幸せオムライス 2
ジョエルが森を出てから早や一年が過ぎた。
学園入学のための準備は順調で、特に問題は起きていない。
学園卒業まではしばしの別れか、としみじみしていたエリクも、入学準備の家庭教師の一人として招請されていた。
森で教えていたのは魔力の制御のための魔法の使い方だ。
平均的な魔力量の生徒のための授業に合わせるには、少々面倒ではあるが、一から教えなければならないこともあった。
というわけで『初歩の魔術と魔法』というジョエルとエリクにとっては逆に新しいアプローチの授業の後、二人は公爵邸で昼食をとっていた。
「やはり、旨いな」
「やっぱり、美味しいですよね」
場所は公爵邸の庭園にある東屋。
王都の公爵邸は王城に次ぐ広さと豪華さを誇り、庭園も王都一の公園を凌ぐ素晴らしさ。
その中央に作られた東屋の周囲には、食事の邪魔にならないようにと、香りも色合いも淡い花をつける植物が植えられている。
「こうして王都の洗練された庭園で食べても旨いな」
「そうなんです。やっぱり最高です」
二人が先ほどから絶賛しつつ食しているのは、相も変わらずオムライス。
「先生がいらっしゃるので、今日は特別にカイロが作ってくれましたから」
「そうか。それは有難いことだ」
公爵邸に戻ったジョエルは、すっかり魔力が制御できるようになっている。
専属世話係だったカイロは、まとめて有休をもらった後、公爵邸に戻って働いていた。
「カイロのオムライス、これで食べ納めかもしれません」
「実に残念なことだな。惜しい人材を……」
「坊ちゃま、先生。私の作ったオムライスを褒めていただけるのは光栄ですが、納めるとか惜しいとか、人を勝手に葬るのはお止めください」
食後のお茶を持って現れたカイロが突っ込む。
「だって、ねえ、先生」
「ああ、そうだな、ジョエル君」
「別に裏切り者、とか思ってないけど」
「ああ、別に抜け駆けとか思ってはいない」
「お二人とも、親離れのできない小さなお子のようなこと、おっしゃらないでください」
カイロが呆れる。
二人がグズグズ言うのには理由があった。
この度、カイロは目出度く結婚することが決まったのだ。
相手は公爵領で農業を営むボンキュッボン。
ジョエルの親戚のお姉さんである。
彼女から好意を寄せられて、まんざらでもなかったカイロではある。
正直、たいへん積極的に迫られた。
彼女の本気に真面目に応えるべきと考えたカイロは、自分が異国の出身であることを告げた。
さすがに、暗殺部隊に属していたことは伏せたが、ワケアリということは十分に匂わせた。
それでも彼女は諦めなかったのだ。
結果、二人の仲は公爵家に認められるものとなった。
「それに、私が公爵領に行くのは結婚のためだけではありませんでしょう?」
農業を営む彼女は、公爵領を離れられない。
それで、カイロの方が王都からそちらへ移ることになった。
「あの森で、魔力過剰のお子さんを預かる大事な仕事があるのですから」
「そうだな。君には、また世話になる」
エリクは、未だ王立魔術師団に属している。
ジョエルの父である公爵に出世させてもらって以来、現場に出て戦うのは余程人員不足の時くらいだ。
今の身分は研究職部門の班長。
子供の魔力過剰についての研究が専門の彼は、人体と魔力の関係について研究する班を仕切ることになった。
間口を狭めると、研究は行き詰りやすいものだ。なるべく広い視野を持つためにも、他の魔術師と意見交換をするのも大切だった。
エリクに負けず劣らず自分の興味に忠実な班員たちは、日夜、研究に没頭している。そして、その成果だけでなく、研究途中での話し合いからも様々なヒントが立ち上がって来る。
エリクは助手を使える立場である。
預かった魔力過剰の子供の、生活の世話はカイロに頼むが、魔力対策については助手である研究員を常時駐在させる。
もちろん、子供一人一人の状況は違うので、対処方法がある程度決まるまではエリクが直接対応する予定だ。
「先生を代表にして、父上が私設の研究所を立ち上げるのかと、僕は思っていたんです」
ジョエルが自分の意見を言った。
「そういう方向性もあったのだが」
エリクはゆっくりと応える。
「何か、都合が悪いことでも?」
「うむ。いろいろ検討した結果、公爵様の立場的に派閥が壁になるかもしれない、ということになった」
「派閥というと、他の高位貴族家との間に問題が起きる?」
「ああ。高位貴族の子女のほうが魔力過剰になりやすいだろう?
もし、派閥の問題で公爵家の施設には預けにくい、となったら不自由を強いられるのは子供なんだ。
決めるのは親だから絶対に預けてくれるとは限らないが、出来る限り選択幅を狭めないように魔術師団の施設にすることになった」
「なるほど。よくわかりました」
オムライスの皿は空になり、カイロがデザートのレモンゼリーを持って来た。
「ところで、公爵家の料理長はオムライスをマスターしたのかい?」
エリクがカイロに訊ねる。
「いえ、料理長は新しい料理は若い者に任せる、と仰ったので何人かの若手の方にお教えしました」
「そうか」
「お米の生産量が安定したら売り込みのため、あちこちに若手料理人を派遣するそうです」
「さすが、公爵様だな」
「さすが、腹黒狸です」
「だが、やはり、誰もカイロのオムライスを越えることはないのだろうな」
「もちろんです! カイロの作るオムライスが一番おいしいに決まってます」
エリクとジョエルは二人して、カイロをじっと見つめた。
元諜報員で暗殺部隊所属だったカイロのこと、二人の視線に動じることなどない。
ないけれども、ここは空気を読むことにしたようだ。
「先生は転移で公爵領に度々いらっしゃる予定なのですから、たまには坊ちゃまをお連れ下さい。
いつでも喜んで、オムライスをお作りしますよ」
「やったぞジョエル、言質を取った!」
「やりましたね、先生!」
まったく、二人して子供なんだから。
呆れ顔のカイロだが、口には出さない。
「トマトソースのチキンライス以外のご希望がありましたら、材料もお持ちくださいね」
「わかった。
よし、ジョエル、一番最初に行くときは一緒に港町の朝市で仕入れるぞ。
その日は、うんと早起きになるから覚悟しておくことだ」
「はい!」
空は青く、風は爽やか。
王都公爵邸は今日も平和だ。