23話。戦慄! 魔女の巫女。①
「リリル、下がって!」
「ジャンゴ!!」
まるで、天空の夜空に伸びたその先──天を突き刺すようなウィンザード城の天守の砦の最上階から、黒い霧の塊のような巨大な手が伸びる。その勢いは、満月が大きく輝きを増す光を受けて、より力を増しているようにも感じた。
(──ゴゴゴゴゴ……)
「キャッ!!」
「ダブルファン……! ぐっ?!」
まるで、暗闇の中──巨大な手のひらに包まれた瞬間、視界が閉ざされ身動きが取れなくなる。咄嗟に、私の目の前で身構えたジャンゴの【双頭竜狼爪】は身体ごと弾かれていた。刹那、私の胸から青色の光が飛び出して──風のお星様の光が土の魔女を突き刺した時のように閃光が周囲に瞬いた。
「(リリルぅー!!)」
──風のお星様の光が、叫び声とともに闇の中で青く光る。けれども、暗闇の手に包まれた中で私の頭の中に、あの女の子の声が再び木霊した。
「【土流闇魔葬】……──」
【呪い】の声だ。
土の魔法なのか闇の錬成なのか、形成された闇と土の巨大な手に、ギリギリと締めつけられるような握力を声が響くたびに感じた。その最中、まるで、鐘の音が頭の中で響き渡るかのように、あの女の子の声が、何度も何度も繰り返し響いた。
「くっ! か、風のお星様の力でも、遮断されな……い」
それは、お星様の力さえ吸い取られるよう……な。身体から力が、抜けて……。
「ガーっ!! うっせぇ、声響かせやがって!! 魔法なのか錬成なのか知らねぇが、斬れやしねぇっ!!」
風のお星様の光の力で、何とか暗闇が青く光って見える。けど、身体全体に纏わり付くような闇が、蛇の魔物が蜷局を巻くように締めつける。そんな中、ジャンゴが渾身の力で【双頭竜狼爪】を再び指先から放ってもビクともしなかった。次第に、宙に浮くような感覚とともに身体が上昇していくのを感じた。まるで、吸い込まれるように──。
(──ダン!!)
──それは、牢屋にでも叩き込まれたような感覚だった。
私の身体に黒い蛇の魔物のようなものが、息の根を止めるほど締めつける。けれども、私の胸に光る風のお星様の青い光が、それを弾くように瞬く。そのたび、弾かれた闇が煙のように消えるのを目にした。私は少しだけ、まだ呼吸をする事が出来た。
「カハッ! ぐっ! くっ!!」
私より息をするのが苦しそうなジャンゴが、金の目の竜の横顔で、銀狼と炎赤竜の姿のまま、隣で横たわっていた。目の前は、まだ、牢獄のような暗闇に閉ざされたままだった。
「なぜ? この感触……。まだ、息があるようだけど、どうして? 土の魔法を闇で錬成した上に、お母様特製の致死の毒霧を送りこんだのに?」
恐ろしい言葉が、闇の向こう側から聞こえた。魔法と闇の錬成を掛け合わせた上に致死の毒。けれども、土の魔女の時と同じような反応をこの子も示した。
「竜の血は、毒も効かねぇ……」
苦しそうなジャンゴが、竜の口を僅かに開けて、傍に居る私にだけ聞こえるような掠れた小声で話しかけた。
そうだ。だから、土の魔女の時も、ジャンゴとパトト爺ちゃんも私でさえ動けたんだ。それに、竜の血──まだ、効いてるんだ……。
「そうか! 星の巫女は、心臓を抉り獲られても死にはしない! 本当の不死者! 何故なら、星の巫女の命も魂も、この大いなる星と世界を司る! そして、竜人の生命力は、魔人並み!! お母様のお言葉は、本当だった! ハハハハハ!! 二人の命、お母様に献上するに相応しい!!」
あの子の狂った笑い声が、闇の向こう側で木霊する。私が不死者? なぜ? 痛みも苦しみも感じるのに? それと、ジャンゴが竜人? 初めて聞く言葉だ……。
それに、土の魔女の分身体と戦った時よりも大きな魔力をこの子から感じる──。
なぜなら──それは、風のお星様が、私の身体と蛇の魔物のような黒い闇の蜷局との間で、せめぎ合っているから。あの時のような、一瞬で闇を蹴散らしたような星の力が感じられない。もしかしたら……。土の魔女の大規模魔法陣の影響で、私の星の力も吸収されているのかも知れない。けど、ひょっとして……。
「ジャンゴ、火、火!」
「火?」
「炎よ! 炎! ジャンゴは竜でしょ!」
「?! マジか! けど、やったことねぇ……」
「いいから、早く!!」
私の声に反応したジャンゴが、闇の中──風のお星様の青い光に照らされ、より一層、身体に力を込めて大きく背中の筋肉を膨らます姿が浮かんだ。ジャンゴの身体の竜の鱗が赤く輝き、蜷局のような闇との間に僅かな隙間が生まれ始めていた。
(──ヒュゥゥ……)
ジャンゴの竜の口に空気が流れ込むような音が聞こえた。
次の瞬間──。おびただしい熱量の赤い炎の輝きが、ジャンゴの竜の口から吐き出された。火炎だ。
「ぐぶっ! うっ!! グバァァァー!!」
(──ゴォォォォォォォォ……!!)
