30話。邂逅と再起。
「その気配……。貴様たち、魔人になりかけておるのか? ジャンゴが斬られた今、斬られても文句はあるまい?」
「フッ……。そうやって、何人もの『人』を殺して来たってわけだ? パトト……。後悔させてやる」
──異様な匂いと空気が漂う地下室。
石壁の瓦礫に埋もれていた暗黒魔剣士──バルナが銀の大剣で石の床を突き刺し、その竜装の鎧がパトト爺ちゃんの光錬成の光にボンヤリと照らされていた。
「クク……。バルナさんは頭が固い。ならば先に、私が狼少年とリリルを仕留めましょう」
不気味に笑う司祭……だった人。リゲル。
リゲルの左の手のひらに、青白く光る炎の塊が見える。その右の肩に乗る死の象徴──死神とも死の精霊とも呼ばれる不吉な存在。まるで、まだ生きているジャンゴと私を嘲笑う様に。
「リリ……ル。ハァハァ……。か、階段を駆け上って、王様やお城の人たちに知らせるんだ」
「ジャンゴ! だ、だってジャンゴ、今にも倒れて……」
「大丈夫たぜ……。ハァハァ……。し、師匠は目の前の二人で手一杯。『時の魔法陣』のことも、話せば分かってくれるだろ……」
ジャンゴの斬られた片腕から出血が止まらない。それに、ガタガタと身震いをして苦しそうだ。それでも、変身をしようとしているのか、身体の表皮から銀の体毛が少しずつ……。ジャンゴの全身を覆い始めていた。
「お城の人たち……ですか? クク……。心配いりません。全員、死にましたよ? 私のこの死の精霊で、ね? それとバルナさんの暗黒剣……猛毒ですよ? まだ、立っていられるのですね」
リゲル。司祭だった男。
もはや、人とも想えない表情が、リゲルの左の手の青白い炎の明かりに浮かび上がった。
その瞬間──。
「ォォォ……オオオ……!!」
着ていたウィンザードの模様の服が、剥ぎ取られそうなほどの凄まじい風圧。
まるで、突風が吹き荒ぶ嵐──。
──私の髪の毛が逆巻く。
怨嗟に呻く声が、私とジャンゴの魂を呑み込んでしまうほどに……。くっ……!!
「ジャ、ジャンゴ!」
「リ、リリ……ル!!」
「(──心配ないっ!!)」
(──バチィィン……!!)
死の精霊──その苦痛に歪んだ白い霧とも黒い煙にも見てとれる表情が、裂けるほどに口を開いた刹那。
私の胸から、半球体の弧を描いた風のお星様の青い光が溢れ──。その死に満ちた忌まわしい突風を、防御壁の様に弾き返した。
(──ザン……!)
そして──。
宙空に浮かぶ、それ。
あまりにも一瞬の出来事で、瞬きすら出来なかった瞬間。
銀の大剣を握る二本の両の腕と、首の様な頭部の塊が飛んでいた。
(──ガランガラン! ドサッ……!)
銀の大剣が石の床に。力無く跪いた黒の竜の戦士バルナ。
まだ、頭が繋がっていた。それとは違う別のもう一人。
──頭部を切断されたもと司祭だった男……リゲルの首無しの身体が、二本の足で尚も倒れることなく立ち尽くしていた。
「なぜ、死なぬ? もはや、魔人なのか?」
「ククク……。そんなに魔人が怖いのですか? 死を克服した者が? それには答える義理は無い。言ったはずですが?」
パトト爺ちゃんの光る両の手のひら──手刀。
パトト爺ちゃんの指先から、赤い血液が滴り落ちる。
「『闇縫合治癒呪文』……」
不気味な地下室に木霊したリゲルの言葉。
その深い石壁の闇から湧き出る様にして、バルナの切断された両腕とリゲルの首と胴体とが繋がる。
これは……明らかに闇の力だ。
「パトト……。俺の親を殺した時のこと、覚えているか?」
「魔道に踏み入った者は、殺す以外に止めようが無い。犠牲者を出したくはなかった」
「その犠牲者こそが、この俺と俺の家族なんだよっ!!」
(──ガンッ! ズズズ……ザンッ!!)
