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3 君みたいに変わりたい

「なんであんなことされたの?」


 俺は美術準備室から抱えて持ってきた段ボールを彼女の目の前に置きながら尋ねた。


「恨み……かな。この間まで付き合っていた映画研究部の東条先輩に片思い中の子みたい。尻軽女って言われちゃった。先輩が可哀そうだって。どうも私が先輩をひどく振ったってことになってるみたいで。振られたのはこっちなんだけどね」


 やれやれと彼女は肩をすくめた。黒のジャージ上下というラフな格好に着替えた彼女はふふっと小さく笑った。気丈に振舞っている姿がどうにも痛々しく見える。

 段ボールの中身を取り出して机に並べると、彼女は興味深げに近づいてきた。


「これ、全部田高君が染めたの?」

「うん、まあね」


 美術室のテーブルに並べられた黄色や藍、さくら色の布を手に取って、彼女は「すごい」と感嘆した。


「このピンク、すごくキレイ」


 彼女が手に取ったのは濃いピンク色に染まったインド綿のストールだ。


「ピルマネムという木につくラックという虫の分泌物から作られた染料で煮出した液に浸すんだ。70度まで温めた染液で30分。そのあとミョウバン液に浸す。それを数回繰り返して干すと、そういう色になるんだよ」


「へえ」と彼女は感心したようにストールを覗き込んだ。


「えっと、こっちの黄色は?」

「それはマリーゴールド」

「植物でこんなふうに染められるなんて、田高君ってすごい!」


 一ノ瀬さんに褒められて、俺は照れくさくてコリコリと頭を掻いた。最近ではすっかりサークルの先輩も後輩も驚かなくなった。職人になれば? なんて揶揄されるのがオチだ。


「どうして草木染、やろうと思ったの?」

「白い布が……きれいな色に染まっていくのが楽しくて……」


 一ノ瀬さんみたいに――という言葉は省いたのに、彼女は「なんか、私みたい」とクスッと笑った、


「どうしてそう思うの?」

「付き合う人の好みに合わせてファッションとか髪型とかを変えちゃうから。そういうところが尻軽って言われるみたいなんだけど」

「好みを変えるから尻軽って意味が分からないな。それのなにが悪いんだろう?」

「自分がないって言われたかな。あなたのどこを好きになるのかわからないって。相手に媚びを売っているだけだ。本当の自分で付き合っていないって」

「解せない。俺にはすごい魅力的な能力なのに」


 ぽつりとつぶやくと、彼女は「嘘?」と俺をまじまじと見た。


「本当にそう思ってるよ。その……俺はさ。黒い男だから」

「なにそれ?」

「誰にも染まらない真っ黒な服を着た男ってことみたい。実際に俺の家のクローゼットは黒一色だから、そう言われても仕方ないんだけど……でもさ、別に染まらないわけじゃなくて……染まるのが怖いだけなのに」

「染まるのが怖い?」


 彼女がきょとんとした目を向けた。俺は段ボールに詰めこまれた草木染のストールやTシャツを眺めながら「トラウマだよ」と答えた。


「小さいころはさ、親が選んだ服を着るだろ? それこそいろんな色をね。似合う、似合わないなんて考えないで。でもさ、中学生くらいになると自分のセンスで選ぶだろう? それを親にも友達にもダメだしされて。トドメは『色キチガイ』って言われたこと。俺、明るい色が好きでさ。でもなんか、センスないって言われて。それから黒い色ならなんにも言われないだろうってなって。そうしていくうちに、定番から変えることがどんどん怖くなってさ」

「たとえば?」

「飯」


 彼女は「ああ」と声を上げた。


「たしかに田高君って、いっつも同じもの食べてるよね。お昼はなにがあってもAランチ」

「よく知ってるね」

「だって、気になるもん。毎日いっしょの形の黒服だし。いったい何枚同じの持ってるんだろうって。もしかしたらすっごい貧乏で、二枚くらいを着まわしてるのかなって」


『田高君は目を引くから』と彼女は白い歯を出して笑った。


「目を引く?」

「うん。イケメンだし、背が高いし。なのに、人を寄せ付けないオーラバリバリで。ミステリアスな雰囲気出してるからさ。田高君のこと、狙ってる子多いのに、本人はまったく意に介していないし。もしかして、自覚なかった?」