──瞬く間に、ジャンゴの炎が闇を斬り裂き、私とジャンゴを覆っていた暗闇と土の魔力が解けて、目の前の光景が露わになった。そこで目にしたのは……。
「な?! 『闇牢獄』【土流闇魔葬】の呪力が掻き消された!? バカなっ!! お母様より授かりし、土と闇の魔力を打ち破れるはずが!!」
「竜の火炎は、魔法でも錬成でもない! 銃火器の熱量を遥かに凌ぐ純粋な炎の力よ!!」
──ドーム状の礼拝堂の中央部に配置された青白く光る五芒星の魔法陣。その手前。
ウミルの村にも招いたことのある修道女さんたちの姿が、積み重なるように倒れていた。それに、銀の鎧を着た兵士の人たちや、法衣のようなものを身に纏った人たちも。その内の十数人が、魔法陣を囲むように円形に並べられている。
けれど、その中の一人。私と同じくらいの背格好の女の子。
五芒星の魔法陣の中央に立っている。修道女さんと同じ姿だけど、白のケープに素顔を隠した唯一の特別な存在。お祈りの儀式の日に、司祭様に連れられていた女の子。巫女だ。見たことがある。
「どうして、あなたは、平気で人を殺せるの?」
「ハハ! シーラお母様の言うことを守るのは、娘の私として当然じゃない?」
修道衣の小さな肩に流れる赤い髪。土の魔女と同じ色。言ってることは、本当かも知れない。
大規模魔法陣のせいかも知れないけれど、細くて華奢な身体から相当な魔力量を感じる。分身体の土の魔女以上に。けれども、その子は、魔法陣の真ん中から出ようとしない。立ったままだ。
「許せない!」
私は、そんなことを考えながらも、その子を睨みつけた。理解し難い状況に頭に血が昇りそうになる中──私は、落ち着いて状況を整理することに集中した。なんとかしなきゃ……。
その最中、私の足もとで、隣にいたジャンゴが、闇と土の呪縛からフラフラと立ち上がり、竜の口で大きく息を吐いた。
「(アイツの足もとの魔法陣……)」
「(うん。気づいてる)」
「(弾き出すぜ?)」
「(お願い……)」
私が冷静でいられたのは、ジャンゴのおかげだ。私一人じゃ、どうにもならないことも、ジャンゴが居てくれるからこそ、何とかなるような気がした。それに、パトト爺ちゃんも……。
「なに? 二人でコソコソ作戦会議? 気づいてないの? 上を見てよ?」
──刹那。気をとられた。ジャンゴも私も、ドーム状の礼拝堂の天井を見た。この国の国王様なのか王妃様なのか、それらしい身なりをした誰かが二人、意識を失った状態で宙吊りにされていた。気が動転した。一瞬の隙を突かれた。
「行けっ!!」
魔女の巫女の声に、視線を正面に向ける。何人かの修道女さんたちが突然、床に倒れていたのにフワリと身体を浮かし眼前に迫る。『無詠唱傀儡術』──。私との間に入ったジャンゴが、両腕から伸びた【双頭竜狼爪】を十字状にして防ぐ。けど──、物が投げつけられるように修道女さんたちの身体が何体も、ジャンゴと私に激しく衝突した。
弾き飛ばされたのは、私とジャンゴの方だった。
「グハッ!!」
「うぅっ!!」
「意見が合わないね? あなたにも、お母様がいらっしゃるでしょう? 星の巫女、リリル?」
「カハッ! ぐっ……。わ、私には、お母さんなんて……いない」
「ハハ!! それは、それは、残念ね? お母様の愛を知らないなんてね?」
礼拝堂の床に倒れた私は、お母さんなんて見たことも無いことを想い出す。お父さんも。
私には、血を分けた兄妹も肉親も居ない。けど、私には、パトト爺ちゃんが、ジャンゴが、ウミルの人たちが……いる。
