31話。諦めない。
「退いて頂けませんか? 光錬成師パトト? 私もバルナも長命族への目覚めの時を得たばかり。『時の魔法陣』の力で全てを巻き戻しても過ちは繰り返される。前に進むしかないのですよ?」
「多大な命と魂を、犠牲にしてもか?」
「まるで、救世主ヅラだな? パトト……。奪っておいて、よく言う」
冷たく血塗られた過去から、死者の悲しみが──この仄暗い石壁の地下室に、冷たい冷気になって漂う。
そんな死の象徴を風の様に纏うリゲルの……深く刻まれた目もとの皺。さっきから、ほとんどその場所を動いていない。パトト爺ちゃんを見つめたままだ。まるで、炎が揺らぐのをジッと見据える様に。
そして、蠟燭の炎の様に。パトト爺ちゃんの身体から湧き出る光錬成の明かりが、リゲルとバルナ、ジャンゴの影を映し出している。パトト爺ちゃんのバルナに斬られた傷──その、溶け出した蠟みたいな赤い血液が、地下室の石床に滴り落ちる。
ジャンゴの変身した銀狼の口と牙からも、喰らいついたバルナの片脚と同じ様に、赤い血液が伝い落ちる。その状態から無理矢理、脚をジャンゴの牙から引き剥がしたバルナが、倒れ込むように片膝をついた。
──血溜まりの床。
リゲルの唱えた『闇縫合治癒呪文』の呪文効果が残っていたのか、少し身震いをした後、バルナが黒に包まれたその竜鎧の身体を起こして立ち上がった。見る見る内に、バルナの脚の傷が塞がっていく。
「なぁ? ……もう、やめにしねぇか?」
ジャンゴの獣の様な、くぐもった声が、変身した狼の口からこの地下室に響き渡る。その僅かだけど、シンとした時間──。釘で刺した様なリゲルと、立ち上がったバルナの視線が、ジャンゴの姿を射抜く様にして見つめていた。無言の二人の影が、地下室の石壁に揺らめく。
「『時の魔法陣』で、過去の過ち──災いの火種を消せば済む話だろ?」
「ジャンゴ……」
再び銀狼の口を開いたジャンゴの言葉に、パトト爺ちゃんが身体の傷を抑えながら、ジャンゴの狼の目を見つめている。私も、気持ちを抑えきれなくなって──この場に居る皆に聞こえるほどの大きな声で……気がつくと叫んでいた。
「そ、そうよ! 過去に遡って、災いの火種を消せば……誰も悲しまずに済むわっ!!」
「過ちは繰り返される──。そう言ったはずですが? リリル。運命は変わらないのですよ?」
再び、リゲルの左の手のひらに青白い炎が灯る。死の精霊を操る前の予備動作だろうか。その悲しみに満ちた表情が炎の揺らぐ影に浮かぶ。
リゲルのさっきまでの殺意が、一瞬。ほんの僅か、揺らいだ気がした。
「風の星よ。聞こえてるか? お前の結界が、風の洞窟で魔人に打ち破られた時、時代の流れは大きく変わった。じきに、中央魔大陸から魔人──進化した我ら長命族が光の五大陸に押し寄せる」
エルフ……? 聞き慣れない言葉だ。魔人と、どう言う関係が?
「長命族は、人の魂と心──その想い出とともに生きる。魔人の姿は、その生命力の一時的な高まりにすぎない」
「なればこそ、人の想いも優しさも感じられるはず。なのに、人殺しが止まらないのは、なぜだ?」
「黙れっ!!」
黒の竜鎧のバルナが床に捨てた銀の大剣を拾い上げた瞬間。石床に火花が走り、目には見えない斬撃の風が吹いた。
(──ギィィィン!! ゴオォォォ……!!)
パトト爺ちゃんの光練成の明かりの前に、人狼の姿のジャンゴが立ちはだかった。
その鬣の様な体毛が銀に光り、バルナの斬撃の突風に靡く。
「お前の相手は、俺だぜっ! バルナ!!」
──ドッ……と。
バルナの斬撃の風を搔い潜ったジャンゴが、バルナとともに床に倒れ込む。
そして、私たちの背後の石壁に、その斬撃の衝撃音が走った。
(──ドドドドドド……!!)