「うん、ぜんぜん。ミステリアスって意味不明」


「やっぱりねえ」と彼女はクスクス笑った。ちょっとしたことで表情がコロコロ変わるのがすごく可愛い。俺は話を元に戻そうと小さく咳払いした。彼女は「それで?」と言った。


「だから、その……そんな俺からしたら、一ノ瀬さんってすごいエネルギーを持っている人に見えるんだよ。人に合わせることもそうだけど、それを自分のものにしちゃうところがさ。女優さんが物語の登場人物になりきっちゃうくらいすごいことだと思うんだ。真っ白だから、いろんな色を纏えるんだよ。黒い色の俺から見たら、一ノ瀬さんはいつもキラキラしていて、まぶしくて、どうしても目で追いたくなって……ああ、俺はこの人がす……」


 そこまで言って俺はハッと我に返った。一体俺は今、なにを言いかけた!?

目の前の彼女に視線を向けると、彼女も驚いたように俺を見つめていた。慌てて「今の、忘れて」と彼女の前に置いたストールを片付けようとした。すると、その俺の手を彼女はぎゅっと掴んだ。


 俺は息を呑んだ。心臓がドクドクと早鐘を打っている。彼女のひんやりとして、やわらかな手の感触。そこから自分の熱が奪われていくような感覚を覚えた。


 落ち着け、落ち着けって。どうしてこんなことになったんだ。そもそも俺は告白する気なんかなかった。遠くから見ていられればよかった。夏川が彼女とつきあうときもうらやましいとは思ったけど、自分なんかじゃ釣り合わないと思っていたから祝福できた。夏川と別れたときも、俺と付き合えばいいのになんて微塵も思わなかった。それなのに、なんてざまだよ。


「ねえ。本当はどうして草木染、やろうって思ったの?」


 一ノ瀬さんが俺をじっと見る。その瞳に俺のすべてが引き込まれる。心臓が口から飛び出してしまいそうなのを押し戻すように、ごくりとつばを飲み込んだ。はあっと息を吐く。


 理由はいろいろある。彼女が植物を好きだから。自然の草木で染めた布を見たときにすごくキレイで感動したから。でも一番の理由は――


「君みたいに変わりたくて……」


 白い布たちに一ノ瀬さんを重ねていた。染め上がった布を見ると心が躍った。色の魔法にかかったみたいに、草木染をしている間は自分も変われるような気がしていた。


「そうなんだ」と彼女はぽつりとつぶやいた。重い沈黙が落ちる。うるさく騒ぐ心臓の音が彼女に聞こえないかと思えるほど、静かな時間だった。

 そんな中、彼女が「私はね」と切り出した。


「田高君がうらやましい」

「え?」

「変わりたいと思う自分がいながらも、変わらずにずっと自分を守り続けてるところ。それだって、すごいエネルギーが必要なことだよね。それは弱さじゃない。強さだと思う。すごくかっこいいって、私はずっと思ってたよ」

「ずっと?」

「うん。一年生の初めに田高君を知ってからずっと。憧れてた。あのね。私って、実はすぐにフラれちゃうの。相手に合わせてもね、最初の内は喜んでくれるんだけどさ。そのうち飽きられちゃって。これまでいろんな人と付き合ってきたけど、田高君みたいに変わることがすごいと言ってくれる人はいなかった。だから……本当にうれしいの」


 一ノ瀬さんがふわりと笑った。その笑みに俺の治まりかけていた心臓がまた大きく跳ね上がった。

 彼女は俺の手を離すと、マリーゴールドで染めたストールを手に取った。それを俺の首にそっと巻いた。


「似合ってるよ、この色」

「そう……かな?」


「うん」と彼女は力強く頷いた。


「あのね。私、思うんだけど……いきなり全部を変えなくたって、こうやってちょっとだけ変化をつけてあげるだけでもいいんじゃないかな? だって、田高君は今のままでも充分に魅力的なんだから」


『ね?』と彼女は小首を傾げた。俺は「うん」と小さく首を縦に振った。


「じゃあ、ラック色だっけ? ピンクでよろしくお願いします」


 そう言って、彼女は俺に惜しむことなく白いワンピースを差し出した。


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