その時、隣で私と同じように床に倒れてたジャンゴが、コソコソと私に小声で話し掛けた。
「(くっ! リリル! 耳を貸すな! 俺だって、一人だぜ? 母親の顔なんて知らねぇ……)」
「(うん……)」
「(ハァハァ……。そ、それより、アイツ、ベラベラ喋って時間稼ぎみたいだぜ? 俺たちに精神的ダメージ与えて、この国中ごと魂の力を奪い取ろうって魂胆かもな」
確かに。ジャンゴの言うとおりかも知れない。
さっき攻撃を仕掛けた一瞬で、魔女の巫女は、私たちを倒したかったはず。けれども、私とジャンゴは生きてる。それに、さっき襲って来た何人かの修道女さんたちは、ユラユラと虚ろな目をしたまま立ち尽くしてるだけだ。土の魔女の時のような傀儡人形のように。ここで、倒れてる人たちは、皆……屍? いや、死んでるなら、わざわざ魔法陣に配置しないはず。大規模魔法陣を起動させるために、生命力や魔力を吸い取ろうとしてるんだ。他にも、たくさん──倒れてる兵士の人たちや法衣を纏った人たちは、おそらく魔法陣を起動させる為の予備。きっと、まだ生きてる……。いや、それだけじゃ、まだ分からない。けど、信じたい。
さっきは、動揺したけど、吊り下げられてる国王様も王妃様も、確信は無いけど、きっと生きてる。そう信じるしかない!
「そう言えば、ウミルの村の皆さんはお元気? 大巨人族──かつての地上を滅ぼした古の魔物。その頂点──魔人族とともに。緑色のお顔で背も普通の人間と変わらないから、最初は弱小下等魔物かと思ったよ? ハハ!!」
「な?! 嘘よ!! あんな、心優しい人たちが……。そんなはずない!!」
「嘘じゃないよ? もしかして、知らなかったって表情してる? 星の力で魔力が弱体化して、長い年月を経て知性を身につけたようだけど。風の星が、星の巫女──リリルとともにある今、どうなるんだろね?」
「リリル! 相手にすんな!! 敵の思うツボだぜぇっ!!」
ダッ!──と、ジャンゴが私の目の前を猛然と駆け、ユラユラと立つ修道女さんたちを躱した瞬間、魔法陣の前で折り重なるように倒れてた銀の鎧の兵士さんたちが、魔女の巫女の傀儡術でユラリと浮き──数人の身体がジャンゴめがけて、その金属製の鎧ごと投げつけられた。
(──ゴッ! グッシャァァン!!)
「ガハッ!! ぐっ! ハァハァ……。うぅっ! おぅぇっ……」
衝突の直後──。フラフラと、ジャンゴが目眩を起こしたように、片膝をついて嘔吐した。そして、兵士さんたちの身体が、物でも扱うようにバタバタと床に落とされた。
「ハハ!! 生きてるかも知れない人間に、自慢の爪も炎も使えないよね? 竜人って、この程度なの?」
「ハァハァ……。さっきから、俺たちを殺しきれねぇくせに、よく言うぜ。そこの生贄さんたちにも、死なれちゃ、魔法陣が弱まるんだろ? そうなりゃ、お母様に怒られるもんな? それに、自慢の土の魔術と闇の錬成術は、どうしたよ? ハァハァ……。あんなもんか? 傀儡の練度も、お前のお母様なんかよりも、断然お粗末だったぜ?」
「ぐっ! くっ!! お、お母様なんかだとっ?! お、お母様と私を、バ、バカにするなぁぁっ!!」
ゴォ!──と、魔女の巫女の立つ魔法陣が青白い光を放ち、黒色の空気の層が、礼拝堂の天井まで吹き荒れた。吊された国王様と王妃様の身体が揺れ、今にも落ちそうだった。
そして、魔女の巫女の顔を覆っていた白のケープが、闇の魔力風で、めくり上がり──私とそんなに変わらない、まだ、あどけない表情をした女の子の素顔が露わになった。