「やはり、お互い相容れませんね。パトト? ククク……。我々とただの人間とでは何もかもが違いすぎる」
この石棺の様な地下室に響くリゲルの声。その手に灯る青白い炎が大きく揺れた瞬間──再び、全てを奪い尽くす死の精霊の怨嗟が、木霊した。
「ォォォ……オオオオ!!」
「うっ……。か、風のお星様っ!!」
「(リリル!!)」
(……バチィィィン!! ──ザン!!)
二度目。
今度はリゲルの胴体が、ゆっくりとズレて……。ボタリと、その不敵な笑みとともに石床に崩れ落ちた。
風のお星様に弾かれた死の精霊が、地下室の天井を旋回している。
私は──、青い光に包まれて。その視界の向こうで、手刀から滴り落ちるリゲルの血液を振り払うパトト爺ちゃん……の姿が見えた。
けれども、その血液が闇で出来ているのか、再びリゲルの身体の切断面にズルズル……と、集まる。赤く流れ落ちる床の血溜まりが、逆にリゲルの身体に吸い寄せられる様に。
「ハハハ。参りましたね。斬られ放題。これでは、ただの時間稼ぎにしかならない」
「くっ……! リ、リゲルさん、一旦退きますか? こっちも、人狼の子供の馬鹿力で……。は、離せっ!!」
(──ドッ!!)
バルナにお腹を蹴られそうになったジャンゴが後ろに飛び退き、バルナから離れて片膝をついて呻く。
「ガルルルル……」
「やはり、獣は、人間以下だな」
「……バルナよ。聞いてはくれんか? お前の父親は──」
「黙れと言っている。パトト……今さらの言い訳など、聞くに値しない」
黒の竜を模した鎧が、バルナの銀の大剣とともに起き上がる。再び構えをとるバルナの背後に、リゲルのオレンジ色の法衣を纏った姿が、青白い炎とともに浮かび上がっていた。
「埒が明かないですよね。光練成師パトト? 星の巫女リリル──それと獣の坊や。このまま私とバルナを殺しますか?」
ユラユラと揺らめくリゲルの左手の青白い炎──と、その不敵な笑み。そして、竜装のバルナ。
……膠着状態──。
私とパトト爺ちゃん、ジャンゴとの間に、身動きの取れない時間が過ぎる。
けれど、しばらく俯いていたパトト爺ちゃんが顔を上げた時。その沈黙の時間が、動き始めた。
「バルナ。お前の父親は自害した。星の結界の中で魔人になってな……」
「出鱈目だ。だが、結果として、お前は殺した」
「……結界の中では、魔人は消滅する」
(──ゴゴゴゴゴゴ……)
俯いたパトト爺ちゃんと、バルナ。そして、リゲルの目の前に立つ私とジャンゴ──その足もとに、振動が響く。それは、何処か地中深く──。このウィンザード城さえも揺るがして。
「始まりましたか。時間切れですよ。パトト。間もなくこのウィンザード城は崩壊する」
「逃がすと思うか?」
「ククク……。何も脱出経路は、一つじゃない」
死の精霊──その姿が、バルナとリゲルを竜巻が吹き荒れる様に包み込む。
「ハハハ! 時を巻き戻す? そんなことは、無駄なことだとパトト!! 貴方が一番良く理解しているはずだ!!」
「諦めては、何もかもが終わる」
「悪足掻きですか。せいぜい健闘を祈りますよ?」
(──ゴゴゴゴゴゴゴ……!!)
尚も、ウィンザード城の振動が収まらない中……。この地下室の天井から、石の塊が崩落し始めていた。
(──ガガガガガガ!! ドゴォォン!!)
「パ、パトト爺ちゃん!!」
「うむ。やはり、時を翔けるよりあるまい」
「だよな……。可能性は、捨てちゃいけねぇぜ」




