状が広がっている。発症は急で、関節痛や筋肉痛、強い倦怠感、頭痛を訴える者も多い。中には、神殿の魔法でも改善しない者も出てきている。君たちは、これをどう見る?」
陽翔はアーツに視線を落とす。
『急性の発熱、関節痛、筋肉痛、頭痛、咳、倦怠感──これらが同時に発症……。インフルエンザの可能性が高いでしょう。特に集団発症があることからも強い感染症と見なされます』
陽翔はうなずき、クリラボに向き直る。
「君の今の説明を聞いて、ある感染症に症状が類似している。強い感染力と全身症状が特徴だ。放っておくと一気に周りに広がっていくぞ。死者も出る危険な病気だ」
クリラボは静かに頷き、ノートを取り出した。
そこには、びっしりと症状と位置が記された文字が並んでいた。
「これは、今月に入ってからの患者の出現分布。日付、場所、症状、進行経過……すべて記録した。感染の広がりは、北東から南西に向かっている」
「……これ、全部お前が一人で?」
「他にやる者はいない。魔術師も治癒士も、見えないものには興味がない」
クリラボの声には、僅かに冷笑が含まれていた。
「皆、神の力に頼って病を癒そうとする。だが、治癒魔法で治らないなら、何が原因かを見つけるしかない」
陽翔は、彼の視線に力を感じた。
(……この男、本気でこの病を“知ろう”としてる)
「俺たちも協力しよう、クリラボ。早めの対処が必要になる。人手もいるだろう。ただ、俺たちは今、この王都に来たばかりで右も左もわからない上に、現状把握も十分ではない。まずは、どこか落ち着ける場所で話を聞かせてもらえるか?」
「……目的が一致するなら、それで構わない」
クリラボは、陽翔の手を一瞥し、軽く頷いた。
「ただし、僕は“治す”よりも“理解する”ことに興味がある」
「それでいい」
こうして、変わり者の“観察者”は、陽翔たちと行動を共にすることになった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。引き続きお楽しみください。