バルナの三度目の太刀筋が、闇に光る雷光の様に振り下ろされた瞬間。
パトト爺ちゃんの身体から、赤い血しぶきが薄暗い地下室の天井へと降り注いだ。
「積年の怨み。届きましたね、バルナさん?」
「ハァハァ……。リゲルさん。まだ、この程度で終わらす気は無いですよ………」
「し、師匠……!」
「パ、パトト爺ちゃん!!」
「気は……済んだか? バルナよ……」
ガクッ!──と。
両膝を地下室の石の床について……バルナに斬られた胸の傷を抑えるパトト爺ちゃん。
私も、バルナの猛毒の暗黒剣を顔に受けたせいか、痺れるような熱を帯びた身体が徐々に動かせなくなっていた。私の後ろのジャンゴも、変身しきれないままに、銀の狼の体毛を身体に纏ったまま倒れている。苦しそうに口を開けて。
「確かに。確かに居た。黒魔導衆討伐へと赴いた村。ヤツにも家族が居た。が、ワシは殺した……。ハァハァ……」
「そうだとも。黒魔導衆が魔人になろうとも、俺の親には変わりない。俺と俺の母親が、どれだけ虐げられて来たか分かるか? パトト?」
(──シュバッ! ビチャ……)
両膝をつき跪いたパトト爺ちゃんの身体を、幾度となく斬り刻むバルナ。
バルナの表情が、復讐の炎に歪む。
「や、やめて!!」
「リリル……か。この光景を目に焼き付けるがいい。星の巫女。その『力』を何に使う? もはや、人は魔人へと転生しなければ真の幸福へと辿り着けない……」
「くっ……! な、なんで……たくさんの人が、死ななきゃならねぇんだ……よ」
「獣人如きに言っても分かるまい。魔人──永遠の民と謳われた我らが長命族の歴史。先に手を出し、命を弄んだのは──力無き人間たちの方だ……」
「そ、そんな……!?」
その場が、凍りつく。立てなかった。
それが、嘘か本当なのかは分からない。けれども、私の戦意を……心を挫くには充分だった。
バルナの目を見てると──それが、本当だって分かる。
それでも、目の前のパトト爺ちゃんと毒と出血に苦しむジャンゴを見捨てたくは無かった。私にとっては、どちらも大切な人だから……。
(──ガランガラン……)
銀の大剣を床に投げ捨てたバルナが、息を吐き捨て……復讐の炎に歪んだ顔を引き攣らせている。
「まだだ……。まだ、こんなもんじゃ、終わらせねぇっ!!」
(──ドカッ! バキッ! ドゴォッ!!)
バルナがパトト爺ちゃんを殴る拳。床に血が……音を立てて飛び散る。
「嘘よぉっ! やめて……!」
「リリ……ル。来る……な」
「ハハ……。止まらないんだよ。もう、何もかもが手遅れなんだ……よ!!」
「ククク……。見るに堪えない光景ですが、こちらの溜飲が下がりますねぇ……」
咄嗟に──飛び出した私は、パトト爺ちゃんへと覆いかぶさっていた。
例え嘘でも本当でも……目の前にいるのは、私の大好きなパトト爺ちゃん。これ以上は、傷つけられたくない。こんなに血を流して……。けれど──。
(──ドゴォッ!!)
「ウッ! おぇぇ……。ハァハァ……。ぐっ……。カハッ!!」
「どけよ、リリル。星の巫女。もう一度、蹴られたいか? どうせ、死なないんだろ? この忌まわしき呪いの不死者めっ!!」
呪いの……不死者? 私──が?
魔人へと姿を変えたエミルも、確か同じ様なことを言ってた。けれ……ど。うぅっ……。
お腹に受けた激痛と、吐きそうな気分の悪さに、頭が朦朧としていた。
再び、バルナが私を蹴り上げようとした瞬間──。
そのバルナの脚に銀色の閃光が、薄暗いこの地下室に駆け抜けた。
(──ガルルルル!!)
「ぐぁっ!!」
バランスを崩したバルナが、床に倒れ込んでいた。その姿が、仄暗い地下室に幽かに見える。
尚も喰らいついたそのバルナの脚に深く、双牙を食い込ませる様にして──銀狼の鬣を背に、四肢を奮い立たせたジャンゴが、私の目の前に立っていた。けれども、完全には止血出来ていない腕の傷。そのジャンゴの赤い血液が、銀狼の毛並みに伝い落ちている。
「ジャンゴ!!」
「ハァハァ……。エミルが言ってた竜人にはなれねぇけどよ。だんだんと、解毒作用が効いて来たみたいだ……ぜ? ハァハァ……。竜の血、飲みまくってたせいか? まだ、血は止まらねぇがよ……」
「はぐぁっ!! 痛……っ!! は、離せっ! こ、この犬っころめがっ!!」
「クク……。これは、驚きましたね? では、私の死の精霊で息の根を……」
「ジャンゴ……。バルナを頼む。直接手を下すのは気が引ける。ワシは、リゲルの相手をする」
ヨロヨロと──立ち上がったパトト爺ちゃん。
その自慢だった白いお髭が、赤い血に染まっている……。
それは、まるで──パトト爺ちゃんの過去を物語っているようにも見えた。




